2007年05月02日

批判対象には自らも含む

 よくも分かっていないのに批判的合理主義マンセーな私。汗

 でも表明していることとは裏腹に、心の隅っこでは批判を受けたくないなんて考えているのかもしれない。
 それは自らの可謬性を自信をもって認めているが故か、批判を受けるとその批判内容に関わらずよく検討・検証もしないで自らの誤謬を指摘されたとの思考が自動発動し、誤謬でないことまで誤謬ととりあえず認識してしまいがちで、誤謬ではなかったと再認識するまでに大変労力が必要なことと、再認識に至るまでの自らの言動がブレたり的外れである場合が多くなってしまうからなのかなって思ったりしています。

  
 そういった意味ではもう少し自らの見解に自信を持てれば改善されるのではとも思うのですが、自信をもって表明した見解の誤りを誰からも指摘を受けることなく自らが発見してしまった場合、穴があったら入りたくなるくらいに恥ずかしく、やっぱり私が自信を持って言えることは「自らの見解には誤りがある可能性は果てしなく大きい!」ということくらいです。涙

 ・・・こうして考えてみると何だか批判を受けたいのか受けたくないのか自分でもよく分からなくなってきました。滝汗

 人間の心理にはこうした矛盾もあるということで余談はおしまい。(^^;;
 (そんな矛盾はあんただけなんて突っ込みは( ̄b ̄) シーーッ!!)

 さて、私はよく世間やネットで他者(団体含む)に対する批判・非難の言明に触れることがあります。
 知人やある程度親しい方の他者への他愛のない批判・非難の言葉の中に、その言葉をまずは自分にも向けてみたほうがいいんじゃないかと思う時が以外と多いです。
 気の置けない関係の人にはそう思うことを私はズバッて言っちゃいますが、気の置けない関係の方ばかりではありませんから何も言わないことも多いです。
 ズバッて言っちゃって憤慨されたり逆に返されたりすることもありますが、気の置けない関係だと険悪ムードになることもなく大抵冗談交じりに笑い合え、その上反省点などの発見のおいしいおまけがちょっぴり付いて一件落着となります。

 私はリアル(世間)やネットを殊更区別をしている訳ではありませんが、これは電話でもいえることかもしれませんがリアルでは互いの言いたいことのニュアンスも伝わりやすく、ネットではそれは難しく思います。
 ネットの特徴としては、リアルでの言明と違い言明が長期間残ることが挙げられると思います。
 この特徴を考慮すれば、リアルでの発言のようにその場の雰囲気や感情で気軽に発言することは避けるべきといえそうです。

 ブログなどもネットでの言明ですのでこういった考慮が必要に感じますが、他者(団体含む)に対する批判・非難に触れることがあっても、私はそのような発言をする方々に一々「他者(団体含む)に対する批判・非難をまず自分にも向けてみたほうがいいんじゃないか」などと指摘することはなるべく避けております。
 避けてはおりますが、ネット徘徊していますとそう指摘したくなるような「他者(団体含む)に対する批判・非難」の言明に出くわすことがよくあります。

 『自分だけは違う』で書きましたが、「客体として自身を見辛い」のでしょうから、たえずしっかり自らを観察してみることが必要なんじゃないかと思います。

 批判・非難対象が改善されようがされまいが、人間一人ひとりの主体者はそれぞれの自分であり、その主体者である自分自身を改善していくことが何よりも大切なんじゃないかと思う次第です。
 その何よりも大切なことを進めていくための、自他への批判であって欲しいと私は願います。
posted by わめ at 02:11| Comment(0) | TrackBack(0) | essay | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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