2007年02月04日

共存 2

 今回は創価学会や学会員のことをモデルケースとして採り上げておりますが、これは共存多元論関係性についての記事です。

 創価学会、学会員は幸せを得ることに貪欲です。

 その幸せについても、心の持ち様で幸せと感じられるといった宗教的、個人の内面的な感覚ならいいとは思うのですが、創価学会や学会員の求める幸せの多くは、物心両面で満たされることを指す場合が多く、例えば収入が増えるように、お金持ちになれるように、職場で認められるように、社会的地位の向上、地域で信頼を得るといった個人の内面的とはいえない幸せを求めることが多く、学会員の思考や言動は宗教的と言うよりむしろ成功哲学やマルチ商法の実践者に近いように感じます。

  
 格差が広がっているこの日本社会ですが、学会員の場合は弱者に「あなたもこの信心をすれば必ず幸せになれる。」と、創価学会の指導という成功哲学、マルチ商法に参加を誘いかけ、誘いに応じない弱者が不幸なのは自業自得というような、弱者救済とは程遠いそんな感覚があるように感じます。

 日蓮は「蔵の財より 身の財すぐれたり。 身の財より 心の財第一なり。」と説かれておりますが、日蓮より信心の血脈を継いでいると言っている割には、日蓮の教えとは随分かけ離れた創価学会や学会員のように思います。

 仏教徒ならば釈迦も日蓮もそうであったように「少欲知足」を心がけるべきであると思いますが、学会員の多くはまるで「貪欲知不足」のようです。

 私がこのようなことを指摘するのは、創価学会やそのような学会員を批判するのが目的ではなく、犯罪行為や他者に迷惑を掛けなければむしろそれはそれでいいとさえ思っています

 人間だもん欲があって当然、苦しみから逃れたい、お金持ちになりたいとか満たされたいと思うのも理解できますし、またそれを得ることを人生最大の目的とする人がいたとしても赤の他人が口を挟む余地などないように思います。

 ある意味、自己啓発にもなることでしょうし。


 私が危惧するのは、そのような思想や勢力がこの日本社会で大きくなり過ぎることで、この社会に与える悪影響です。
 【共存】でも
『有形の、例えばお金や土地などの有形資産での価値として捉えれば、すべての人々が共に潤っていくなどということは、限られた資源しかない私達の社会・世界においてはあり得ないと思うからです。
 また勝ち負けで言えば、敗者のいない勝者というのも考え難いからです。【格差社会
 また多元論、人間の認知能力からいっても、勝者だけの世界など夢物語としても私には想像すらできません。』

 と書きましたが、限られた資源を、すべての人々が共にそれぞれの欲を充分に満たすだけ持ち得ることは不可能です。

 このような幸せをより多くの人が強く求め、手にしていくことは一層の格差社会を生みます。
 私はそのような社会を望みませんし、我欲に執着、振り回されることなく、より多くの人が弱者の救済を我がことのように考え、格差を是正していける社会を望んでおります。
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posted by わめ at 03:15| Comment(4) | TrackBack(0) | 多元論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
お邪魔します。

>学会員の思考や言動は宗教的と言うよりむしろ成功哲学やマルチ商法の実践者に近いように感じます。

 学会側に言わせればそれも「方便」なのではな
いでしょうか。法華経にも「大きなお屋敷が火事
になったが、子供達は遊びに夢中でそれに気が付
かない。そこで『いい物をあげるよ』と言って子
供達を外に誘導して助けた。」といった話が
載っています。尤も「きっかけは現世利益でも、
最終的には仏の教えに目覚める」でなければ「方
便」とは言えないでしょうが。
Posted by ブロガー(志望) at 2007年02月05日 22:04
 ブロガー(志望)さん、初めまして。^^

>  学会側に言わせればそれも「方便」なのではな いでしょうか。

 学会が方便と公式に認めてくれれば、私も学会をちょっと見直せそうです。
 でも方便と公式に認めれば、おそらく多くの学会員さんの学会活動は停滞し、学会も職業幹部さんのリストラを考えないとやっていけなくなるように思いますから「学会側は方便とは言わない」と思いますよ。

 法華経の譬喩をどのように捉えるかは、その解説を信じるかどうかも含め、それぞれの個人の主観任せだろうと思いますし、その結果「仏の教えに目覚める」かどうかの予想も立たないのではないでしょうか。
 「仏の教えに目覚める」キッカケは別に法華経の譬喩とは限りませんし、世の中すべてが縁起していると考えれば「仏の教えに目覚める」キッカケはどこにでも転がっているのかもしれませんし、そういった意味では方便じゃないことを探すことは大変困難なことかもしれません。汗

 また「仏の教え」が真理かどうかも分からないことで、別に「仏の教えに目覚める」ことを望むかどうかも個々に委ねられることかもしれません。

 調子に乗って書いちゃうと、真理などを求めるかどうかも人それぞれでいいのではないかと。

 ただ、それぞれ他者の影響をまったく受けずに生きている方なんて稀有でしょうし、精神的に病んでいない方が何かに対する欲や執着で客観的事実から目を背けるような生き方には私は賛成できないです。

 かなり脱線しちゃいましたが方便の意味から考えますと、方便とは目的達成(意図)の手段と言えそうですし、学会の目的が会員を「仏の教えに目覚め」させることではなく他の目的を持ってのこととしても、その意図するところの手段であることには変わりないわけですから方便と言えそうですね。

 方便であろうがなかろうが難しく考えないで、学会の教義・指導や公式見解、学会員の思考・言動そのものを評価していけばいいのではないでしょうか。
Posted by わめ at 2007年02月08日 03:50
お久しぶりです。
創価学会が、マルチ商法的だというのは、私の解釈では折伏などをみると良く分かると感じます。
折伏やF取りをした分だけ、本人が幸せになっていく、成功していくという話しですが、勿論本当は限界があるはずです。

また、学会員のしていることは成功哲学の実践というのも納得します。『あなたは自分の思い通りの人になる』『良い事を考えれば良い事が起こり、悪い事を考えれば悪い事が起こる』といった話しですが、昔私が学会活動をしていた頃、こういう話に違和感を感じませんでした。

私が体験してきた多くの新興宗教も似たようなことを言ってますが、創価学会も所詮はやはり新興宗教、あるいは成功哲学or自己啓発を売り物にする商売のような気もします。
Posted by 軒ちゃん at 2007年02月11日 09:17
 軒ちゃん、お久しぶりです。^^

> 創価学会が、マルチ商法的だというのは、私の解釈では折伏などをみると良く分かると感じます。
> 折伏やF取りをした分だけ、本人が幸せになっていく、成功していくという話しですが、勿論本当は限界があるはずです。

 この「成功していく」ということが事実であるのなら、自らの成功により誰かが失敗していく可能性は大きくなりますし、世の中成功者ばかりになることはありませんので自己中心的な思考であるように感じます。


> 私が体験してきた多くの新興宗教も似たようなことを言ってますが、創価学会も所詮はやはり新興宗教、あるいは成功哲学or自己啓発を売り物にする商売のような気もします。

 職業幹部も含め沢山の方が創価学会関連で生計を立てているわけですし、その収入源の大半は日蓮仏法を成功哲学or自己啓発的に利用・指導し一般の学会員から新聞代や書籍代、また寄付等を得ている。

 お金を得ることが目的か、会員や世間の人達の幸せのためかどうかは職業幹部個々人により、またその時々の思いにより違いはあるかもしれませんが、事実として創価学会は機関紙(聖教新聞)や学会書籍の販売や寄付等の財源により運営されているわけで、商売(ビジネス)的側面があることは疑う余地がないように思います。

 ただ、ビジネス的側面があるからといって、またその側面をなるべく学会員に知らせないようにしているからといって、学会員は騙されていると短絡的に結論付けるのは無理があるように思います。
 また学会員の中には、そんなことは当然のように分かっていて、それでも学会員で在り続けることを望んでいる方だっていそうです。

 私としましては、学会員であろうとなかろうと、各人が、ある思想に飲み込まれた思考ではなく、なるべく客観的に自分の頭で考え自分で判断していくことができる主体性のある生き方が望ましく思います。

 そういった意味で創価学会は、学会流の仏法・指導で思想統一を図ろうとの意図や動きを感じますので、私はこういった組織が肥大化していくことには社会的に危機感を感じていますし、組織の弱体化や分裂・解体が望ましいとの考えを持っています。
Posted by わめ at 2007年02月14日 16:54
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