2005年09月27日

客観的事実と信仰 05

 わめは盲信が怖いと言ってましたが、これはLibra師匠の言われる『言明じたいの性質についての話ではなく、言明を受け入れている側の態度の問題』で、『自分の信念を訂正すること』を拒否している人の『信じ方』の問題であると言うことが理解できました。

 このような方は、『自分の信念を肯定する言明』以外には耳を傾けることができないのか、誤った言明と判断してしまうのか、あるいは批判的な言明も『自分の信念を肯定する言明』と”こじつけ”てしまっているのか、その辺はよく分かりませんが、そこにわめは理性の著しい低下または欠如と、心情(情動)の作用と言うものが大きく影響しているように思います。

 理性と心情(情動)は、共に人間にとって不可欠な要素と思いますし、そのどちらか一方に傾注・相反することで、様々な人間としての生活活動に支障をきたすのではないかと感じます。

 また理性と心情(情動)が相反する時、人は苦悩するのではないかと。

 このような時、人はどうするのだろう?

 わめは多くの場合、理性を重視し、心情(情動)を従えます。
 何故なら心情(情動)は裏切り者だからです。
 心情(情動)は満たしてあげても、それに満足することなくすぐに裏切り始めます。
 この心情(情動)をどのように舵取りするか、それが理性であるように思います。

 ここで突然ペット話

 わめは犬やネコが大好きなのですが、ペットとしての犬やネコって、何となく自らの心情(情動)と似てるように感じています。

 ペットが楽しそうに、うれしそうにしている姿(寝てる姿も^^)は、嫌なことがあって気分が塞いでいる時でも、思わず笑顔になったりするのですが、ペットにはいつもそうであって欲しいと思うように、自身の心情(情動)も、いつもそうであればどんなにいいだろうと思います。

 ペットをまったくの自由にしてあげれば、それこそ大喜びかもしれません。
 でも外に出れば危険が一杯です。(^^;;
 飼い主がしっかり見てあげねば、悲しいことが待っているかもしれません。
 でもペットにあれもダメ、これもダメと拘束したり、厳しくしつけたりして飼い主に従属させるのであれば、これは虐待に他ならないように思います。
 愛情をもって”エサや適切に褒める・お仕置きする”などで、うまいしつけを心掛けるべきだと思います。
 そのようにペットと飼い主は深い信頼関係で結ばれながら、飼い主はペットの安全を含め一生を見守ってあげることが大切だと思います。


 さて、わめの強引なこじつけになるかもしれませんが、
 このペット話を、一人の人間の心的要素の重要度順として

 飼い主=理性・合理性・客観的事実等
 ペット=心情(情動)
 しつけを含むペットとの接し方=信仰・信条・信念・主義・思想等

 このように置き換えることはできないでしょうか。
posted by わめ at 00:24| Comment(1) | TrackBack(0) | 客観的事実と信仰  | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちは。 (ぜん) 2005-09-27 13:07:18

愛玩動物(表現に失礼がありましたらお詫びします)は飼い主から生活の保障と愛情、擬似家族(父・母性含む)を受ける訳ですが、飼い主が実質的な見返りを求めたりはしません。精神面以外は。

家畜でしたら、実利を求めるのが当然ですが。

信者は指導者や組織に前者を求め、トップ側は末端に後者を求めている・・・。

単純に利害関係だけでみれば、このように表現してしまうのは、言い過ぎでしょうか。

表現が不適切でしたら申し訳有りません。






内的要因・外的要因 (わめ) 2005-09-27 13:59:52

ぜんさん、こんにちは^^

わめは人の内的要因をこの記事で書いてみたのですが、なるほど飼い主を外的にみれば、ぜんさんのコメントもよく分かります。

また内的要因としてわめは、飼い主を理性・合理性・客観的事実等としているわけですが、ぜんさんの言われるように、外的要因である飼い主が実質的な見返りを求めているようでは、虐待行為も頷けますね。


わめがこの記事で表現したかったことは、心身が健全であるには重要度からみてすべて内的に

 理性・合理性・客観的事実等=飼い主
 心情(情動)=ペット
 信仰・信条・信念・主義・思想等=しつけを含むペットとの接し方

このような形がいいいのではないかと思った次第です。

わめが最下位に位置づけた信仰・信条・信念・主義・思想等が、
理性(飼い主)や心情の上位に立つこと、また心情(ペット)が理性(飼い主)の上位にくることが、心身の不健全さを生み出しているように感じたからです。

外的要因は、そう簡単に変化を望めないとして、内的に心を整理してみることも重要ではないかと思います。






記事修正 (わめ) 2005-09-27 14:35:00

 ぜんさんのコメントからヒントを得ましたので、ちょっと記事を修正します。^^







こんにちわ (三九郎) 2005-09-27 17:16:21

のぞきに来ました。

わめさんのブログって難しいなあ。
「客観的事実と信仰」って
タイトルだけでお手上げです。

また、見に来ますね〜。






わめさん。 (ぜん) 2005-09-27 18:11:12

お疲れ様です。

同意です。理性、合理性、客観性(及び事実)と心情と信仰や主義主張、思想等・・・

これらは分けて考えなければいけないが、連動し、関連づけが為されます。

ペットに隷従と専制をもとめると同時に、家畜的な実利も求めている・・・。

ペットは飼い主との一体感を求めて止まないが、飼い主の本心は愛玩動物との同体感を求めていない・・・。

財務や活動で見ると、隷従や布施は義務(準強制)で、トップからの見返りは任意。

一般社会や資本主義の観点ですと、こんなに美味しい商売は無いですね!

友人と飲んでいると、美味しい商売のトップ3に必ず宗教がランクインするのも、むべなるかな・・・という感じです。






三九郎さん、ぜんさん (わめ) 2005-09-28 00:20:31

三九郎さん、いらっしゃい。♪ d(⌒o⌒)b♪

> わめさんのブログって難しいなあ。
> 「客観的事実と信仰」って
> タイトルだけでお手上げです。

 _(^^;)ツ アハハ 何でこんなタイトル付けたのか・・・w 已む無くタイトルに釣られて書いてるというかw汗
 って、ブログや掲示板作る時に、「EnjoyLife」か「わけわかめ」するか悩んだのですけど、やっぱりわけわかめがよかったか・・・涙
 でも書いてることは小学生レベルですから難しくないですよ〜^^

> また、見に来ますね〜。

ワクワク((o(゜▽゜○)(○゜▽゜)o))ドキドキ


ぜんさん、どうもです。^^

ぜんさんの言われてることは、信仰が人を支配している状態ですね。
理性、合理性、客観性がしっかり働いている人は、その支配から逃れられると思うのです。

苦しいのが信仰と心情が密着しちゃって、相反する理性と心情の板ばさみ状態の方かと・・・
こんな状態では心身共に健康でいられるわけがないと思うのです。

このように苦しめている団体を何とかしなきゃと思うのと同時に、そこから離れようとする方のケアも考えていきたいです。


Posted by コメントリンク at 2005年11月01日 23:29
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