2005年11月24日

05年版犯罪白書

 調査は今年4月、少年院の教育部門で6年以上の経験がある教官546人を対象に実施した。「以前より大きくなっている少年の問題」を聞いたところ、「思いやりや人の痛みへの理解力・想像力に欠ける」(63%)▽「対人関係を円滑に結べない」(58%)▽「感情をコントロールできない」(55%)などを挙げる教官が目立った。また、83%の教官が「指導力に問題のある保護者が増えた」と答え、白書は「少年への処遇だけでなく、保護者に自覚を促す働きかけの強化も重要」と分析している。

 この調査結果から見ると再犯率が高くなっているのかなぁ

 83%の教官が「指導力に問題のある保護者が増えた」との調査結果ですが、その保護者が学校・教育現場に対して影響を与えているケースも多いように思うし、そうなれば教師達も当たらず触らずの教育姿勢になりやすいというか、当然生活がかかっているわけで、生徒のことも大切だけど自己保身も考えないといけないわけだし、事勿れ主義の公務員体質になりやすいと言うことかな・・・

 何だか悲しくなる調査結果だな。(ノ_・。)

 「思いやりや人の痛みへの理解力・想像力に欠ける」(63%)は、わめも幼い頃からそうだったかもしれないし、そうなってしまう原因は友達や家族との会話の欠如等にあるような気がします。

 また友達が悪いこともあるかもしれない。

 自分のこととして昔を振り返って考えてみると、自分という存在を周囲に認めて欲しくて、やたら自分の言動やしぐさを強調してみたり色々信号を出していたような気がします。

 その反面、自分の居場所がなかったからというか、一人の世界に閉じこもっていったようにも思います。

 こんな時に自分を認めてくれるような悪友や宗教団体や、共産党系の青年組織等からの勧誘を受けちゃうとコロっといっちゃって、抜き差しならなくなると言うこともあるし。

 やっぱ周囲が愛情を持って、その子の良い点を見つけ褒めてあげることや、認めてあげることが、自己啓発を促すことに役立って大切かなって思います。^^

以上 元記事 2005/11/09

  
 昨夜掲示板で書いたことなのですが、っていうか元々はくまりんさんが掲示板に書いてくださった『縁起する無常なるこころ(=色受想行識のはたらきとしての)の時間の先頭にたって過去と過去から予測される未来を選択し峻別する暗黙の了解の自己のことです。 』なのですが、時間は止まることなく流れていきますし、この休むことなく流れていく時間の先頭にいる自分と言う認識主体が「常に過去と過去から予測される未来を選択し峻別している」と言うことです。
 この「未来を選択し峻別している」と言うことでふっと感じたのが、わめのようにあまり考えずに生きている人間は、その時々の判断を過去の習慣とか習性とか反射的になどでほとんど無意識のうちに判断し行動していることでした。もちろん何でもかんでもそうしているというわけではありませんよ。大事なことなどはそれなりにわめもじっくり試行錯誤したりもしますからwヽ(・∀・;)ノ アヒャッ!
 でも毎日の日常事や突発的に起こることへの瞬時の反応はほとんど反射的言動で考えていなかったし「常に過去と過去から予測される未来を選択し峻別している」などとは遠く離れた自分であります。

 そこで自らの反省の意味も込めてここに書かせてもらうのは、今自分が何を考え何を行おうとしているのか、今といってももうそれは近い過去(0コンマ何秒とか数秒とか)です。でもそのできるだけ近い過去を観察し「常に過去と過去から予測される未来を選択し峻別」できるとしたらどうなのか、これは素晴らしいことじゃないかと思ったのです。(気が付くのが遅すぎかもw汗)

 例えばつい失敗をやらかすとか、信号を見落として赤信号を突っ切っちゃうとか、欲しい物があるとあとで困るのが分かっているのについつい買っちゃうとか、嫌なことを言われたらすぐ頭に血が上り周囲を嫌な気にさせるとか、いけないことだとは分かっているのにやってしまうことがあるとか、他人の言葉についかっとなって手が出るとか、人間って色々個々に性格と言うか習慣と言うかそのようなことがあるように思うのですが、その時に瞬間の過去である自分を観察し常に過去と過去から予測される未来を選択し峻別」できるとしたら、よりよい方向に大きく言動が変わってくるのではないか思ったのです。

 このことを掲示板に『 余談ですが、極めて近い過去(0コンマ0何秒とか)を常に意識(あるいは必要に応じ意識)し予測される未来を選択し峻別することができたなら、もしかして衝動的な犯罪や事故やついうっかりやらかす失敗なども少なくなるのではないかと思いを巡らしております。(この点は座禅や瞑想や唱題行なども役に立つかも)』と書きましたが、このようにできれば事故・犯罪の減少や日常生活のすべてにおいて役立つことにはならないでしょうか。
posted by わめ at 01:08| Comment(4) | TrackBack(1) | essay | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
まっ、バカな大人が増えたっちゅうことですね。
駅で電車待っててもちゃんと並ばれへんジジイもおるし、
食堂でペチャペチャ飯食うオヤジもおるし、
そんなん見て育ったこどもってそんなんなってまうで。

ま、うちの子は素直に(今んところ)育ってるから、
えらそうに言うてんねけど。

こないだ、帰って飯食うてたら、こどもがテレビ見てちゃんと食べへんから、
テレビ消したったら、奥さんが「わたしも見てんねん」やて
こんな大人があかんのんとちゃうのん?
Posted by 三九郎 at 2005年11月09日 15:08
三九郎さん、何だか奥さんを悪く言ってない?w汗

わめの子供時代は貧乏な方が多かったように思うし、子供にかまってあげる時間も少なかったと思うけど、それでも親はその子供たちのことを思って一生懸命働いてくれてたのじゃないかなんて思ったりします。

現代はそんな貧困な方が少なくなったのか、自己中心型人間と言ったらいいのか自身の楽しみを重視する方が多いように思います。その裏返しとして、他者に対しても寛容に振舞う面が、返って子供の教育上よくないように思ったりするわめです。

って、三九郎さんと言葉は違うけどわめも同じこと言ってるような気もしますがw爆
Posted by わめ at 2005年11月09日 19:48
あいや、うちの奥さんはいい人ですよ〜素直やし〜
すぐ、怒るけど〜(さっきもこどもに怒ってた)

でも昔の親って子供のことあんまし思ってなかったみたいな気がするんですけど〜。今の親が子供に気を使いすぎ?っていうか〜子供の自主性とか尊重ってワガママきいてるだけになってるみたいな気がするんやけどなあ〜。
Posted by 三九郎 at 2005年11月09日 23:38
> あいや、うちの奥さんはいい人ですよ〜素直やし〜
> すぐ、怒るけど〜(さっきもこどもに怒ってた)

素直やけどこんな大人があかんのんなのか・・・(゜〜゜)ふぅぅぅん

> でも昔の親って子供のことあんまし思ってなかったみたいな気がするんですけど〜。今の親が子供に気を使いすぎ?っていうか〜子供の自主性とか尊重ってワガママきいてるだけになってるみたいな気がするんやけどなあ〜。

子供のことを思ってなかったって言うか、時間もお金も余裕がなかったのじゃないかな?
でもそんな中でも子供のためってそれを支えに頑張っていたような。

今の親は自身がワガママなんじゃない? だから子供にもきついことが言えなくなっているというか・・・

あ、ここを見てる親の皆さんはそんなことないですね。(^^;;
(とって付けた様なフォローだw汗)
Posted by わめ at 2005年11月10日 14:17
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