2006年10月09日

自分を知る

 やりたいと思うことはやりたい。やりたくないことはやりたくない。
 苦痛は嫌い。楽しいのが好き。
 人の為、人の笑顔を欲しがるのも自分の存在価値を認めたい、認めて欲しいから。
 人の幸せを願うのも、それが自分の幸せにも感じるからで、結局私は自己中心主義です。
 注目されたいけど構って欲しくなかったり、まだまだ自分自身にはよく分からないところもありますが、自己中であることは間違いなさそう。
 歳を喰い、表に出る部分では狡猾になったかもしれませんが、意識・無意識の本質部分では私は昔からまったく変わっていないのかもしれません。

  
 ボランティア活動もやりました。
 福祉団体もいくつか作りました。
 表彰もされましたし、TVやラジオや新聞にも取り上げられました。
 障害者の為にしてあげてると勘違いしてる思い上がったボランティアに「自分に酔うな。自己満足のボランティアは迷惑だ」と、叱り飛ばしたこともありました。
 他が主宰する福祉団体や教会にも抗議にいきました。「ボランティアを勧誘の道具に使うな」と。

 音楽活動もやりました。
 音楽団体もいくつか作りました。
 チャリティコンサート等で障害者福祉への寄付金を集め、表彰もされましたし、TVやラジオや新聞にも取り上げられました。
 我々は互いの人間成長を目指すことが目的であり、人に何かしてあげていると思い上がった仲間を叱り飛ばしたこともあります。
 民青にも抗議に行きました。
 「若者の孤独感に付け込んで、赤旗啓蒙や党員の勧誘をするな」と。

 自分の中の正義に照らし、突き進んできましたし、自分の中の正義に合わない者達と闘ってきました。

 今思い返せば、自分こそが正義を行なう者と過信し、ヒーローを気取っていたのでしょう。
 私は間違いなく、自己陶酔型の自己中心主義者であったと思います。

 今も私の内面は、その当時と何も変わっていないのかもしれません。
 そんなどうしようもない私ですが、それでも自分が一番大切で可愛いです。
 人それぞれ様々かもしれませんが、それでもみんな自分が一番大切で可愛いのでしょう。

 そんな一番大切で可愛い一人ひとりであるそれぞれの自分達を、大切にできる世の中になっていければいいと思います。
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posted by わめ at 03:34| Comment(35) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
わめさん、こんにちは。

学会本部には抗議に行かれましたか。

エネルギーは無理に減らすことはなくマイ正義から関係性の中の正義に目覚めればよいんでないでしょうか。

熱い煩悩のわめさんは悪くないと思いますし、ある意味幸福ではないかと思います。

私はもっと若い頃は自分が可愛くないし消えてなくなりたいと思ってましたから。うらやましい。

煩悩の多い人間ほど結果的に(良いことも)大きな行動ができるのではないでしょうか。多分。

そういえば自分が一番大切だから他人も大切というのは仏典で非出家者のことで出ていました...
Posted by Leo at 2006年10月09日 10:16
 Leoさん、こんにちは。^^

> 学会本部には抗議に行かれましたか。

 私にとっての当時の正義は、日蓮仏法でしたので抗議はなしです。笑

> 関係性の中の正義に目覚めればよいんでないでしょうか。

 どんな正義もいらないかも。
 誰にとっても必要なものは大切にしたいと思います。
 もちろん関係性は空気のようになくてはならないものと思っています。(^^

 熱い煩悩というより自己顕示欲が強かったと思いますし、その欲が色んな行動のエネルギーとなっていたようです。
 幼い頃から抑制され蓄積してきたそのようなものが、青年期にあるキッカケから噴き出したという感じでした。
 私もLeoさんのように、自分を卑下したり消えてなくなりたいと思ったこともあります。
 人間も関係性という土壌に芽を吹く同種の植物みたいなものですから、本質的にはほとんど変わりがないのかもしれませんね。

> そういえば自分が一番大切だから他人も大切というのは仏典で非出家者のことで出ていました...

 当たり前のようなことなら、類似する見解は仏教に限らず数多くあるかもですね。
 人間は積み上げるのが好きだし、また壊すのも好きだけど、積み上げる前や壊した後はあまり見ないので気が付かない方も多いかもしれませんが。涙
Posted by わめ at 2006年10月09日 12:56
わめさん、こんばんは。

>当たり前のようなことなら、類似する見解は仏教に限らず数多くあるかもですね。

仏典(正確には引用)は下のようなところです。
ブッダの人としての振る舞いが現代でも手がかりや助けになる場合があるかもしれないと思いました。

「あるとき、コーサラ国のパセーナディは王妃マ。リカーとともに、王宮の屋上にいました。王は
 妃に言いました(第一章第ハ節)。
 「あなたは自分より愛しい人がだれかいますか?」
 (中略)
 「大王さま。私には自分よりも愛しい人はいません。あなたには自分より愛しい人はいますか?」
 「マッリカーよ。その通りです。私にも自分より愛しい人はいません」
 パセーナディは王宮を出て、ブッダのところに赴き、始終を語ります。
 ブッダはこのような詩を、パセーナディに語りました。
 「どちらの方向に、考えを巡らせても、あなたは自分よりさらに愛しいものはとこにも見いだすことは出来なかった。
 そのように、どの人々にとっても、自己は愛しい。ならば、自己を愛する人は、他人を害してはならない」

 自分か大切、自分を愛するというのは、非常に自然な心でしょう。それは先験的なこと、自明な
 ことです。いくら考えを巡らせても、自分を愛することに理屈などはありません。その自明性をバネ
 にして、他を害してはならないことの自明性に想像を馳せるという方法をブッダは採るのです。」

(友岡雅弥 『ブッダは歩む ブッダは語る』 第三文明社、2001年、pp.66-67)
Posted by Leo at 2006年10月09日 23:13
(続きです)

「少し蛇足になりますが、最後に「自己を愛する」とはどういうことかを考えたいと思います。
 自己愛とエゴイズムの差異はとこにあるのでしょうか。
 このような話も、別のときにブッダとパセーナディの間で交わされています。

 「師よ。一人思いにふけっているとき、次のような思いが起こりました。『どのような人が、
 自己を愛しているといえるのか。どのような人が自己を愛してないといえるのか』
 王は、彼なりの結論を持っていました。
 「行動においても、言葉においても、心においても、悪をなす人は、自己を愛していません。
 人が、憎んでいる人に対してなすようなこと、つまり悪に近づけること、を彼は自分にしているのです」

 「その通り!」。ブッダは続けます。
 「そうです、自己が愛しいならば、愛する者に対してするように、自分を悪に結びつけてはならないのです」

 これも非常に簡単な問題です。エゴイズムは、結局自分への本当の愛ではないのです。自己中心的な人は、
 自分を愛しているように見えます。しかし、その人が行い、語ることは、結局、自分を傷つけるものにしかすぎません。
 人がある人を本当に愛しているとき、その人が悪いことをしたり、放逸に生きていることを何と
 しても止めさせるでしょう。それと同じように、自分を本当に愛しているならば、自らを悪に近づけてはならないのです。」

(友岡雅弥 『ブッダは歩む ブッダは語る』 第三文明社、2001年、pp.68-69)

ううむ。「自己を愛する」ことの少ない人も問題ありのようです。
Posted by Leo at 2006年10月09日 23:20
ううう。

(訂正です)

王妃マ。リカー → 王妃マッリカー
自分か大切、自分を愛するというのは → 自分が大切、自分を愛するというのは
Posted by Leo at 2006年10月10日 00:28
わめさん、こんばんは☆

>人の為、人の笑顔を欲しがるのも自分の存在価値を認めたい、認めて欲しいから

人の為とかいて「イツワリ」と読んだり・・・。
人が為すとかいて「ニセ」と読んだり・・・。

例えば、自分の食べ物を誰かにわける場合に、

「相手がかわいそうだから、半分あげよう」
「二人で食べた方が自分が嬉しいから、半分こ」

どちらも素敵な(正しい?)動機だとは思うけれど
純粋な自分の願望からの行為は、美しいと感じます。

・・・以上、楽しい言葉遊び♪の時間でした〜☆
Posted by さあや at 2006年10月10日 17:52
わめさん、こんばんは。

私はン十年して定年になったら細々とボランティアをやろうと考えてたりしたことがあったのですが、
わめさんのようにエネルギーのある方はもしかすると政治の世界はアリかとふと思いました。本来の政治は広く人のためになるものです。幕末の改革者をなんとなく調べていたら陽明学という昔の中国思想が出てきて、それで昔の中国思想を調べてたら昔の中国でも世の中を良くしようと考え行動した方がおられたのですね。(最初修養されて後に政治の世界に行くようです)

○ 王陽明 (Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E9%99%BD%E6%98%8E

「自分の心に理を求めたり、自己の中にある判断力を求めることは、全ての人に可能なことであり、「満街の人すべて聖人」と言った。こうして、儒学を広く庶民の学問に押し広げたのである。」

これはポパーの「すべての人は哲学者である」に似てます。

○ 陽明学 (Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%BD%E6%98%8E%E5%AD%A6

「朱子学においては読書や静坐を重視したが、陽明はそうした静的な環境で修養を積んでも一旦事があった場合役には立たない、日常の生活・仕事の中で良知を磨く努力をしなければならない、と説いた。これが「事上磨錬」である。」
Posted by Leo at 2006年10月13日 02:04
政治といっても従来の政治そのままでなく模索が必要そうです。
丁度わめさんの「記事ウォッチング」に参考になりそうな記事がありました。

○ 動的間接民主制の提言
http://matsuyama.cool.ne.jp/yep/text1.htm

この動的間接民主制が妥当かどうかは別として記事の中の考察は興味深いものがあります。
あと「愚民思想」に対して「馬鹿にするなよ」は私も同様のこと思ってます。
Posted by Leo at 2006年10月15日 01:32
わめさん、こんばんは。

大衆宗教団体の指導者のスピーチなどで時々引用されるジョン・デューイは考えることを再構築した思想家で、師弟や宣揚といった力まかせの大衆宗教団体の運動論の再考を促すもの(反するもの)として意外と重要そうではないかと思いました。

(もちろん大衆宗教団体はまだまだ活用できてないのではないかという疑問はありますが...)

○ ジョン・デューイ (Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%A4

「哲学的には、ヘーゲルから由来する弁証法を、より人間的な経験と反省の世界に引き戻し、プラグマティズムの運動の最終段階として、市民的な思考の道具として「考える」ことを再構築した。鶴見俊輔は、それを市民的な思考の道具として翻案紹介した。」

○ 問題解決学習 (Wikipedia)

「問題解決学習法(もんだいかいけつがくしゅう、Problem-Solving-Learning)とは、アメリカの教育学者のジョン・デューイがシカゴ大学の付属の実験学校で、社会科の授業の中で初めて試みた学習のやり方。」

「教師が準備し、設計したステップを踏んで学んでいく系統学習ではなく、生徒自身の自発性、関心、能動的な姿勢から、自ら体験的に学んでいく努力の価値を評価するということである。 人によっては、課題解決学習という言い方をすることもある。」

○ デューイ(John Dewey,1859-1952)(信州大学)
http://gipvodn1.shinshu-u.ac.jp/el/e04b1/class08/dewey.htm

「対立していた人々が対立を解消して公共性をどのように打ち立てていくのか…それがデューイの課題であった。デューイにおける「公共性」は、共通の目標に向かってみんなで協同して取り組んでいけること、誰でも主体的に参加できることをその内容とした。」

「デューイの主張には、もう一つの大切な論点がある。もう一つのポイントは、子どもたちに社会をつくり直していく能力を身につけさせることだとしている点である。既存の文化を伝えるとともに新しい文化を創り出していける力、その新しい文化を創り出して、その新しい文化によって社会をつくり直していく能力を身につけさせることが重要であるとしたのである。」

「子どもは他者に依存しなければ生きていくことはできないが,社会的観点からみれば,依存性は弱さというよりもむしろ発達可能性を意味しているし,相互依存を伴う。そこで教育は相互作用的な発達であり,それだからこそ「ある種の道徳的・知的目的のためには,おとなたちは幼い子どものようにならなければならない」と主張したのだった。」
Posted by Leo at 2006年10月16日 00:54
 Leoさん、さあやさんこんばんは。^^

 お返事したいんだけど、復調したばかり&珍しく仕事も忙しいのでごめんなさい。m(_ _"m)ペコリ

 仕事が片付いて少し落ち着くまでご容赦下さい。
Posted by わめ at 2006年10月16日 01:16
わめさん、大丈夫ですかぁ?

さあやも今日、一週間以上ぶりにネット復帰でした。自ブログほったらかしで遊んでおります(笑)。
わめんさんがお元気ならレスなんていいですからね♪

ご自愛下さい。
Posted by さあや at 2006年10月16日 21:32
わめさん、こんばんは。

> お返事したいんだけど、復調したばかり&珍しく仕事も忙しいのでごめんなさい。m(_ _"m)ペコリ

りょうかいしました。

> 仕事が片付いて少し落ち着くまでご容赦下さい。

体調にお気をつけてお仕事頑張ってください。
Posted by Leo at 2006年10月18日 01:10
 さあやさん、こんにちは。^^

> 純粋な自分の願望からの行為は、美しいと感じます。

 その「純粋な自分の願望からの行為」を見てる時間の先頭の自己は美しいでしょうか。
 どうも私は、認識主体(自分を見てる時間の先頭の自己)を冷徹に捉えがちですが、でもそれを個人個人がどう捉えようと(概念的に)自分の中のことでいいとは思いますが、(概念的に)自分の外のことに、最低限の共通認識は必要ではないかと思っています。
 共存は、人々の共通認識と成り得るか、また最優先課題と成り得るか、これが私の最近のテーマです。
Posted by わめ at 2006年10月18日 17:12
 Leoさん、こんにちは。^^

 自分が大切、自分を愛すること、自然な心ですね。
 エゴイズムや自己中心的思考は素朴で幼稚ではありますが、人間はここをすっ飛ばすわけにもいかないのでしょう。
 私は、一人ひとりの人間が、エゴイズムや自己中心的思考から脱することを望むのではなく、人がそのような心であっても、共存の重要性や共通認識は持てるものと考えています。
 人はこうでなければならない等、理想を追うことも大切かもしれませんが、プラグマティズム抜きの理想など意味を成さないと思いますし、この社会に生きる者同士として、互いを支え合うために考え、行動していくべきだと考えます。

 私も含め、この社会にあって、思うことと何事をもできていない今の自分の現実とに、ジレンマを感じている方も少なくはない思います。

 Leoさん、定年など待っていないで、今できることを一緒に模索していきましょうよ。(^-^)
Posted by わめ at 2006年10月18日 17:13
わめさん、こんばんは☆

早速のレスと問題提起ありがとうございます。
わめさんの冷静さ、自分には真似できないかも。

さあやが感じる「美しい」状態は、自分の願望と
周囲の願望が平和的に調和している状態です。

「ねばならない」「べきだ」という動機よりも
「楽しい」「うれしい」という無理のない動機。

そういう行為はみていてほほえましくなります。
みているさあやは美しくないかもしれませぬが。

「平和共存」が共通認識になると素敵ですね。
究極的には、エコとエゴとの同居が理想です。

自分が空気のよい、自然豊かなところに住んで、
体によい美味しい食べ物をたべたいから、共存。

他の存在に喜ばれたり楽しい時間を共有したり、
周囲の環境と調和するのが快感だから、共存。

ゴミを拾う行為も体にいい環境をつくる行為も、
「地球のため」「あなたのため」とはいえない。

「自分の快感のため」なエゴイストさあやです。
ただ自分を喜ばせるために共存を目指します♪

それで美しい存在でいられたら最高でっす(笑)。

Posted by さあや at 2006年10月18日 19:56
 さあやさん、こんばんは。^^

 さあやさんはさあやさん、私は私、人それぞれでいいんじゃないでしょうか。(*^▽^*)

 私は基本的に非エゴイストは信用できません。笑
 人は一人で生まれ、一人で死んでいくもの。
 その限られた間を、同じ時を生きる者同士としても、共存意識は共通認識と成り得るのじゃないかと。

 思想統一、世界平和、遠い理想の夢を見、苦を撒き散らすより、今この時の互いを尊重し、大切にできる社会を目指していければいいかなと思います。
Posted by わめ at 2006年10月18日 20:31
わめさん、ただいま〜♪

>人それぞれ

人に自信を与えてくれる、素敵な言葉ですね。

さあやも共存意識が共通認識になりえるに一票♪
みんなが納得する方法って、二とおりなのかも。

1 思想統一して絶対的基準にフォーカスする。
  今まで自分が親しんだ方法や他の人の方法は
  「正しくない」「間違ってる」と切り捨て。

2 その場にいる個々人の差異を認め尊重する。
  その中で自分のお気に入りの方法を提供。
  「あるがまま」「自由に」各自取捨選択。

わめさん提供の「共存意識」が共通認識になると
互いを尊重する2の社会が目指せるかもですね♪

そして、その選択こそが、同時に本来の意味での
調和的な「思想統一」の道なのかも、なんてね☆
Posted by さあや at 2006年10月18日 22:12
わめさん、こんばんは。

>私も含め、この社会にあって、思うことと何事をもできていない今の自分の現実とに、ジレンマを感じている方も少なくはない思います。
>Leoさん、定年など待っていないで、今できることを一緒に模索していきましょうよ。(^-^)

ええ。ン十年たったら時間が今より自由に使えると思っていたですがそういう保障もないしそれに今なにもやりたくないのではないです(^^;

今考えているのが創価の理想と現実ということが念頭にあって理想側に表面的や宣伝的にせよ、要素としてはよいものこともあるからそういうところを活用しようということでなんと...「創価学会の批判的継承」です。(副題 創価学会の共存的解体)

要は感動状態で思考停止になりがちな現実側の現状とは別に実際に活用することを模索ということです。(お世話になった団体へのオマージュもあります(^^;)

とはいっても既存の団体を別に気にしなくても良いかもしれないです。(考えがまだまとまってないです(^^;)

池田氏のスピーチは意外と良いこといっている場合があるのです(表面的にせよです)。が、実際会員が地元や現場でなにやっているかというと...無限に喜劇的なのです。そうでなく引用の思想や手法を活用・応用しちゃうんです。(プラスの思想や手法を活用しますがマイナスのは使わないです(^^;)

組織を一生懸命風船みたいにふくらませたり硬直してカチーンとなるのでなく民衆が向上してナンボですので。
Posted by Leo at 2006年10月18日 22:55
>(副題 創価学会の共存的解体)

副題のちょっと修正バージョンです。

副題 創価学会の縁起的解体
Posted by Leo at 2006年10月18日 23:00
さあやさん、こんばんは。

>1 思想統一して絶対的基準にフォーカスする。
>  今まで自分が親しんだ方法や他の人の方法は
>  「正しくない」「間違ってる」と切り捨て。
>
>2 その場にいる個々人の差異を認め尊重する。
>  その中で自分のお気に入りの方法を提供。
>  「あるがまま」「自由に」各自取捨選択。

仮に1を採用すると2を切り捨て、仮に2を採用すると1も認めた上で各自取捨選択となると思います。

誰かが仮に1を採用したとしても人間の精神の自由があるため2を採用する人を決して撲滅することはできません。(これが1の限界{最初から破綻}です)

仮に2を採用すると1を認めるので1を採用した人が
2を切り捨てにやってきます。(これが2の限界{危機}です)

また、2を採用した人が1を「正しくない」「間違ってる」と切り捨てると2を採用したつもりが1と同じになってしまいます。(2の1化です)

ですので、よい意味での対話や切磋琢磨が生じて
2が主流になるというシナリオを想像したりします。(1の2化です)
Posted by Leo at 2006年10月19日 22:12
Leoさん、こんばんは☆

つたない思いつきをここまで
深化してくださってありがとう。
感謝、というか感動!!です。

Leoさんのシナリオ、素敵ですね。
純粋な中華料理とフランス料理が
お互いに出会い対話し切磋琢磨して
ベトナム料理誕生みたいなドラマ。

ああ・・・お腹が空いてきました。
Posted by さあや at 2006年10月19日 23:06
いえいえ。
やはり文化の融合ですね。

ベトナム料理とかけてレイザーラモンととく
その心はフォー!
(あまり関係ないですが(^^;)
Posted by Leo at 2006年10月20日 00:30
うまい!
フォー!大好き♪

レベルの高い文化も宗教も世にたくさんあるから
お互いに違いを認めつつもよい影響を与え合い、より美味しいものに融合できると素敵ですね。
Posted by さあや at 2006年10月20日 00:36
わめさん こんにちは

シナプスさんのセッションですれ違いました。オリーブです。
自分で何をしたいのかさっぱりわからなくなってしまいました。忘れて待つ、これが自分も傷つかないのはわかっていますが、学会のことがすごく気になるんです。
ライブドアで逮捕者が出た頃、家のダンナがポロッと”悪いことをしちゃいけないのは当たり前だけど、人を傷つけちゃいけないよね”といったのを思い出しました。

学会には若い方が多い! (無意識下に)自分の家族は学会とは関係がないと思っているところに、ある日突然にそれはやって来る。
彼女との話し合いで、彼女が最初に言った事 ”学会信者であれば、人格は認められないのでしょうか” 息子と2人で”そんなことない、ない”と言ったのですが、後でゆっくり考えると、「学会とは無関係でいたいという信仰の自由」も当然あっていいと思うのです。

「学会を信仰する」これもまた信仰の自由ですし、かまわないのです。
ただ、恋愛感情に発展してからわかって欲しいというのは「学会の信仰はイヤだという人格を認めていない」思考と変わらなくなってしまう。
結婚を考えるようになった時”創価学会ということで反対されるかもしれないよ”とお母さんから言われたそうです。私達も何かやろうとしたとき、周囲や常識からみて反対されることを意識することは多々あります。そして、それによっては、反対されてもやるべき、あるいは検討し直そうという事になります。何故反対されるのか、そのことからどうして目を反らすのでしょう。まるで被害者のような、そんな感じも受けるのです。

彼女の学会でのお姉さんは、彼が、家族が反対するかもしれないというので、家族には知らせないで結婚すると話してました。彼にウソを突き通す重荷をしょわせるのです。
学会信者であることを知られたくない気持ちはわからなくありませんが、一般人が宗教を嫌うのと、学会を拒否?することとは別なような気がします。

Posted by オリーブ at 2006年10月20日 14:58
学会には若い方が多いので、うちの例のようなことも多いと思います。
本人達だけでなく、家族も傷つきます。だから学会信者であることで、誰かを傷つけることがあるかもしれない、自分も傷つく、そんなことに気づいてもらえるなら、そう思って書き込みをしてみたのですが・・・・

わめさんが前に書かれた「それは、幸せになれるかどうかの結果はともかく、創価学会は幸せになりたい方達の集まりで、いわば幸せになることが主体で、仏法や学会教義や指導は容体であり、容対はどう変わろうと、主体優先の団体なのだからでしょう」

「修行を続けるからこそ、現実世界がこのように現れてくる」まさに、わめさんがおしゃったこととピッタリです。

自分が何かを変えようなどとは考えてはいませんが、余計なお世話のように思えてきました。(もともとそうではありますが)

前に「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい」という聖書の言葉が紹介されました。

私が持っている聖書の言葉は
「左右の手に義の武器を持ち、栄誉を受けるときも、辱めを受けるときも、悪評を浴びるときも、好評を博するときにもそうしているのです」  コリントの信徒への手紙2・6章6

義 とは、神が人間に求めるふさわしい生き方 です。
できれば、この聖句から離れ、気負いなく自分の側にある聖句に出会いたいと思っています。
Posted by オリーブ続き at 2006年10月20日 16:29
わめさん、こんばんは。

私は模索中ですがなぜか急に創価批判への興味を失いました。大衆宗教擁護も大衆宗教批判も究極の問題の解決にはならないからです。(創価の問題を忘れることはないですがトーンダウンしつつ頭の片隅の隅には残しておきます)創価はほとんど忘れつつ現実から、ゼロから出発してみます。(これからは創価(主に批判)も宗教も口に出すことはしばらくやめてみます、 ということを修行のようにしてみたいと思います(^^; 批判中毒みたいになちゃったので...)

最近ブラッドベリーの『火星年代記』というSFに示唆をうけました。(これはは昔のSFであり火星は舞台装置のようなもの過ぎませんが普遍的なテーマを含んでいるのではないかと...)このSFに限らず、またSFのジャンルにも限らず文学にせよ何にせよ色々な示唆はありますが...

なにか面白そうなことを見つけたらまた遊びに来ますね\(^_^)/
Posted by Leo at 2006年10月20日 23:32
 Leoさん、さあやさん、こんにちは。^^

 ・・・文化の融合→フォー ううむ、ジョゼさんが喜びそうな結論ですね。笑


 オリーブさん、初めまして。^^

 シナプスさんのところからおいでくださったのですね。

 ご子息の結婚予定の彼女が学会員とのことでお悩みのようですが、創価学会や一部の新興宗教においてよくある問題のように思います。
 私からみれば、オリーブさんは創価学会にかなり警戒感を持っているようですので心配ではありませんが、ご子息はどうなのでしょう?
 ご子息が、彼女や彼女の両親が学会員であることを楽観的に捉えているようですとちょっと心配です。

 創価学会の信者さんは、その宗教自体が自分の一部(もしくはかなりの部分)となってしまっている方が意外と多いように思います。
 つまりは自分の考えと宗教の教えが一緒くたになって、切り離すことができなくなってしまっている。

 ご子息の彼女やそのご両親もその可能性がないとは言えません。
 このようなことも覚悟しておかないと、結婚後に起こりえる宗教問題に戸惑うことになるかもしれません。


 ---独り言---

 私は、生きることは孤独との闘いが多く含まれると思っておりますが、宗教や夫婦や家族や恋人や友人やコミュニティ等は孤独感を紛らす方法としては有効であっても、特にある宗教やある思想を信じ込んでしまうことは、自分と自分以外との区別がつかなくなったりする可能性が高く、少なからず問題を孕んでいるように思いますし、孤独と向き合うことからはむしろ遠ざかることのように感じます。
 孤独と向き合えることは大切なことのように思います。
Posted by わめ at 2006年10月29日 15:51
わめさん 皆さん こんばんわ^^

にっぱちに続き九月も暇してた分、今月はお忙しいようで、、
久しく随分^^御見掛けせず淋しくしておりました(あはっ。

>---独り言---以下文
異論反論を待ち望むわめさんにはいつも申し訳ないですが、これまんま肯定する思いです。
無意識に群れ、集団で責任を分配しようとする(叉は神仏にケツ持ちして貰う)、人の根源にある弱さなどを思うと、
孤独を以って自己を確立する事が最善であろうと思わざるを得ないのです。
集団生活が基本である人間が物理的に孤独になるのはナンセンスですが、何者にも拠らず頼らず自己の確立は可能であろうと思うし(とはいえ 影響を完全に排除するのは至難だが・・)、その孤独を保って尚、他者との付き合いを行う行為は思いやりの心を育めるのではないかと思う。
(「情けは人の為ならず」などの言葉もそうなって本来の意味を持てそうな気が・・。)

私の思う孤独とは簡単な一言で成立するのかも 「独立独歩」。
(小学校の習字で習うような言葉でも実践は・・ああッ難しい^^; 忘れないように)

既知であるかもしれませんが、先日野良ねこさんちでも引用した言葉を良ければどうぞ・・
「孤独に歩め 悪をなさず 求めるところ少なく 林の中の象のように」(イノセンスより)
Posted by あーあ at 2006年10月31日 05:00
わめさん おはようございます。

私が幸せだと思うことは、自分が自分でいられることです。Libraさんは「仏教の源流」で、創価学会で言う「宇宙生命論」は「梵我一如」の思想であり、それこそが「自己肯定的な思想」の正体である、今ある自己を乗り越えていこうとする仏教の精神とは違うとおっしゃっていたと思うのですが、この「自己肯定」とは別のものだと思っています。

「自己」を肯定するにしても、乗り越えるにしても、そこに本来の「自分」はあるのか。そういう意味合いです。

息子の結婚の意志を受け、挨拶に伺う前の晩に、彼女のご家族が創価学会であることを知らされ、挨拶の件は一旦中止にしました。彼女と話がしたい、いや謝りに行くのが先だ等々、大もめになっていましたが、息子も学会を自分の問題としてとらえ、やっと彼女と話し合えるようになりました。

息子は彼女の信仰を尊重したいと言ってました。
私はいわゆる無宗教ですが、信仰をもっていない者が、信仰を持っている者にとやかく言えるのか、そう問われたような気がしていたのです。では信仰とはどういうものなのか。橋爪先生の本が参考になりましたが、人間が自分の存在価値を見いだす思考の限界に挑戦する試み。もしこれが宗教の原点なら、創価学会は政党を持つという政治との結びつきを、きちんと説明できなければいけません。信仰の自由を主張することはできないと思います。

私は創価学会についてほとんど知りませんでしたので、ネットで検索し、学会員で仏教学者の方が学会員の方に講演されているのを見ることができました。
そこで気になったのが ”実は学会員の皆さんはあまり信仰を知らないんですよね”と嘆かれていたことと、座談会で、誉めることが大事で、現世利益主義と批判されていますが・・・・のくだりでした。
これは意味がわかりませんでした。あとウイキペディアの「創価学会」を見、何故創価学会に反対なのか、二人の幸せとは等、自分なりに考えていたのです。(息子から、二人とも話が盛り上がる?と声も大きくなるしまとめておきなさいよと言われてましたから 笑 )

Posted by オリーブ at 2006年11月01日 12:12
彼女は、ウイキペディアの内容はほとんど知らないようです。”創価学会の人が悪いことをしたのと普通の人がしたのではどこが違うか?””自分達は悪いことはしていない(彼女のご家族は勧誘など一切していません。息子は座談会に誘われた事もありませんし、彼女が行ってることも知りませんでした。)”
つまり迷惑をかけるような事はしていないということなのでしょうか。そして”創価学会なら人格は認めてもらえないのか、と”「創価学会」そのものを横においてしまうのです。選挙の件は否定しなかったので、投票しているのでしょう。
息子は時々”言ってもわからないんだよね”といいましたが、まるで小学生のような捉え方が私にもわかりませんでした。

その後、彼女は子育てには学会を影響させない、息子はその気持ちを尊重して結婚したいと言ってます。ただ結婚までに時間をおくそうです。

現在私が創価学会に警戒感を持つのは、政治との関係でも、迷惑行為でもありません。カルトマインドコントロールといっていいかどうかはわかりませんが、あえて言うならそこです。

時々情けなくなる自分、またやっちゃった自分、恥ずかしい自分・・・・・・自分でいるには、こんな自分を肯定する、否定したくなる自分自身を認める強さが必要かもしれません。自分でいることの難しいさを考えさせられます。

でも、わめさんに会えて良かった。ごめんなさいを言いたかったから。
Posted by オリーブ続き at 2006年11月01日 14:02
 あーあさん、オリーブさん、おはようございます。^^

> にっぱちに続き九月も暇してた分、今月はお忙しいようで、、
> 久しく随分^^御見掛けせず淋しくしておりました(あはっ。

 長らく放置で申し訳ありませんでした。<(_ _)>
 今月に入り仕事も落ち着いてきましたが、気分的にはまだ落ち着いていないようでいつものペースに戻るにはまだ時間がかかりそうです。汗

> 孤独を以って自己を確立する事が最善であろうと思わざるを得ないのです。

 私は、人間って本来孤独なもんだろうと思っていますが、家族や社会、集団等とのコミュニケーションによりついそれを忘れがちになってしまう。というか、人は孤独だと感じることを避けたいのかもしれません。
 思い込みや何かを信じることで避けるのではなく、孤独かもしれない自分を知ることは大切なことだろうと思います。

> その孤独を保って尚、他者との付き合いを行う行為は思いやりの心を育めるのではないかと思う。

 その通りだと思います。


 オリーブさん

> 私が幸せだと思うことは、自分が自分でいられることです。

 と、

> 現在私が創価学会に警戒感を持つのは、政治との関係でも、迷惑行為でもありません。カルトマインドコントロールといっていいかどうかはわかりませんが、あえて言うならそこです。

 は、対照的に感じますし、この違いは自我の確立がどうもキーワードのように思います。

> 時々情けなくなる自分、またやっちゃった自分、恥ずかしい自分・・・・・・自分でいるには、こんな自分を肯定する、否定したくなる自分自身を認める強さが必要かもしれません。自分でいることの難しいさを考えさせられます。

 自分を否定したくなる自分自身は誰しもあるかもしれませんが、そこに変身願望というのか、何かしらの思想に飲み込まれてしまう危険性を感じます。
 オリーブさんの創価学会に対する警戒感、的を射ているように思います。
 自分は自分、人は人、思想は思想、この当たり前のことが分別できなくなってしまうことは怖いですが、このような人は学会員さんに多いように思います。

> でも、わめさんに会えて良かった。ごめんなさいを言いたかったから。

 オリーブさんが私に謝って頂くようなことは何もないとは思いますが、私こそオリーブさんとお話ができてよかったと思います。

 認めたくない自分を認めること、中々できることではないかもしれませんが、私もオリーブさんを見習っていきたいと思います。
Posted by わめ at 2006年11月19日 09:52
わめさん、どこいった?

女性陣がポニーテイルしてお待ちでござりんす。
Posted by みれい at 2006年12月02日 02:57
わめさん、みれいさん、こんばんは。

(ちょっとしたニュースですが...)
Libraさんのホームページが移転になりブログが準備中のようです。

○ 仏教と批判的合理主義についてじっくりと研究していきます(Libraさん)
http://fallibilism.web.fc2.com/index.html

○ 仏教と批判的合理主義 (Libraさん)
http://fallibilism.blog69.fc2.com/
Posted by Leo at 2006年12月02日 20:47
 みれいしゃん、Leoさん、こんにちは。^^

> わめさん、どこいった?

 どこにもいってなかったっすよ。
 ROM専になっちゃってますが。(^^;;

> 女性陣がポニーテイルしてお待ちでござりんす。

 最近心が動じなくなったなって思ってたのですが、
 ポニーテールを想像すると・・・(^¬^) よだれ〜
 ペガサス師匠の影響が大きいようです。。。笑


> Libraさんのホームページが移転になりブログが準備中のようです。

 見てきました。
 師匠のブログ、楽しみです。(*^▽^*)
Posted by わめ at 2006年12月04日 11:32
Libraさんとこ、サイト内検索機能がついてとても便利になりました♪
らくらく検索!

「みれいさんしか使わないかも」、とおっしゃってたので(汗)皆さんつこうてください。


Posted by みれい at 2006年12月09日 01:23
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