2005年10月10日

信じることをやめた時

※追記・訂正・削除 2005/10/10(元記事2005/08/08で削除済み)

脱力感、溜息、無気力、モノクローム、遠い目、眠れぬ夜..........

一年と少し前、とんでもなく色々感じ、つらかった。

今、信じないことが自然になり、何事が起きても覚悟が出来てる自分がいる。

信じないからこそ、素朴な思いを感じたりもでき、また理に適わぬことへの期待もしなくていい自分もあり、何かよく分からないけど充足感に満ちている。

そして身の回りのことがよく見えてくる。

信じたい、信じられたいとの思いから、どれだけ自分を飾ろうとしていたか、今になってよく分かる。
信じたい、信じられたいとの思いは、目を曇らせてしまうんだね。

いや、目を閉ざしちゃっているのかもしれない。

わめの好きな日蓮さんの「法門をもて邪正をたゞすべし」との教えにも頷ける。

自分の信仰心を元にした経験や体験、実感などは、自らの偏った精神から見た現象の捉え方に過ぎない。

だから「利根と通力とにはよるべからず」です。

今は、あるがままの自分って、捨てたもんじゃないなとうぬぼれてみたりしてw(^^;;

 ※追記

 この記事は8/8に書いたものですが、そこで日蓮の教えが誤りであるとわめは断定し、この記事に書いておりましたが、その後、Libra師匠やLeoさん達と議論ができて、法華経や日蓮の教えの中心思想が「縁起・空」だとするならば、日蓮の教えのすべてが誤りであるとは言いきれないので、該当箇所を削除しました。

 その経緯はEnjoyLife掲示板の『「客観的事実」とは?』及び、『法華経について』をお読みください。
posted by わめ at 00:00| Comment(5) | TrackBack(0) | 信じることをやめた時 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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