2007年01月23日

共存

 共存をサブジェクトで、また、カテゴリーを多元論とするには、私自身の中でまだまだ充分な考察ができていないと感じていたのですが、考えてみれば私のようなものが生涯掛かっても充分な考察など出来るはずも無いんじゃないかと思い、このように記事として提出してより多くの方から批判的見解を頂くことにより、一人で考え込んでいるよりも、より深くまた多くの方の継続的なテーマと成り得る可能性があるのではないかと考え、断片的で論理性に欠けた記事になってしまうのは覚悟の上でその見解を述べさせていただきます。

  
 共存・多元論について、Web上で書いたのは2005.08.03、EnjoyLife掲示板でのコメントが初めてだと記憶していますが、その後、日を置かずしてこのブログ(旧ブログより転載)でも【一元論は認知不能】としても書いております。
 その後もこのブログでいくつか書いております(記事検索で調べられます)が、【他者との関係優先の思想】に代表されるように、私のおもう関係という言葉・意味するものも私の中では共存・多元論と共通するキーワードでもあります。

 この【一元論は認知不能】では、当初共存共栄と書いてしまったのですが、共栄は成り立たないのではないかとの考えに至り共栄の文字は打ち消しました。そう考えたのは、共に栄えるということはその共栄するグループに属さない存在にとっては衰退を意味すると考えたからです。
 それは、精神的な価値観においては例外はあるかもしれませんが、有形の、例えばお金や土地などの有形資産での価値として捉えれば、すべての人々が共に潤っていくなどということは、限られた資源しかない私達の社会・世界においてはあり得ないと思うからです。
 また勝ち負けで言えば、敗者のいない勝者というのも考え難いからです。【格差社会】
 また多元論、人間の認知能力からいっても、勝者だけの世界など夢物語としても私には想像すらできません。

 極端な話、勝者になるための絶対要件として、敗者が必要になるのではないかと思うのです。

 幸福感を味わうためにも不幸な存在は欠かせないのではないかと。【幸福観】

 資本主義社会を弱肉強食と言う方もおられますが、弱者や敗者や不幸な人がいないことには勝者も幸福感も感じることは難しいのではないでしょうか。

 私は、たとえ今、様々な人がどのような立場にいたとしても、勝者も敗者も、不幸な方も幸せな方も、不必要な存在など無いと思いますし、否、どのような方であったとしても必要不可欠な人々であるのではないかと思うのです。

 これは、非存在である裏切りも誠実も、事実も虚位も、思いやりも冷酷さにもすべて当てはまることではないかとも思います。

 これらの一部でもこの世界から欠けてしまえば、その対極と象徴されることさえ認識不可能になってしまうと思いますし、科学・物理・言語等々、どの分野においてもそうだろうと推測しています。



 私は30分以上も連続して頭脳を使うことが出来ずカラータイマーが点滅してきましたので(汗)、見直しもせず、またこの後訂正や追記をする可能性大ですが、それでもウルトラマンの10倍もパワー維持できることを誇りにこの記事をアップさせて頂きます。
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posted by わめ at 04:04| Comment(4) | TrackBack(0) | 多元論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
わめさん こんにちワン でお久でおま^^

まあ あまりお元気ですかー!とは聞けませんが 最近の起きた残念は orz 。
んでも、何やら竜宮城へお出掛けで、、 よっぽど楽しくて時の経過も移ろいに・・。^^
ナニワトモアレ、、 がんがるべー ですね。。

さて、おちゃらけの私ですが、気張って警告音の鳴るまで…  た、多元論〜? orz
でもねえ、いつも悪いんだけど わめさんの考察は殆ど私といつにしてるのですよ。
批判的見解ってのが、出せない、、、

で、多元論と一卵であろうと思う多様性から イメージを膨らませて書いてみます。

善悪二元論のお好きな方や もう解脱して極善だか極悪だかになってしまった人(つうか、そんな極に行けた人はもはや人では無く 神である^^)を除いて、多くの人は自分を含め 人の誤可謬性を年頭に置く。
もうこの時点で多様を認識出来る筈だけど、まだダメで責めたり 批判したりします。
許容性の範囲とか、呑み込む量もそれぞれ人は違うのだけど(器か)、更には人はナマモノである事を認識すれば 確定値など設けようもない事にも気付く。
そもそもが物理世界の存在である肉体は異個体であり、能力も様々な多様形を持つのが人の(生物の)身体であり、そこに加味や掛け合わされるのは不特定数値(心)だから、いつもその限界値が変動する としたい。てか決定してる。
もうここで、論議する必要もなく 人は多様であり、それぞれが独立して存在します。
個性と云う名に帰結する。

じゃあ、その個性を持つ人が認識・生活する 現実世界では 多元論が必然としてなければならない。
人類が個性を永遠に持ちたいのならば、多元論でなければ存在も共存も出来ない。
疑う余地はあるのでしょうか。この事に^^;
ただ、既知宇宙(同じく物理世界)と云う 認識出来た分だけの限界世界(実在世界)は一元であるのも確かだからその中での多元・多様は、一元的多元論となるのかな。(もち一元的汎神論から名を拝借したのですが・・ いや もう限界なんですう^^; 私如きでは論理の破綻がある筈なのは決定ですから〜 …突っ込んで頂戴^^; orz)

私は東洋的哲学や合理主義が好みだから 善悪をよく裏表で考えます。
一枚の紙の両面、、、でもこれだけだと薄いのですよね。
紙を綺麗に垂直に立て 真横から見ると一本の線にしかならない 見えない。
二次元の世界 でもこれを人に二つ同在してあるとすれば まあ膨らむではないですか。
織り成す善悪により 三次元的奥行きを持てる。>立体化。。。
(五行説にある互いの影響を記す五茫星の相関図なんか 風水とか知らんけど^^;)
陰陽同在の大極図。。 境界は曖昧であり、二つはうねりくねり同一化する。
混在し混沌の状態を普遍とする世界(同一化)なのだから、秩序や調和と云う概念が生まれる。

善悪もそもそも、相対 対極のものであって どちらかが在るから… あれ、いや、どちらも同時に存在してないと同時に消えてしまうのか。。
う〜ん……。 パラドクってないかい?~~;  私 えへへ。

もう駄目だ タイマーが消えてる 磔にされたウルトラセブンの気分、、、
好きに突っ込んでくらさい^^; >わめさんへ
30分は持ちまヘン 知恵熱で今日は寝込むゾ♪ orz

ヒトは身体の何%存在すればヒトである とかのヒトの定義付けや 臓器移植・臓器牧場の話でもしましょうよ >いつか^^

Posted by あーあ@orz at 2007年01月26日 10:39
 あーあさん、こんにちは、コメントありがとう。^^

> まあ あまりお元気ですかー!とは聞けませんが 最近の起きた残念は orz 。

 まぁ裏社会から見れば可愛いもんですけど、極端に走ればアンチ・シンパなど関係なくやっぱ同じ人間だということかもしれませんね。
 それはそれでよくないことだとは思いますけども、一部の宗教団体や一つの思想が力を持ち過ぎて、この民主主義社会を脅かし、政治経済にまで大きな影響及ぼしていくと言うことは怖いことですし、何とか阻止していければいいと思っています。

> んでも、何やら竜宮城へお出掛けで、、 よっぽど楽しくて時の経過も移ろいに・・。^^

 リアルが楽しいことは楽しいのですが(笑)、新たな友人知人達にもこの社会の問題点を指摘したり議論したりしていますよ。
 遊んでばかりいるわけじゃないっすよ。(~^~)エッヘン。

> 善悪二元論のお好きな方〜

 どちらか一方のみしか無くなってしまえば人間にはどちらも認知不能になりますね。(^^;

> 人は多様であり、それぞれが独立して存在します。

 一人ひとり多種多様であることは同感ですが、「それぞれが独立して存在」に関しては意見の分かれるところでうれしいです。^^
 もしも何もない空間にぽつんと自分ひとりで生まれ生きていくとしたら、自分が独立した存在とか、逆にこの空間と一体などと感じることすらできないと思います。互いに影響し合っているから自分という存在を認識できるとおもいますので、それぞれが独立した存在とは言えないのではないでしょうか。
 また、独立した存在同士ならば互いに影響し合うとも考えにくく、こうしてあーあさんと私が話し合っても互いに一切影響を与えないことになってしまいそうです。涙

 あーあさんが、互いに影響を与え合いながらも、それぞれの主体者はそれぞれの自分であるということを言われているとするならば、私も同感ですし余計なことを書いてしまったかもしれません。汗

> 既知宇宙(同じく物理世界)と云う 認識出来た分だけの限界世界(実在世界)は一元であるのも確かだから〜

 これは私の勉強不足かもしれません。
 私は、+と-、S極とN極、物質と非物質など、二元以上じゃないと人間には認識できないと思っておりました。
 「認識出来た分だけの限界世界(実在世界)は一元である」との説の、何か資料などありました是非教えて頂けませんでしょうか。

> 善悪もそもそも、相対 対極のものであって どちらかが在るから… あれ、いや、どちらも同時に存在してないと同時に消えてしまうのか。。

 そうなんですよ、私は(一対の)どちらかが消えて(認識できなくなれば)しまえば、もう一方も同時に消えて(認識できなくなる)しまうように思うんです。
 この状態は一元状態で、(人間には)認知不能と捉えていますので、「認識出来た分だけの限界世界(実在世界)は一元である」は逆説のようで考察してみたいです。
Posted by わめ at 2007年01月26日 16:08
わめさん こんこん^^
知恵熱で病に伏せりそうですが、起き出してウ〜ンウン唸ってみます^^;

>極端に走れば… …同じ人間だということかもしれませんね。

そうなんですよね。宗教問題も結局アウトプットする人間次第に帰結するような思いでいます。
ただ、事が無ければ、そもその「事」を認識・対応する考えも浮ばないわけで。

善や悪を分けられる、分極精整出来る人はほっときたいですが、、、
(んなわけにもいきませんが・・ そうした極端は影響力が大き過ぎるし^^;)

>遊んでばかりいるわけじゃないっすよ。

ひえ、、これはこれは御見逸れしました。
(だってさあ 尻尾アタマのお姉ちゃんと うひひ♪してそうじゃん^^;)
なににも増して 印象操作になりました事をお詫びします。あはっ。(←♂が使うとキショイかなあ orz)

>>人は多様であり、それぞれが独立して存在します。

へい、これはわめさんの 段改している後者の考察通りに認識してます。
上のコメントでも「互いの影響」と五行説に借りてますが、そう認識しています。
影響しあう仲での、独立と云う限定世界が年頭でした。

ただわめさんが否定意見で出した、正味純粋な独立した人間 とは現代までは存在出来ないですね。
今だ、木の叉から生まれ出でた人はいないし、処女懐胎も胡散臭いし、大体胎児は一人で育ちませんし。
そも そうした形で人が今の人たりえる為には、先天的な何かを持って生まれなければなりませんね。

技術や科学の進歩で、これまでは考えられなかった分野に考察・定義付けや新しい概念付けをしないといけない時代になりました。
例えば性善説の先天的か後天的かも、純粋培養される装置の中で人が人の手に接せず肉体的に大人となれる可能性も出た今、研究する(実践)馬鹿者も出るかもしれませんね 困ったちゃんが。

>>認識出来た分だけの限界世界(実存世界)は一元である

これは勝手な私の考察(とはいえマジメな)ですから、相対資料なども無いでごわす^^;。

一元の定義ももしかして私は判ってないのかもですが、人や物事の多様性は当事者や同じサイズでは多様と見えますが、マクロでの視点からでは一様でもあるかと思います。立脚する視点からの単なる相違点であるに過ぎないかもですが、多様である(べき)も視点を変えると一様となるのではないでしょうか。

人の認知・認識・既知 力は人の能力に限定されます。
全知全能の神では人はありません。(その全知全能も重大なパラドックスを併せ持ちますが)
この為、人の能力に限定される目線は全体を見据える事は不可能と言えるのではないでしょうか。
人は絶対死ぬから「死」の概念を現実感として考えられる またその発想が生まれますが(死後の世界観も)、
仮に人は永遠に生きられる存在だとしたならば、「死」そのものが生まれ得ないのではないでしょか。
勿論、自己を消去して考えるのは哲学なり妄想なりでなんとかなるでしょうが、起こり得ないモノに対しては想像するに過ぎませんので、現実感には全く持って乏しいと思います。

そうした限定認識しか持てない人の限定世界はいくら多元であっても、人の目線である限り一元としか言いようがないと私は考えるのですが、、
一元 = 判らない 認識出来ない世界 ではいかがでしょう。
既知宇宙もまだその一歩を踏み出したに過ぎないと思う。

わめさんの、”両極があって初めてどちらも存在する との考察” まるっと禿げしく同意であります。
宗教が悪を一掃しない 出来ない理由もそこですね。

ど、どうだあ やっぱどこかおかしい木がするけど、限界 orz

Posted by あーあ at 2007年01月27日 11:23
 あーあさん、こんにちは。^^

> へい、これはわめさんの 段改している後者の考察通りに認識してます。
> 上のコメントでも「互いの影響」と五行説に借りてますが、そう認識しています。

 了解です。
 五行説というと仏教の地水火風空の五大が浮かんできましたが、いずれにしましても私達の構成要素も一元ではないですね。

> 技術や科学の進歩で、これまでは考えられなかった分野に考察・定義付けや新しい概念付けをしないといけない時代になりました。

 そうですね、量子力学なども人間の五感では直接観察できませんから、その観察結果から従来の観念・概念に縛られずに新しい仮定・概念を持つ必要があると思います。

> 例えば性善説の先天的か後天的かも、純粋培養される装置の中で人が人の手に接せず肉体的に大人となれる可能性も出た今、研究する(実践)馬鹿者も出るかもしれませんね 困ったちゃんが。

 研究する馬鹿者が出てくるとして、その実験結果からもしも先天的性善は認められるとしても、同時に後天的な影響の大きさを自らが体験証明したことになりますね。

> 多様である(べき)も視点を変えると一様となるのではないでしょうか。

 興味深い視点であると思いますが、一元(論)は世界のすべての元(根源)となるものは一つであるとする考え方ですから、すべては神が創った(一神教)等がそれにあたると思います。
 でも、神の存在・不存在が証明できないように、一元であるものは相対化できませんから人間には認知不能です。
 また、あーあさんの言う「視点を変えると一様」も、もしも世界の物質も空間もすべてが一様とするならば、その一様(一元)は人間には認知できないのではないでしょうか。というか、その一様には自らも含まれてしまいますので、この世界(一様)を映すこの世界の鏡のようなものがあり、その鏡のようなものにこの世界を映し出す以外にこの世界が一様であるかどうかを確認することもできないでしょうから、神の存在・不存在同様に証明できないように思います。

 そう思いますので、

> 一元 = 判らない 認識出来ない世界 ではいかがでしょう。

 と、いうことだと私もおもいます。
Posted by わめ at 2007年01月28日 16:38
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