2006年09月01日

創価学会について語ろう

 私は、EnjoyLife掲示板を創めた頃(2005/01)、突き詰めれば仏教は、「縁起・無常・無我」を説く教えであることが解り、学会組織の問題は学会教義のおかしさに根本原因があるんじゃないかと思い、それを理解してもらおうと学会内外で言動してきました。

 ただ残念なことに、何かを強く信じ込んでしまっている多くの方に、それは理解することすら拒まれ、結局学会を変えていくことなど私の手には負えないと判断するに至り、組織とは距離をおきました。
 幸せになりたいとか、願いを叶えたいとか、そういう欲求の強い方には、私の意見などはほとんど無意味なのかもしれないと思ったりもしています。
 それは、幸せになれるかどうかの結果はともかく、創価学会は幸せになりたい方達の集まりで、いわば幸せになることが主体で、仏法や学会教義や指導は客体であり、客体はどう変わろうと主体優先の団体だからなのでしょう。

 私にとっては、創価学会はあまり興味の持てる団体ではないですが、社会・政治的側面から見れば問題も多いように感じますし、コメント欄での意見交換など有意かなと思いまして記事にしてみました。
 って誰からもコメントが貰えなかったら、まったく意味のない記事になりそうです。汗
posted by わめ at 02:11| Comment(88) | TrackBack(0) | 今、創価学会に思うこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
どんな感じで盛り上がるんやろ?
三九郎さん呼んできて荒らしてもらお(^^ゞ
Posted by 犬のメメ at 2006年09月01日 09:30
ぶふぁふぁふぁ〜、荒らしたろ〜。 ってメメッチが煽ってんねやん!

幸せになりたいは、ほとんどの人がおもうことですが、幸せって何やろ? 
これも相対的ではっきりと定義することはできないんちゃいますか?

メメッチんとこでいろんな学会員さんがいろんな意見を持ってるように、
同じ教義で同じように幸せには絶対なられへんやろね。
学会教義そのものが100%間違いだとは言えへんやろ。
自分にあった教義、自分で行動できる教えってのがあるんやろね。
学会教義は多岐にわたってるんやから、それぞれの個性に
フィットするようにコーディネイトせなあかんねやないやろか?
Posted by 三九郎 at 2006年09月01日 10:18
「宗教酔い」 って感じがします。

酔っ払いの云う事によく似てる 我が田の話ばかりで・・
酒なら自然に覚めますが・・いや、宿酔い迎えに追い酒 終いに依存・中毒かな
冷水や味噌汁で顔洗わせて ダメなら中和剤点滴も>アル中対処療法
でも自らの存在さえ創価あっての事と依存している人に有効な手立ては思いつかないな。

世の為人の為 世界平和とこじ付けながら 
その実、自分だけの特別を期待してますね 学会員。

「進まざるは退転」 
気付いてはいけない 止まって悩んではいけない 認めてはいけない 
批判に迎合してはならない >忘恩だそうで・・・・・うまい事作ってるなと。

公明を政権からひっぺがすのが今一番の目的なのですが。
魑魅魍魎行き交う政界・財界 事を単純にはいかせて、考えさせてくれません。

ひぃえ! 書き逃げ〜〜^^; 
Posted by あーあ at 2006年09月01日 10:35
ある呉服屋さんがつぶれましたが、そこの社員は「お客様のため。会社のため」と強引な販売や、売上達成のための自己購入などを繰り返してきました。
 
社内理論である「お客様・会社の為」というその会社の理屈が、社会全体から見てどうなのか?
 
そのことを省みない組織だからつぶれたのだと私は思います。少なくとも消費者問題には背を向け続けていた会社なので。
 
私も自分のとっつきやすい話題に無理やり持っていってしまってますが・・・。
Posted by 犬のメメ at 2006年09月01日 13:42
わめさんのお家は、初めて。おじゃまします。
創価学会は、ある意味私を、家族も幸せにしてくれました。反面教師ですけど、創価学会に関する家庭内のトラブルと真剣に向き合い続けた事で、
嫁さんの事、大切に出来たのだと思います。

形のある幸せや、定義される幸せなんてないですよ。家族で自分達の幸せを求める事で、形のない幸せを手に包み込むというか、実感しております。

他人が幸せを決める事ではなく、どうやら我が家は、本当の幸せにであったようです。

ちょっと、幸せにこだわった創価学会を語るでした。
Posted by できたよ at 2006年09月01日 13:57
 皆さん、こんにちは。 できたよさん、こちらでは初めまして。^^

 一人ひとり幸せの形が違うとのご意見が多いようですが、創価学会では、そのような幸せはいつ崩れるかも分からない一時的なものであって、そんな幸せよりも絶対的幸福境涯になることが大切で、それを実現できるのは創価学会しかないと言い切っているようです。

 絶対的とは比較(相対)するものがないのですから誰にも実感などできませんが、そのようなものを求めてしまうのは、人間として未成熟なのかもしれませんね。

 メメさん、おかしな宗教や占い詐欺やニセ科学やマルチ商法等は、未成熟な大人達が減少していかない限り後を絶たないのかもしれませんね。
Posted by わめ at 2006年09月01日 14:48
 三ちゃんもたまにはいいこと言うな。^^

> 幸せになりたいは、ほとんどの人がおもうことですが、幸せって何やろ? 
> これも相対的ではっきりと定義することはできないんちゃいますか?

 人間生きてりゃ何が起こるかわかんないけど、それでも幸せでありたいと思うのも人情ですよね。
 無いものねだりも夢のうちはいいですけど、夢と現実の区別はしっかりつけないと、夢から覚めた時がつらいと思います。
Posted by わめ at 2006年09月01日 15:19
自分が不幸だと思わないことが幸せ。
 
 

これを思いついた今、結構幸せな気分。
Posted by 犬のメメ at 2006年09月01日 15:55
お!メメさん哲学者!
Posted by できたよ at 2006年09月01日 16:11
> 自分が不幸だと思わないことが幸せ。
> これを思いついた今、結構幸せな気分。

 メメさんのように、自分なりに模索し答えを見つけ生きていける方とは、お互い遠慮なく論議し合っていきたいです。


 ここからはメメさんに対してではなく、ここをみてくれる方にお願いです。

 人によっては心のサナトリウムや、悲しいですけれど(心の)ホスピスも必要な方もおられるでしょう。
 そのような方にまで、自分の意見を主張しようとは思ってもおりませんし、宗教その他も不必要とは思いません。

 おそらくここに書き込んでくださる方も、同様のお考えだと私は勝手に思っておりますが、このように、例外があることを踏まえての皆さんのご意見であることをご理解の上、ROMなりコメントをして頂くなりお願いしたいです。
Posted by わめ at 2006年09月01日 16:26
物理的、経済的欲求が満たされるのが絶対的幸福なら、
ベンツに乗ってブイブイいわせてた昔のわめさんが幸せで、
今のわめさんは不幸のどん底になる。わはは。

ま、昔のわめさんが不幸というわけでもないやろけど。
今は経済的欲求では不幸、知的欲求では幸せの絶頂。

何らかの欲求を満たされるのが絶対的な幸せやなかろうか?

贅沢したい、皆に認められたい、より良く生きたい、
人のために生きたい、普通に生きたい、無私に生きたい、
その人なりの、生きたい生き方ができたら幸せやで。

たまには、ええこと言おうと思うたら、わけわかめ。
Posted by 三九郎 at 2006年09月01日 16:30
> ベンツに乗ってブイブイいわせてた昔のわめさんが幸せで、

 ベンツも半年に一度くらいは買い換えておりました。(^^;
 土壌を選ばず多くの畑に種まきしたいなら見た目は重要でしょう。^^(謎
 でもそれでは肥沃な土壌、畑からは敬遠されるのかも。

> 今のわめさんは不幸のどん底になる。わはは。

 うーん、ってことで今の私も案外幸せなのかも。(*´∇`*)

 ええことはたまにしか言えない三ちゃんなので仕方ないけど、あとは(ー_ー )ノ" いらんっ  ├┼─(三)
Posted by わめ at 2006年09月01日 16:42
キリスト教的に言うと
 
いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべてのことに感謝しなさい。
(テサロニケの信徒への手紙ー第5章16ー18)

日本的??だと
吾唯足るを知る。われただたるをしる。

出元は別でも似たような意味だと解釈をしていますが、私の好きな言葉であり好きな感覚です。
 
例えば幼少の頃の私の家庭はかなりの貧乏で、少々貧乏自慢をしたいぐらいですが、不幸だとは思ってなかった。今思うとかわいそうな子供だったわけですが・・。
 
「人のために生きたい」と願い、またそういった生き方をし、周りからそれを認められたとしても、当の本人が「まだ足らない、もっと人のためにっ」ってあせってたらなんか幸せじゃない気がする。
 
どこかの「戦う宗教」を信じてる人から見ると、私の考えは生ぬるく感じられるのかな?なんて最近思いますが、「今の状況を受け止め、感謝する」ことが出来ればどんな境遇であっても自分で自分のことを不幸だとは思わないのに、と思います。
Posted by 犬のメメ at 2006年09月01日 17:06
もう、わめきちんとこ、コメントしたらへん!
Posted by 三九郎 at 2006年09月01日 17:08
こんにちは。^^

幸せかあ。
私は、周りの方が、笑顔なのがうれしいなあ。
あと、自分がこうなったらいいなあっては思うけども=努力ね、他人と自分を比較したくないですね。
誰にでも、幸せは平等にあると思うし、誰かが幸せだからって、自分のが減るわけじゃあないもん。
足のひっぱりあいって、おかしいって思うんだ。
みんなそれなしに、いろいろかかえてるんだしさ。

「生きてるぞー」って感じる時、幸せだよー。^^
Posted by ほしのしずく☆ at 2006年09月01日 17:17
学会員の頃、ご祈念は何でも書け。と言われたな。ごつい願わんでも叶いそうな事。子供が早く九九を覚えれるようにとか?書いた事はないけど。絶対的幸福と風呂敷広げて、思い切り世俗的、現世利益を幸せと言わせる体験発表が多かったもんな。

でも、もし信仰で幸せなんて、言うなら。他の人より信仰を持つ事によって強くなり、弱者に対して優しくなれる事やと思いますけどね。優しく出来る自分に喜んでしまうような、弱者に対して責任感ある人間に生まれ変われるような、

で、おのずと信頼されたり、尊敬されたり、それに伴い仕事も富も、自然発生てきに生まれてくる。あくまでも信仰の結果生ずる物が、功徳とか幸せと言う感情になるのではないですかね。

現世利益を強調するのは、ちゃうやろ!とはいつも思っていました。
Posted by できたよ at 2006年09月01日 17:29
>いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべてのことに感謝しなさい。
(テサロニケの信徒への手紙ー第5章16ー18)

これええね。

仏教やと、幸せになりたいと思わなくなったときが幸せやね。

「何々になりたいって」思ってるのは、今の自分に満足してないちゅうことやで、「何々になりたいって」思いが強ければ強いほど、強力な自己否定が入るから注意が必要。

やで、何か願いごとをする時は、ちょっとガンバレバできるような事を願いましょう。



Posted by ナマズ at 2006年09月01日 18:50
わめさま、はじめておじゃまいたします。
非学会員・被折伏者のさあやといいます。

諸行無常・栄枯盛衰の世界観が根底に流れる仏教と常勝・組織繁栄!の違和感にたまげています。

集めたものは何ひとつ残らない。
与えたものだけが、残る。
人の一生の価値は、それで決まる。

上の価値観は学会員一世の友人が語ったもので、
与えるものが得るものという点で共感できます。

確かに、ほんとうに超ハッピーな人は、自分が幸せだなんていわないといわれたりもしますよね。
〜になりたい!と願っている限りは、〜になりたいと思っている自分にしかなれない、とも・・・。

私はいつも「最善の結果をください」と祈ります。
みなさまのコメント、深くてとても勉強になります。




Posted by さあや at 2006年09月01日 19:22
 皆さん、こんばんは。さあやさん、こちらでは初めまして。^^

 三ちゃん

> もう、わめきちんとこ、コメントしたらへん!

 (* T-)ヾ( ̄▽ ̄;) ヨシヨシ


 創価学会も初期仏教もキリスト教も、何かのための教えなのでしょうが、どの宗教の教えが素晴らしいか、あるいは優れているか等は、また別の機会にでも話し合うのもいいかもしれませんね。


 あーあさんのコメントをうっかり読み流してしまいましたが、「宗教酔い」とのご指摘、私はなるほどと思いました。
 お酒や宗教も、たしなむ程度にはよいかもしれませんし、また仕事や趣味、研究題材として追求もよいかもしれませんが、泥酔しちゃうと弊害が出ちゃうものかもしれませんね。これは哲学や科学でも何に対しても同じことが言えそうです。

 お酒は飲んでも飲まれるな。いい標語ですね。
 お酒やタバコや宗教を売り物とし、商売とするのは違法行為ではありませんが、受用者は心身共の健康に留意していきたいものです。
Posted by わめ at 2006年09月01日 20:03
わめさんが感じている学会の社会的な問題ってどんなやつなんですか?
幸せ論の流れをぶったぎっちゃって申し訳ないのですが(^^ゞ
Posted by 犬のメメ at 2006年09月01日 21:28
 メメさん、こんばんは。^^

> わめさんが感じている学会の社会的な問題ってどんなやつなんですか?

 社会的な問題ですか、今までにもこのブログで( 今、創価学会に思うことカテゴリーや「教条主義はファシズム?」などで)書いております。
 ・・・ってお茶を濁してはいけないでしょうね。(^▽^;)

 私の知る事実としては「言論出版妨害事件」、「NTTドコモ携帯電話の通話記録不正引き出し事件」、「共産党宮本委員長宅盗聴事件」などがあります。
 参考程度によかったらどぞ http://www.forum21.jp/04/

 私の学会の社会的な問題として怖いと思うのが、組織的犯行と断定できるかはともかく、学会正義や広宣流布の名の元に、犯罪行為を犯してしまう学会幹部がいるということです。
 これは一部のイスラム過激派のテロ行為と類似性のある反社会的な行為であると思いますし、学会員にとって、学会思想が法律や社会的良識よりも優先されるような危険性を孕んでいるように思います。

 また犯罪にまでは至らなくとも、強引で執拗な勧誘行為等、学会員の良識を疑いたくなる迷惑行為等にも、「学会思想が法律や社会的良識よりも優先」するような学会員の思考を感じます。

 私は長年、学会員として学会活動をして多くの学会員を知っておりますが、このような行き過ぎた(学会思想が法律や社会的良識よりも優先)学会員や幹部は一部ではあるものの、このような幹部や学会員が組織の第一線で活躍していることも事実です。

 そして相も変わらず「学会正義や広宣流布」は学会の場や聖教新聞等でタコほど言われますが、それに比べて法律尊重や社会的良識云々については、そういやどっかで言ってたかな?程度です。

 う〜ん、切りがないし、私としては上記であげたことと関連するかは分かりませんが、協調性のある比較的温厚でナイーブな学会員が、信仰心を量られるかのような学会活動に重荷を感じ学会内で苦しんでいる姿が、一番の社会的問題のように思っています。

 メメさんのコメントに釣られ、何だか余計なことを書いちゃったような・・・汗
 (あとでこのコメント消しちゃおうかな。笑)
Posted by わめ at 2006年09月01日 23:09
わめさん、どうもです(^^)/

>メメさんのコメントに釣られ、何だか余計なことを書いちゃったような・・・汗
 (あとでこのコメント消しちゃおうかな。笑)

余計なことですか?
NTT事件に関しては、実行犯(学会員)は逮捕されましたよね。
でも首謀者は逮捕には至らず、未だ学会幹部として新聞にもたまに名前が載っていますね。
こういうことが許されている組織って、いったい…と思ってしまいます(-_-;)

内部の純粋な一般会員さん(過激な会員さんを除く)に比べ、本部内の影の部分はかなりドス黒い感じです。
『ナチスドイツのようになりかねない』と書いたら、三九郎さんからは大袈裟?深く考え過ぎだと指摘されましたが、そうでもないですよ。
学会がナチスになるというのではなく、国全体が戦争のできる国になるのに、学会が重要な役割を果たしてしまうということなのですけどね。
しかも平和や正義といった、そういう全然違うことをエサに活動していった結果そうなるというまやかしがあります。
これはこれで、とても危険なことだと思います。

学会員も他の日本人も危機意識が薄いけど、今の時代が戦前と呼ばれるものになる可能性があります。
もちろん他国では戦争があるのですが、この60年ほど戦争のなかった国、日本が…

信仰の部分で正しい部分もあるからとか、常識的なイイ人たちもいるからとか、そんなことで、この危険な方向性を許していてもいいとは思いません。
内部はもちろん外部の方も、もっと危機意識を持って訴えていってほしいかなと思います。
ただ学会に迷惑をかけられたとかじゃなくて。
Posted by ナウシカ at 2006年09月02日 00:53
わめさん、皆さん、こんばんは。

私は幸福というものはないと思って日々頑張る(過ごす)ことがもしかすると幸福かもしれないと思って生きてきましたが、学会(以下大衆宗教と記述します)の出版物や公式HPを見ると「幸福」という文字が目につき、いつから「幸福の科学(?)」になってしまったんだという思いです。メシが食えて少し
インターネットが出来るだけでも世界的に見たら(世界を100人の村だとしたら)相当幸福です。人が幸福を追求すること自体は悪くはないのですが、幸福の追求はきりがないです(少なくとも仏教は幸福を追求するための(だけの)教えではない筈です)。

大衆宗教は教学のおかしさもありますが、システムのおかしさもありますね。IT業界のビル・ゲイツは億万長者になりましたが、現在は社会奉仕活動に勤しんでます。儲けたお金を社会に還元しているのですね。大衆宗教はどうかというと、お金を財務させますが社会に何か還元はほとんどないですね。それだけでなく無理して精神的に痛手を受けたり幸福とは反対の方向の場合もあります。『小説人間革命』では僧侶への追撃の手を緩めるなとありますが、僧侶がいなくなった(から離れた)現在は幹部や職員を追撃せねばなりません。

今の大衆宗教は教学にしろシステムにしろあまりにも民衆を馬鹿にしていると思います(Leoはそのことを怒っています)。

戦争のこと。
インダス文明が軍隊を持たないために滅んだ(外敵の侵入を防げなかった)ということが教訓なように防衛力は国に必要ですが(スイスやスエーデンが理想かもしれません)、世界で見られるように誰かの幸福のために誰かが不幸になるというということについては反対です。
Posted by Leo at 2006年09月02日 03:24
(続き)

私は以前Libraさんから逆折伏を受けたぐらいの時期映画の『マトリックス』を観ていて、もしかすると現在の大衆宗教は「マトリックス」みたいなものかと悟達したです。

「マトリックス」システム(反乱したコンピュータ)は人間にバーチャルリアリティの夢を見させて熱源
(エネルギー源)として利用します。

大衆宗教界においては高度なコンピュータシステムや人間に直結する電線がなくとも活字やビデオなどの従来メディアや口コミだけで脳内に強力な仮想世界を構築することが可能です。
Posted by Leo at 2006年09月02日 03:45
わめさん

こちらではお久しぶりです^^;
出勤前なので手短に。

>協調性のある比較的温厚でナイーブな学会員が、信仰心を量られるかのような学会活動に重荷を感じ学会内で苦しんでいる姿が、一番の社会的問題のように思っています。

私もその通りだと思っています。
そしてナウシカさんのご意見も、Leoさんのご意見にも賛同します。
いろいろ書きたいんだけど時間が(汗)

ただ、わめさんがコメント消そうかな、とか書くから焦っちゃったのよ(笑)。
いいコメントなんだからそのままにしておいて〜
Posted by 道楽猫 at 2006年09月02日 07:20
おっはようございまっす^^

皆さんが幸福論で語ってるから、私一人嫁てなくてスルーかと 自分の読解力に悩みそうでしたが、宗教酔いは伝わったようなので一安心^^。で、味をしめても少し書いてみます^^;。

酔った人の話は素面の人には中々受け容れ難いですよね よっぽどウマがあわないと・・。
(ウマの合った人も追い付こうとして必死に酔おうとしますな^^;)
大体は素面の人にドン引きされ迷惑を掛け、醒めた時に赤面すると思います。
恥をかいてしまった と思う筈・・・卑小・矮小感を。そして学習するでしょう。
酔い過ぎはイケテナイ!と^^;

私もそうですが中々人は酔いの行為も含め、過ち・誤りを認めませんし、恥を嫌がります。
それで意識・無意識的に厚顔無恥と云う手を使い、尚癒される為・上部に立ちたい為に酔っ払いと云う同類項へと逃げ込む・・。それが問題とされる創価活動家であり、家・憩いの場である学会組織であるかと思います。
そうした人を創価システムが創り出し、未熟性そのままで活動、保護、助長している意味は、当然利益として彼・彼女等を利用する為であると考えられる。その指揮は学会中枢部であり、責任の帰結は何度考えても変わる事がありません。
(無論、個人の弱さ等の責任もありますが、個人より束ねる者(騙し?)の責任が遥かに重大だと思います)

学会の云う絶対的幸福を少し猫さんのとこで教えられました(ホントに少し^^;
あらゆる不幸・苦を受け止め起き得る事とし、それらさえ幸・楽と思える境涯(?)となる事、、だたか。
それならある程度もう実践してま〜す と、思いました。メメさんのとこで、トラブル歓迎の社会ってありますか?と、穏やかな社会生活を肯定した私ですが実はトラブルと云うかドキドキ大歓迎なのですね。もう幾らでも来い!と云うくらい^^ でも嫌なモノは何時までも嫌で、ワカランチン問題はノー・サンキューですし病は開き直るしかないと思ってます。
それで、苦さえも幸と感じる者(脳内変換?)のみで構成される世界ってどんなモンなのでしょうか。
聖人君子のみの世界って・・・ 対極者に全滅させられる可能性が高いですね。
大体モノには遊び・揺らぎ・多様がないと脆くて弱いと思ってます 雑種・混血文化のように。

政治・防衛論は収拾付けきれないので止めときまっす^^;。 
創価のついて思う事 長文と???で失礼しました。 
Posted by あーあ at 2006年09月02日 09:41
わめさんへ。お久しぶりです。

>ベンツも半年に一度くらいは買い換えておりました。(^^;
 土壌を選ばず多くの畑に種まきしたいなら見た目は重要でしょう。^^(謎

う〜ん、そうでしたか。すごいな。私のような者にとってはとてもためになるお話です。(マジメに)

人間、やはり「基本的欲求」の方を充足させることが大切でしょうね。(だからわれらが名誉会長殿も行動で示された。。?)

論文書いて、他人から褒められたって、「基本的欲求」の充足にはなりませんので。別な意味で満足感は得られますが。


Posted by 軒ちゃん at 2006年09月02日 14:18
 皆さん、こんにちは。^^

ナウシカさん

 危険な方向性ですか、学会はファシズム傾向の強い団体だと私は以前から言っていましたが、学会員一人ひとりの頭で、善悪の判断を下し自由に言動していけるなら、そんな心配はいらないことと言えるかもしれませんが、学会員一人ひとりの考えを我見と非難し、「学会正義・広宣流布」の名のもとで思想統制される現状況は、ファシズムというよりむしろナチズム傾向の強い団体と言う方が相応しいのかもしれませんね。


Leoさん

 現在の大衆宗教は「マトリックス」みたいなものと悟達されましたか。
 私も同感です。
 精神的疾患や精神的未成熟な方への心のリハビリ・サナトリウム施設として、救いようの無い方への心のホスピスとしてなら、「マトリックス」システムも弊害が少なく有効な手段と言えるとは思いますが、幻想に依存させ、自立を阻むような「マトリックス」システムならば有害無益だと思います。


道楽猫さん

 コメントそのまま残しておきますね。^^
 またお時間がある時に、コメントくださいね。(^-^)


あーあさん

 人間は誤りの多いものですが、誤りを訂正するのではなく昇華などと、その誤りを正当化するような大変都合のよい考え方もありますが、正当化主義的思考は権威主義を阻まない、むしろ権威主義を助長する危険な考え方であるように思います。
 また、人は中々過ち・誤りを認めないとのご意見について、私なりに後ほど別途コメントしたいと思います。


軒ちゃん

 お久しぶりです。^^
 「基本的欲求の充足」ですかw
 基本的欲求は人間の意欲を駆り立て、いい意味では向上心を育むように思いますが、基本的欲求の充足は、今の私には果てしない旅に出るような感覚です。
 旅を振り返えれば、その旅の途上はその都度充たされていたのに、今後の旅の行方ばかりを思い描き旅は終わらない。
 なんてことを思ったりするのですが、これは勝手気ままな旅を続けた者の戯言なのかもしれません。汗

 でも人間は、愚かかもしれませんが、やってみなきゃ分からないことってありますよね。

 軒ちゃんとも機会があれば、リアルで会って語り合いたいです。^^
Posted by わめ at 2006年09月02日 18:00
 あーあさんの、人は中々過ち・誤りを認めないとのご意見について。

 人間は、それが自分で考えたことであれ人の考えであれ、自分なりに正しいと思うことを構築なり、選択なりしているんじゃないかと思います。

 建築物で考えた場合、自分で考え建てた建物の構造は、微に入り細に入り自分でよく分かりますが、他者の建てた建造物は、自分で建てた経験のない者にとっては、説明を受けたり見た目や触れたり、図面を見ても自分の知る知識の範囲内でしか分かりません。

 自分で建てた経験のない者にとっては、耐震偽装問題でも明らかなように、その建造物に問題ないかどうか、いい建物かどうかさえ確かめられないのです。
 自分で建てた経験のない者にとって、明らかな欠陥が判明するまで、あるいは判明したとしても、自分では確かめられないから、誤りを認めるのが難しいのではないでしょうか。
 まして自分で選んで、その建物に住む者にとっては、欠陥のある建物と認めることの精神的苦痛は計り知れない程ではないかと思います。

 この例えで言えば、自立とはどんな不恰好な建物でも、まずは自分で建ててみることだと思うのです。
 そして欠陥を補修し、住める家として、快適な建物としていくことが大切なんじゃないでしょうか。
 自分で建てることもできず、建売住宅に住むことは、自分の答えを構築できずに、他者の答えを選んでいるだけに過ぎず、自分の買った建売住宅には欠陥がないと、自分に言い聞かせているといった状態なのではないかと。
Posted by わめ at 2006年09月02日 19:00
わめさん、皆さん、こんばんは。

Libraさんから犀角独歩さんの興味深い記事を教わったので紹介したいと思います。

戸田会長はもともと「釈迦・日蓮同仏論」だったのが、小樽問答から「釈迦・日蓮別仏論」が
主流になったとのことです。

○ 戸田城聖講述『日蓮正宗方便品寿量品精解』 (犀角独歩さん)
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/18203465.html

「近代の創価学会の教学は釈迦・日蓮別仏論であると、個人的には思ってきた。
 しかし、この書で読み限り、戸田は、そのようにとらえていない。」

○『小樽問答誌』 再読 (犀角独歩さん)
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/19475335.html

「当の「法論」では、創価学会は身延側の雑乱勧請を責め、日蓮宗側は板漫荼羅と日蓮本仏を責める。
 しかし、議論になっていない。互いに言いたいことを言い、応えが答えになっていない。
 また、創価学会の言うところの正義とは日蓮正宗の正当性であって、仮にこれを勝利とすれば、
 いま創価学会が批判する日蓮正宗の勝利を刻んだのが小樽問答と言うことになる。
 となれば、50周年を節とする創価学会の「勝利史」の語りは完全に破綻することになる。」

「教学上の遣り取りは割愛するが、戸田城聖著『日蓮正宗方便品寿量品精解』で
 論じられる本仏論は釈迦・日蓮同仏を採るが、小樽公会堂で語る小平は
 この別仏を論じる如くである。その後の創価学会の流れは、むしろ後者となったように思う。」

○ 渡辺義一著 『小樽問答の真相』 を読む (犀角独歩さん)
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/19007773.html

「「宗門内外にセンセーションを惹起した事は事実であるが、詳細に、その経過を検討すれば
 全く一ぱい喰わされたことになる。勿論、問答の内容に至つては、又何をか言わんやである」(p.1)」

絶対であるかのような教義も時代によって変化するのですね...
それにまた「小樽問答」はひとつの神話(伝説)であったようです。
Posted by Leo at 2006年09月03日 01:16
 わめさん 皆さん こんにちわ

>まして自分で選んだ、その建物の住む者にとっては、欠陥のある建物と認めることの精神的苦痛は計り知れない程ではないかと思います。

特にこの部分が誤可謬の可能性を拒否する姿勢に現れているなあ、と思います。
今まで培ってきた努力や思い・時間やお金を失いたくない思いから固執してしまう・・皆が持つ普遍の欲となりますか。

無意識のうちにもこの見返りを期待する思いが「恣意性」として無批判に擁護へとなって表れると思います。投資したモノへの対価を求める 見返りや利益(この場合物質に感情の満足も含む)がバックされる前に崩れる事を恐れる。
例えば学問や技術もそうですが、苦労して憶えた事が根底から崩れると我を見失う事になります。それを本能的におそれるのも自己保存本能の一部であり仕方のないことですが時代に取り残された時、取り返しのつかない事態にいる自分に気付いて、それこそ・・
(かつて溶接技術で不可能と云われたアルミ溶接が可能になった時、高温を低温に切り替えれなかった人が自殺という事件もありました。また物理学者は目の前で起こった所謂、超常現象・自分の持つ知識で説明の付かない事を見えない、と言い張るそうですね)

本来、信仰やボランティアは自分の裡にある真心で裡に向かい行うモノだと思います。
突き詰めれば欲そのものを持たない事になるわけですが。
そうした滅私の行いが結果的に世の為人の為になるのかなと(殆ど理想論ですね リアルで見た事無いです)。
わめさんが記事で仰られている部分だと思いますが、対価・利益 現世の幸福を約束する教義に欺瞞を感じるのは当然だと考えます。世俗過ぎるのですね 憧れも尊敬も出来ない つまり無宗教の私と何等変わらない。

未熟で修行中の私達が盲目となる事は悲惨な結末を迎える可能性が跳ね上がる事となりますね。
せめて未熟だからこそ懐疑を持つもう一人の自分を標準装備でいたいなと思う次第・・
(全方位レーダーもイイ by祥子さん^^)
Posted by あーあ at 2006年09月03日 10:59
 Leoさん、あーあさん、こんにちは。^^

Leoさん

 犀角独歩さんといえば、Poh師匠の信頼すべき友人で、浅学の私ではありますが、Poh師匠より私のスタンスと相通じるところがあるとのお言葉を頂戴しました。(滝汗)
 お世辞でもすごくうれしかったのでどうでもいいこと書いちゃいました。爆
 種を明かすと、犀角独歩さんと私のスタンスの相通じるところとは、犀角独歩さんのお言葉を借りれば「それまで、永年に亘り、人生の大半を賭けてきたことを否定する真実。その事実を受け入れることは、たしかに苦痛が伴いました。」との一点だけなのかもしれません。涙

 犀角独歩さんは、『日蓮本仏論は、恵心流口伝法門「止観勝法華劣」「天台勝釈迦劣」を「御書勝止観法華劣」「日蓮勝釈迦劣」と焼き直した中世の捏造であることは、ほぼはっきりした。』と言われていますね。
 また、下記1706で、御本尊についても語っておられます。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1039933512/nt1705-1707

> 絶対であるかのような教義も時代によって変化するのですね...
> それにまた「小樽問答」はひとつの神話(伝説)であったようです。

 時代によって変化する教義も、神話に過ぎないことでも、信じて疑わない人にとっては真実なのでしょう。
 訂正の利かなくなった人の受け皿として、またそうさせてしまった責任を学会は、せめてリハビリ・サナトリウム、ホスピス的役割くらいは果たしてほしいものです。


あーあさん

 現世利益を謳う学会的信仰は、鼻っ面にニンジンをぶら下げられ、それのみ追いかける盲目的会員を作りあげるためにあるのかもしれません。
Posted by わめ at 2006年09月03日 12:20
わめさん、こんばんは。

>また、下記1706で、御本尊についても語っておられます。

御本尊についての雑感です。

独歩さんは宗祖の直筆の御本尊が一番で僧侶の書写がよいというお考えですね。
Libraさんは出版物の法華経が手書きの法華経と内容が同じであるように
内容が同じならば御本尊に差はないという主張をされてました。
(基本的には誰が書写してもよいとのことでした)
宮沢賢治は手帳の『雨ニモマケズ』の詩の後に御本尊の書写(シンプルなもの)
をしてました。
ドプチェクさんは学会の御本尊をお巻きしてインターネットでダウンロードした
宗祖の直筆の御本尊を印刷して御安置しているそうです。

御本尊(曼荼羅)を仏像と比較してみるとわかりやすいと思いますが釈迦の仏像が
時代考証が正確でかつインドの釈迦の写実的な彫像でないようにニセモノといえば
ニセモノでホンモノといえばホンモノです。
それにそれは一見偶像崇拝のようで偶像崇拝ではないのではないかと思います。
(偶像を否定するキリスト教でキリスト像やマリア像が存在するように)
御本尊は心の中に仏を呼び起こす(勧請)ためのものではないでしょうか。

確かに学会の御本尊の用意のされ方はショボいことはショボイですが
(ショボイだけでなく「題目」と「日蓮」の字がほぼ同じ大きさで宗祖本仏論派
にとって都合のよいものとなっています)
独歩さんの宗祖の直筆の御本尊(モノ)に対するお考えは宗祖本仏論を否定
しながらモノ信仰や宗祖信仰が残存しているように思えてしまいます。
(独歩さんは博学な方で参考にさせて頂くことが多いですがこのように従い
にくい点もあると思います)
私はLibraさんの主張を参考に御本尊はそのままにしてます。
Posted by Leo at 2006年09月03日 22:55
 Leoさん、こんばんは。^^

> 独歩さんは宗祖の直筆の御本尊が一番で僧侶の書写がよいというお考えですね。

 うーん、ここで止まっちゃうと、独歩さんのお考えとはズレが出てきちゃうと思うんですよね。(^^;;
 この部分では、絵画で例えれば原画と複製画では値打ちが違う的な感じですが、「釈尊究極の教えであるなどということはもはや虚偽の範疇を出ない。」とのコメントからは、直接的ではないものの「どんな御本尊でさえ虚偽の範疇」とのお考えではないかと私には思えます。
 ですから少なくとも私のリンクした独歩さんのコメントからは、「モノ信仰」は残存していないように私は考えます。

 また「宗祖信仰」についても同リンクでは、「上記挙げた15の事実に有らざるところを、では、受け入れて、それで何が残るのか、残るものが有るか無いか。有るとすれば、それは何か。また、それしか、事実で動く実社会では説得力を持ち得ないと言う事実もまた受け入れ、何があるのか、それを考えてみようと言うのがわたしがいう「21世紀の日蓮」ということです。」とのご意見ですので、「宗祖信仰」が残存しているようにも、また日蓮仏法を信仰しているとも、私には読み取れないです。
Posted by わめ at 2006年09月03日 23:29
わめさん、どうもです。

>ですから少なくとも私のリンクした独歩さんのコメントからは、「モノ信仰」は残存していないように私は考えます。

ううむ。わめさんがリンクされているところではそのようです(汗)。

しかし、他のご発言では御本尊に優劣のある発言をされています。
(御本尊に優劣のあるご発言を「モノ信仰」と思ったのは飛躍しすぎだったでしょうか)

No.2215
「わたしからすれば、身延の売店の本尊のほうが、よほど、ましに見えます。
 ただし、漫荼羅は、やはり、墨書きの原本を、僧侶に書いてもらったものは、印刷とは比較になりませんね。 」

No.2219
「むしろ、こんなものを、よくぞまあ、本尊として、拝むものだと呆れているといったほうが合っています。」

「21世紀の日蓮」として御本尊の平等性を期待しているのですが...
「絵画で例えれば原画と複製画では値打ちが違う的」は確かにそうですね。

「マトリックス」の件(雑感)
>現在の大衆宗教は「マトリックス」みたいなものと悟達されましたか。
>私も同感です。

もしかするとバリバリ会員さんが世間の方が「マトリックス」システムと主張するかもしれません。
(これを名づけて相対性「マトリックス」理論?)

世間(娑婆世界)と大衆宗教を比較すると、世間ではコマーシャル見て物が買いたくなったり、
公共に税金取られるかもしれませんが、製品には保証があるし、公共からは広く社会保障が受けられますね。
大衆宗教ではうまくいかないとあなたの信心が足りないせいです残念でした〜、
取れるものだけ取ったらハイそれまでよなのではないでしょうか。

>精神的疾患や精神的未成熟な方への心のリハビリ・サナトリウム施設として、救いようの無い方への心のホスピスとしてなら、
>「マトリックス」システムも弊害が少なく有効な手段と言えるとは思いますが、

それらは宗教団体の行う公益事業として有効なものと思います。

>幻想に依存させ、自立を阻むような「マトリックス」システムならば有害無益だと思います。

幻想に依存させ自立を阻むのは(釈尊にも宗祖にも反するだけでなく)社会にも反することですね。
Posted by Leo at 2006年09月04日 00:49
 Leoさん、どもです。^^

 独歩さんのお考えについては、私が分かったつもりになってコメントしたところで、やはりご本人にしか分からないことだと思います。
 また、私の推測する独歩さんのお考えからすれば、その私の推測をここで書くことは独歩さんのご意志に反すると感じられますし、独歩さんの一助になりたくはあっても妨げにはなりたくありませんので、この件に関する私のコメントは控えさせて頂きます。ごめんなさい。


 大衆宗教を信仰しない方達もそうかもしれませんが、大衆宗教を信仰する方達にとっては、自他共の幸せを願っているんだとの自負があるのではないでしょうか。結局、何を信じるか、信じないか、価値観の相違等はあるにしろ、悪い方達ではないのでしょう。
 ただ、独善的思考、独善的信念かな?を持ってしまっていることは非常に残念に思います。
 詐欺に引っ掛かるのも、大衆宗教というマトリックスシステムにハマりこむのも、一面的には自己責任であるとも言えると思いますし、そういう被害者を反面教師とし、社会に役立っているとの見方もできましょう。
 ただ、こういう私の見解が、正しいと断言できるわけもなく、正しいと思い込んでしまうならば、それもまた独善的思考、独善的信念となってしまうと思います。
 可謬性を、他者に向ける以前以上に自分に向けないと、ミイラ取りがミイラとなってしまう可能性は大なのではないでしょうか。

> 幻想に依存させ自立を阻むのは(釈尊にも宗祖にも反するだけでなく)社会にも反することですね。

 釈尊の教えに反すると思う学会員さんは、日蓮さんの教えに反すると思う学会員さんよりも圧倒的に多いとは思いますが、これらに比較して、どちらの教えにも反しないと思う学会員さんが圧倒的なのではないでしょうか。
Posted by わめ at 2006年09月04日 01:37
わめさん。

確かに掘り下げるのであれば独歩さんに直接尋ねるべきことだったかもしれません。
(御本尊の件で以前独歩さんとLibraさんの主張が平行線だったので結果は予想できそうですが)
ただそういうこと(御本尊の優劣)は瑣末時で、独歩さんのやられていることは大衆宗教を含めて
反省を促すものであって有用です。わめさんのお気持ちを了解しました。

>可謬性を、他者に向ける以前以上に自分に向けないと、ミイラ取りがミイラとなってしまう可能性は大なのではないでしょうか。

そのことはそうですね。考えてみないといけません。
(たとえば戦う敵と味方は似通ってくるものなので)

>釈尊の教えに反すると思う学会員さんは、日蓮さんの教えに反すると思う学会員さんよりも圧倒的に
>多いとは思いますが、これらに比較して、どちらの教えにも反しないと思う学会員さんが圧倒的なの
>ではないでしょうか。

楽観は許されないですが...ネット時代にもっと客観的事実が知られていくとよいと思います。
Posted by Leo at 2006年09月04日 02:05
 Leoさんには、いつも甘えてばかりのわめです。^^

「これらを独り言のようには書けないもので気心知れたLeoさんを活用させていただいております。(^^;;」

 以前にもこのように書きましたが、Leoさんは私にとって、EnjoyLife界隈一番のお友達です。

> 楽観は許されないですが...ネット時代にもっと客観的事実が知られていくとよいと思います。

 強い願望が、私的には欲に属するとおぼしき思いが、知ることさえ拒否してしまっているように思います。

 「武士は喰わねど高楊枝」、アリ地獄を決め込むわめでした。(何のこっちゃw笑)
Posted by わめ at 2006年09月04日 02:20
話題休閑でちょこっと数字のお遊びをしてみます。

○ ゲマトリア gematria
http://www.nn.iij4u.or.jp/~hsat/misc/music/gematria.html

「もう一つのやり方として a を 100 とし, 以下 b を 101, c を 102 と一つずつ加えていって
 z が 125 となるものがある.このやり方で Hitler が 107 + 108 + 119 + 111 + 104 + 117(※訂正)
 = 666 となる。」

このゲマトリアだと、
師弟 SHITEI = 118 + 107 + 108 + 119 + 104 + 108 = 664
先生 SENSEI = 118 + 104 + 113 + 118 + 104 + 108 = 665
となります。もうちょっとで666だ。危ない危ない。

○ 別の話題「反キリスト」

キリスト教の一部の思想に「反キリスト」の出現の後「キリストが再臨」するというものが
ありますが(神秘思想ですが)、仏教でも(神秘でなく実際にですが)「反釈迦」の出現の後
「本当の仏教」が知られていくのかもしれません(学問的成果が大です)。

「見えるところは敬虔であっても、その実を否定するというところが大切です。
 背教とは、教会に来なくなって、世俗的なことにどっぷり漬かっているようなことを
 言っているのではありません。そうではなく、教会という装いをして、
 いかにも良さそうなことを話し、行なっていたりするのですが、
 イエス・キリストの福音を台無しにすることが背教であります。
 実に宗教的な姿をもって、信仰から離れるのです。」

「反キリストは、だれの目でも分かるようなかたちで、その正体を現わします。
 それは、すべて神と呼ばれるもの、礼拝されるものに反抗して、自らを神とし、
 黙示録によると、他の者たちにも神として拝むように要求します。」

(ロゴス・ミニストリー、http://www.logos-ministries.org/

仏教界でも「反釈迦」はありそうですね。
Posted by Leo at 2006年09月05日 01:08
おひさし〜

わめさん、種まきに相当畑をあらしたかw(意味不明w)

メメさんとこで書こうと思いましたが、こちらに失礼します。
メメさんは相手に「イエス」と言わせる文体がとても上手ですね。ダジャレじゃないけどwイエスの信仰者はすばらしいなと思います。

さて、先日某大学で宗教学を学んでいる友人とお話をしてきました。
日本の宗教問題、カルト問題にも詳しい島薗教授に直々に学んでいるそうです。
(この教授に関して詳しくはウィキペディアで調べてね。日本ではパイオニアでしょう)

その授業でレジュメ(ミニ冊子)がしばしば配られるそうですが、
「外部からみた創価学会と日蓮正宗の歴史」というものも配られたそうです。

友人の彼女の彼氏はSGI会員(SGIと日本の創価学会とは若干違うのですが、聞いている限り彼はとても良識的な方です)で、私もしばらく彼女に日本の創価学会に関することをいいところも悪いところも伝えてましたが、加えてそのレジュメや授業で学んでいるうちに学会の問題については彼氏の意見だけでない第三者的な目を持てたようです。
彼氏の学会に関する意見(例えばいかに学会が優れているか、などの意見)も一信者の意見なのだという認識を持っています。

創価学会に関する問題は、創価学会信者の視点と非学会員の視点でも違う事、学会員はその認識のうえでどれだけ問題を捉え、
「あくまでもこの意見は信仰者の立場からの意見である」ということ、信仰者以前に「自分の解釈や認識である事」や、自分の認識外の出来事について理解できるか、ということをしっかりとらえています。

ネット上のアンチ&シンパの論争だけでなく、現実として学会に関することを研究し考えている方もいらっしゃいます。
そういった方達の為にも、学会問題に関することはどんどん意見を述べていくことがまた意義のあることかもしれません。
そしてそれは現実でもネットでも有意義なのだろうと思います。

また、日本脱カルト協会のシンポジウムが11月に静岡で行われます。
http://www.cnet-sc.ne.jp/jdcc/activity.htm#20061111
都合つけば参りたいと思っています。
Posted by みれい at 2006年09月05日 01:48
私たちは結局のところおんなじ月を観ていた。

光り輝く月面の美しさに心を奪われてしまったか、影となって闇に隠れた真っ暗な部分がくっきり見えてしまったか。

ただそれだけの違いだった。

ルビンの壺のだまし絵のよう。視点を遠ざけると陰と陽の両面に気づく。違った姿が見えてくる。
 人に言われて気づかなければ見えないし、見たくない人には、永遠に見えない。
そんな、お月様。

ある時、活動家の友人を思いながらふと見上げた夜空を見て思ったことを書き散らしてみました。

わめさま以上にわけわかめ☆な、さあやです。
Posted by さあや at 2006年09月05日 02:05
 皆さん、こんばんは。^^

Leoさん

> 話題休閑でちょこっと数字のお遊びをしてみます。

 あは、私はさっきまでLeoさんも言ってた粒子と波動の二重性の疑問から、物質の場と力の場は場の相互作用が生じるという一元論に還元される(場の量子論)とのことで、ようやく頭の中がスッキリしてきました。
 まぁLeoさんと同じく、場の量子論、ゲージ理論で遊んでたってわけですけどね。
 同じ遊びでも、私の危ない仮説(ひ・み・つ)に多少なりとも真実性があるか、好奇心はそっちに向いちゃってます。汗


 宗教的な話題ですが、量子力学もそうですが、あと100年もしたら色々分かってくることもあって、その時代の人たちから、私のコメントなどは笑いの種にされそうで何だかなぁ〜って思っちゃったりもしています。涙

 うーん、後世の人達に笑われないようにわめは頑張っちゃうぞ。笑


みれいしゃん

 みれいしゃんは、ネットに使える時間が少なくなっているようで、わめも何だかしょぼんです。
(´・ω・`)ショボーン

> わめさん、種まきに相当畑をあらしたかw(意味不明w)

 Σ(=д=ノ)ノ アゥーン!! 軒ちゃんといい、みれいしゃんといい、目敏いですな。笑

> メメさんは相手に「イエス」と言わせる文体がとても上手ですね。ダジャレじゃないけどwイエスの信仰者はすばらしいなと思います。

 わだじの自然体だって負けてません! ってメメさんに対抗してどうすんだw爆
 私、愛って言葉は好きじゃないのですが、ボランティア活動で牧師さんや多くのキリスト系の信仰者の方とも交流がありましたが、愛の意味合いから言ってもキリスト信仰者の方はそういう面があるように思います。(他者を理解しようとし、そして神の御心(愛)に触れさせようといった)


 有用な情報、ありがとうございます。
 人は、それが宗教であれ哲学であれ、自分が信じていることに大きく左右されるものかもしれませんね。
 私だって当たり前教の信仰者なのかもしれませんし。

> 自分の認識外の出来事について理解できるか、ということをしっかりとらえています。



> 学会問題に関することはどんどん意見を述べていくことがまた意義のあることかもしれません。
> そしてそれは現実でもネットでも有意義なのだろうと思います。

 このこと、Poh師匠からメールやお電話で伺ったことと関連すると思うのですが、自分が認める認めないはともかく、情報・知識として記憶にないことは理解も判断もできないと言っておられ、相手に理解されようがされまいが、とにかく相手の知らない情報を提示することは大切なことであると言ったようなことをお聞きしました。(自分の中で消化し切れてないので怪しいですがw Poh師匠、間違っていたらごめんなさい。汗)

 私も長く盲信学会員であったことは、今は有意義なことだったと思えるようになりました。(^-^)


さあやさん

 わけわかめ仲間の私としましては、さあやさんのソフトなコメントに込められた心情は、痛いほど分かるなどと妄想してしまいました。涙
Posted by わめ at 2006年09月05日 04:20
 焼酎飲みながら量子力学(ゲージ理論のところで酔いが回ったw)で遊んでたら悪酔いしたのか、↑のコメントは酔っ払って書いてしまいましたw汗

 ってことで失礼があるかもしれませんが、何卒ご容赦下さい。m(。_。;))m ペコペコ…
Posted by わめ at 2006年09月05日 04:30
いや〜〜スゴイ、皆さま。圧倒されちゃう。コメントに骨格があり、イリコ食べてる人のコメントだ。みれいさんの、コメントの中に「信仰者の立場としての」と前フリがあったら、もう少しメメさんの所でも話し合う雰囲気かわるでしょうね。
 何が何でも正しいとされると、やっぱ「どこがヤネン!」となるもんな。

 会員の時の、上司からの部下への折伏を見聞きし強引さに嫌なものを感じ、折伏している人に、自分の方が年上なんで、注意した事があるんですよ。「なんぼ上司とゆうたかて、狭い道から広い道に出るときは、広い道の自動車が優先やで、
広い道を部下がハシットルからゆうて、強引に割り込むべきではない。」と話の流れで10歳ほど年下の先輩会員に喫煙所で話したら。

「狭い道も広く出来るのが信心です。」と反撃くらったね。常識は常識でしかない。

あんまり危ないので、辞めたけど。マトリックスかぁ。うまい事いわはるなあ。
Posted by できたよ at 2006年09月05日 10:45
 できたよさん、皆さん、こんにちは。^^

 一部の信仰心が厚く社会的良識を守らない学会員さんの非学会員に対する迷惑行為について、その迷惑行為自体は大善のための小悪との学会教義的認識があり、迷惑行為も許されるといった考え方が学会員の多くに見られる傾向のようです。
 迷惑行為自体は大善のための小悪でしかないから悪い行為ではないんだけど、迷惑行為を受けた方の学会に対する悪印象やその声を聞く者たちにとって、大善を受け入れ難くしてしまう影響が出てくるといった意味で迷惑行為は避けるべきとの認識もあるようです。

 つまりは、社会的良識を守らない学会員さんの非学会員に対する大善(迷惑)行為が悪いわけではなく、大善行為を迷惑行為と受け取る愚かな非学会員が悪いのだけど、非学会員には愚かな人が多いのは仕方ないから、「大善行為と比べれば、そんなのどうでもいいような社会的良識ではあるけれども、そんな愚かな人のために社会的良識もなるべく守っていこうよ」というのが、信仰心の厚い多くの学会員の本音なのじゃないかと思うのです。

 学会員さんの中には、大善行為を阻害するような社会的良識は悪であるとまで思っている方も(沢山?)いそうに思います。

 国に、言論の自由、信教の自由を守られながら、社会的良識や通念を軽んじる行為は、国に対し恩を仇で返す一種の反逆行為とまで言っちゃうと言い過ぎかな?
 でも「国に対し恩を仇で返す一種の反逆行為」も小悪で、それはこの国をよくしたいがための大善行為であると思う学会員さんも(沢山?)いらっしゃるかもしれません。

 うーん、どこまでいっても平行線かも・・・涙

 やっぱ独善的思考、独善的信念は怖いと思います。

 私にもこのような独善的思考、独善的信念がないか、あったところで結社を持たない私一人、社会に対する悪い影響の一つも与えられないのかもしれませんが、そうであっても独善的思考、独善的信念は怖いし嫌いだし、そんなものが自分にないか、改めて再確認してみようと思います。
Posted by わめ at 2006年09月05日 13:52
う〜〜ん
確かわめさんに教えてもらったのか?
自分の信じてるものに対しての「可謬」を頭においておけるかどうかなんでしょうかね。(こんな言葉ホンマに知らんかった。みんないつ覚えたん?)

「信じる」と言うことは時に大切で、時に恐ろしくもあります。そういう意味では上のわめさんのコメントは面白く深いですね。
 
>メメさんは相手に「イエス」と言わせる文体がとても上手ですね
 
こんなことは意識したことなかったです。うれしいかな♪

シンパさんと話すときに意識するといえばですね、意見の違うところに対してのクローズアップは少なめにして、意見が合致するところについて先にクローズアップすること、ぐらいでしょうか。
 
ただでさえ、少なからずお互いが「アンチなのか」「シンパなのか」を考えて話をしてしまう土壌がこの界隈には多く(私も含め)あると思いますので、まず最低限の地ならしはしないと前に進めないということは意識しますね。
 
しっかりアンチさんには苦々しく思われているかもとも思うこともしばしばですが。
Posted by 犬のメメ at 2006年09月05日 14:36
う〜〜ん、さあやさんにオソイカカロウとして、辞めた品行方正なわめさんの解説はすごい。
でも、もう一工夫はほしいですね。迷惑と思わせない、長い時間をかけて信仰を理解してもらうとかね。野菜の嫌いな子供に、細かく細かくした、ピーマンをハンバーグに詰、解らなくして食べさせるみたいな。少なくともイザコザはおこらないかも。まあ、微妙に恐い例えになるのかな。

なんぼ、信じてもらってもいいけど、組織に問題は全く無いという、惚れ惚れする無反省は、確信がなせる技ですかね。やめてほしいなあ。

会員と非会員、この間で起きる小さなモメゴトを未然に防ぐ手立てがないほど、学会はバカじゃないはず、やはり効率優先。営業戦略かな。

傍にきたら断固断り、追い返す。それでいいんだけど、近所の人押し売り扱いして、追い返す方の気持ちも察してほしいものですね。
Posted by できたよ at 2006年09月05日 15:30
 メメさん、こんちは。^^

> 自分の信じてるものに対しての「可謬」を頭においておけるかどうかなんでしょうかね。(こんな言葉ホンマに知らんかった。みんないつ覚えたん?)

 私もLibra師匠の受け売りで言っていますが、師匠はポパーの言説を吟味し採用されていると思います。
可謬主義は科学哲学者カール・ポパーが提唱した考え方です。^^
【カール・ポパー】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9D%E3%83%91%E3%83%BC

> 「信じる」と言うことは時に大切で、時に恐ろしくもあります。そういう意味では上のわめさんのコメントは面白く深いですね。

 この信じると言うことですが、初期キリスト教の護教家で、テルトリアヌス(三世紀初期)の言葉を借りれば「合理的なものは信ずる必要がない。不合理であり理解し得ないからこそ信ずる」と言われております。

 また佐倉氏は、「真実を知ればそれをわざわざ「信じる」という必要はありえません。知らないからこそ信じるという現象が起きるわけです。」と言われております。

 これらお二人の見解からは、「信じる」と言うことは、不合理であり理解し得ないから、それは真実を知らないからであると読み取れると思いますが、私もこのように思います。

 時間や状況、情報・知識不足等の制約があり確かめることができないことでも、決断を迫られるといった場面においては、あることを信じることも止む終えず(大切)と言うこともあるかと思いますが、信じる・信じたいことを検証できる状況において、検証しないまま正しいことと信じていることは、相反することを信じている方達と思想対立し、極端な例では殺し合いが始まったり、戦争も止むなしとなり、やはりそれは恐ろしいことだと思います。

 私が信じるという言葉を嫌うのはこのような理由からなのです。
 ですので敢えて信じると言う言葉を使わせて頂くなら、「真実であることを信じるのであって、信じているから真実なのではない」と言いたいのです。

 ポパーの可謬性の語を借りれば、「われわれの知識が完全に真理に到達したかどうかは確証できず、常に誤っている可能性があるということ。」で、自らが信じていることが真理であるかどうかは確証できず、常に誤っている可能性があるということを忘れてはならないと思います。
(あ、メメさんも「可謬」を頭においてと言ってた。♪ 同じ意味かもです。)

 人情の欠片もない私の意見になってしまいましたが(汗)、これらの前提の元に人情も生きてくると思っています。

 また、検証するまでもない、どうでもよいことを信じるということまでとやかく言う気もありません。

 うーん、飲まないと硬い表現になってしまうな。笑
Posted by わめ at 2006年09月05日 15:48
 できたよさん、どもです。^^

> う〜〜ん、さあやさんにオソイカカロウとして、辞めた品行方正なわめさんの解説はすごい。

 (*゜0゜)ハッ!! 酔っ払ったときに書いたコメント、起きてから削除したけどできたよさんには読まれてしまっていたのかもw汗

> 会員と非会員、この間で起きる小さなモメゴトを未然に防ぐ手立てがないほど、学会はバカじゃないはず、やはり効率優先。営業戦略かな。

 バカかもしれませんが、効率優先、営業戦略である可能性は高いかもしれませんね。(^^;
 よく愚直になれと言いますから、言う側も愚直にやっているのかも。
 愚直とバカではちょっと意味が違うようですがw(でも馬鹿の言葉が入ってますね。汗)

ぐちょく 0 【愚直】

(名・形動)[文]ナリ
正直すぎて気のきかない・こと(さま)。馬鹿正直。

> 傍にきたら断固断り、追い返す。それでいいんだけど、近所の人押し売り扱いして、追い返す方の気持ちも察してほしいものですね。

 それが親戚の方だったり、お世話になっている方だったりすると、余計に心苦しいものですよね。涙
Posted by わめ at 2006年09月05日 16:05
できたよさん、わめさん、こんにちは♪

削除前の投稿、しっかり読みましたよ。ふふふ。

一人旅の旅先で、地元の人のたまり場のような場所に飲みに行ったりすると新参者にもかかわらず
「そちらのお嬢さんに一杯」なんてお酒が回って来て、それをきっかけにその土地の情報や人生観の話がはずんじゃったりするのが楽しかったりします。そんな出会いって、印象に残るんですよね。

わめさんとのご縁に心から感謝☆しております。
Posted by さあや at 2006年09月05日 18:57
 さあやさん、こんばんは。^^

> 削除前の投稿、しっかり読みましたよ。ふふふ。

 ヽ(・∀・;)ノ アヒャッ!
 酔った勢いのほんの冗談ですからw(>▽<;; アセアセ

> 一人旅の旅先で、地元の人のたまり場のような場所に飲みに行ったりすると新参者にもかかわらず
> 「そちらのお嬢さんに一杯」なんてお酒が回って来て、それをきっかけにその土地の情報や人生観の話がはずんじゃったりするのが楽しかったりします。そんな出会いって、印象に残るんですよね。

 そんな出会いから、思いもよらぬ方向に発展なんて・・・ Oh! 酔ってもないのに妄想がw

> わめさんとのご縁に心から感謝☆しております。

 Oh!! じょうだんからこまに期待しちゃおう。(*^▽^*)

 あ、ひょうたんからこまかw(o_□_)oドテッ

 今夜は友人の給料日ということで夜の街に行ってまいります。(って奢って貰えるんじゃなく、以前の飲み代立替えを返してもらえるだけでワリカンですが)
 あと参加者は、ポニーテールの人妻さんと、メメさん年齢の独身男性かな。


 皆さ〜ん、神のいぬ間にお好きなこと書いてて下さいね。^^
 あ、鬼のいぬ間か・・・l||li スッ
Posted by わめ at 2006年09月05日 19:27
あ〜あ。行っちゃったよ。
ポニーテールさんも一緒だと!
こっちは出張の予定じゃなかったのに急遽泊りになって(なってと言うより仕事の進捗状況が悪いので「泊ることにした」)きっちゃないビジネスホテルで一人寂しく、ネット環境がないところやから携帯の画面を見つめてるというのに!!
 
サミチイ
Posted by 犬のメメ at 2006年09月05日 20:07
メメさん、あっちの部屋探して、僕はそっちの部屋探すんで。なんぞ、ええもんありますやろ!
社長の家でっせ。

ぬきあし。。。。さいあし。。。。


さしあしか?
Posted by できたよ at 2006年09月05日 20:15
逆に、何かしかけちゃいましょうか。
社長のいらっしゃらない間に。

メメさん、何かよいもの、持ってません?
何か爆弾的・・・もとい、くす玉的なもの。

そういえば、昔、修学旅行行く兄のカバンに巨大なぬいぐるみ内緒で入れていた友人がいたなぁ。
Posted by さあや at 2006年09月05日 20:29
何がいいかな( ̄〜 ̄)ξ
家に帰ったらさあやさんがいたとか。飲みに行ったこと思いっきり後悔させてやろう(^^)v
Posted by 犬のメメ at 2006年09月05日 21:37
くくく!
Posted by できたよ at 2006年09月05日 22:31
くくく!ええね。
Posted by できたよ at 2006年09月05日 22:32
ポニーテール様には、かないっこありませぬ。
Posted by さあや at 2006年09月05日 23:23
敵は手強いか。
他になんかないかな?気の利いたこと思いうかばへんな・・・。
Posted by 犬のメメ at 2006年09月05日 23:26
 皆さんオヤスミ中やね^^; わめさんは食事中かも>食べ物以外

あららら 随分レスが伸びてるので性根入れて読もうと思ったら・・・^^;
エンジョイ2と化してる^^ 人妻と仲良くするとこうなっちゃうんですね。

少し気になったとこが・・
>大善の為には小悪は許される?
なんだか、ポアする事が結果的にその人の為(救う)になる として殺ってしまった件を思い浮かべたのですが。
これって大乗的な考えですよね。ホケキョにもそうした部分があるのでしょうか。(素人の浅い認識ですいません)
では、突き詰めて人類の存在がもっと大きな存在の前では小悪であった時、人類を滅するのも是となってしまうのでしょうか。
人間第一主義の仏教ですから人間がいなくなってしまう設定自体ないものと思いますが、どうにも日本に居て遭遇する仏教の正邪認定や行為の正当化を耳目にするにつけ、仏教に対する興味とか学習意欲とかが掻き消されてしまいます。
汎神論(人格設定された神ではなく)が性に合う私の直観での感想なのですが・・。
Posted by あーあ at 2006年09月06日 03:13
 いない間にしっかり荒らされている・・・笑

メメさん

 その出張時が自由を満喫するチャンスなんじゃないの?
 私なら取り合えずカウンターに座れる居酒屋か一品料理屋で、情報収集と人間関係を作っていきます。
 メメさんなら話題も豊富だし、新たな人間関係作りも楽しいかもよ。(*^▽^*)

 ちなみに人妻さん、髪型変わっててもうポニーテールじゃなかった・・・涙

できたよさん&さあやさん

 うちは玄関ドアの鍵は掛けたりするけど、窓などは一日中開けっ放しです。
 盗られるモノが無いって、ある意味じゃ幸せなことかもです。泣笑


さあやさん

 私に会いたくなったらとりあえずメール下さいね。♪((O(〃⌒▼⌒〃)O))♪わくわく


あーあさん

> わめさんは食事中かも>食べ物以外

 ぉぃぉぃw
 食べなくても楽しいし、いやむしろ食べないから楽しいのかもと。(^^;

> あららら 随分レスが伸びてるので性根入れて読もうと思ったら・・・^^;
> エンジョイ2と化してる^^ 人妻と仲良くするとこうなっちゃうんですね。

 ここも2も、エンジョイすることが目的ってことでいいんですけど、こういう話題はやっぱあっちが書きやすいかw笑
 2で新しい記事でも書いてみますので、よかったら軽いお話はあっちでやりましょう。(*´∇`*)

> >大善の為には小悪は許される?

> なんだか、ポアする事が結果的にその人の為(救う)になる として殺ってしまった件を思い浮かべたのですが。
> これって大乗的な考えですよね。ホケキョにもそうした部分があるのでしょうか。(素人の浅い認識ですいません)

 「大善の為には小悪は許される」的な考え方は、大乗、仏教に限らず、政治的にもあるように思います。
 これは正当化主義であり権威主義とも密接な関係にあるように思いますし、愚民は善悪の判断もできないんだから、為政・指導者(大善)に従えっていればいいという考え方なのではないでしょうか。
 法華経(に限らず何事も)を自分で解せない怠惰的な方が愚民となり、権威主義に取り込まれていくのではないでしょうか。
 法華経は、不退の信をもって取り組み、やがて智慧を獲得し、自他彼此なく(菩薩・慈悲)、無明の闇を照らしゆく教えですから大善の教えだとは思いますが、それを大善のために自らの小悪を許すと都合よく解釈するのは誤りで、右の頬をぶたれれば左の頬を差し出すといった、敵対者に対する慈悲、尊厳を大切にする(不軽)菩薩の精神であると思います。
Posted by わめ at 2006年09月06日 14:41
最後はかっこよく締めてあるなぁ。
2に行ってこよ
Posted by 犬のメメ at 2006年09月06日 14:53
メメさんっちでたっぷり書いちゃったら今のところもう書くこと無くなっちゃったよ。(^^;;
【活動と信仰】
http://inunomeme.blog.ocn.ne.jp/kakarityou/2006/09/post_18fb.html

【初の試み】
http://inunomeme.blog.ocn.ne.jp/kakarityou/2006/09/post_78ca.html
Posted by わめ at 2006年09月08日 20:40
こんばんはです。

こちらにレスしてみます。

gizmoさんの文段の指摘と「凡夫本仏論」的解釈よいですね。
にっし〜さんのレスもよかったです。
そうすると、良い意味での師弟は日蓮(大)聖人にも釈尊にもありそうでし、
師弟に執着したり硬直したりせず師弟が爾二不二であればよさそうです。

ただ安心してしまってはいけないです(ここがポイント)。

ナポレオンやカストロ議長の引用を目にすることがありますが明らかに
独裁志向として注意せねばなりません。
民主主義のよいところは単に数だけでなく複数の人間の力によって
よりよくなる可能性を持っていることです。
独裁の悪いところは独裁者が冴えているときは効率がよいですが
一旦独裁者がうまくいかなくなったりしても独裁者を更迭もできず
引退もさせられず結局全体がうまくいかなくなることです。
(例 ナチスドイツ)
一人の人間の力には限界があるということではないでしょうか。

学会中枢の違和感はどこから来るものでしょうか。

とはいっても、一休み一休みいきましょう。
Posted by Leo at 2006年09月09日 00:03
素朴な疑問。

(1)
「牧ロの価値論から入った、大善生活を思うとき、そこには、彼独特の、倫理的臭味を帯びてくる。
 さらに、大善生活の実践のために、大御本尊を仰ぐ時、大御本尊は、価値論の範疇に入ることになってしまう。
 ―ここに摧尊入卑のきらいが影となって射して来るようだ。戸田は、出獄以来、ひとまず価値論を引っ込めた。」
(小説 人間革命)

師に影のように寄り添った弟子も必要とあれば師の哲学を引っ込めるのでしょうか。
(確かに必要によって引っ込めるのは良い場合もあります)

(2)
昭和40年代に出版された『小説 人間革命』は戸田会長の悟達を出発点とし彼を創始者(自覚された上行菩薩)とする組織の闘争の歴史と読めます。
52年路線は正宗との軋轢が顕著になっただけで、もともと独立宣言していたようなものではないでしょうか。

(3)
宗教と信仰の心理学、創価学会 戸田城聖
http://page.freett.com/leo020503/note007.html
によれば
「また会長は、昨年日蓮正宗の本山において行われた祭典で白馬に乗り、この青年たちを閲兵している。
 白馬が天皇専用の乗馬であるということを知らなかったというが、いずれにしても、このような児戯に
 類することを平気で行う一面を持っており、同じく組織者とはいっても、念法真教の組織者A氏の
 近代企業における冷徹な企業精神に比べれば、親分的な、ヤクザ親分的な、その意味では日本における
 庶民の感覚に直接うったえるような側面を持っているといわねばならない。」
とのこと。白馬に乗り閲兵はまずいから学会メディアでは引っ込められたのでしょうか。

(4)
東京八王子の牧口記念会館の上階には名誉会長の執務室があり近くの庭には馬上のナポレオンの銅像があります。
名誉会長の執務室は記念会館の外にあるべきなのではないでしょうか
(先師を記念しながら自分の執務室を上の方にこしらえる感覚がよくわからん。
 それとも名誉会長の弟子が勝手にこしらえた?)。

Posted by Leo at 2006年09月09日 00:43
 Leoさん、こんばんは。^^

> こちらにレスしてみます。

 待ってました。☆^∇゜) ニパッ!!

> gizmoさんの文段の指摘と「凡夫本仏論」的解釈よいですね。
> にっし〜さんのレスもよかったです。
> そうすると、良い意味での師弟は日蓮(大)聖人にも釈尊にもありそうでし、
> 師弟に執着したり硬直したりせず師弟が爾二不二あればよさそうです。

 「自受用身の当体、全くこれ我等衆生なり」ですからまったく凡夫本仏論的解釈のようですね。
 凡夫本仏論も仏の生命が内在してるような如来蔵思想的なものではなく、凡夫が仏になれる可能性があることをいうのなら問題なさそうにも思います。
 そういった意味では、私はどっちかっていうと師弟不二は、主観(衆生みたいな)と客観(仏みたいな)の主客不二と考えたいほうで、客観重視になりがちでありながら、実際の言動はわけわかめで主観的なのかもしれません。笑
 師弟が爾二不二なら善き友と言えそうで釈尊の教えとも整合性が保てそうですね。^^

> ただ安心してしまってはいけないです(ここがポイント)。

 うん、学会はファシズム(最近ナチズムとも思えてきたw汗)傾向にありそうですから、師弟不二もそれを強固にするための使われ方をされているように思います。

> 学会中枢の違和感はどこから来るものでしょうか。

 これはLeoさんが感じる「学会中枢の違和感」なのでしょうか?
 よく分からないのでレスするのはやめよう。汗

> とはいっても、一休み一休みいきましょう。

 あは、Leoさんからこれ書いてるうちにまたコメント貰ったけど、私もちょっと一休みします。(*^▽^*)
Posted by わめ at 2006年09月09日 00:55
わめさん、こんばんは。

>これはLeoさんが感じる「学会中枢の違和感」なのでしょうか?
>よく分からないのでレスするのはやめよう。汗

はい。私の感じる違和感ですが、以下のわめさんが仰ったことにも一応マッチしてます。

>うん、学会はファシズム(最近ナチズムとも思えてきたw汗)傾向にありそうですから、師弟不二もそれを強固にするための使われ方をされているように思います。

師弟不二は必ずしも悪いことでないことがわかりましたが、悪用(乱用)はよくないということです。

あと、ナチスの悪いところはドイツ人の幸福を求めて他民族は不幸になってもよいということでした。
学会は日本人の幸福は求めず(適用範囲は狭い)ほぼ学会員の幸福(現世利益)を求めており日本人が
不幸になってもよいとは思ってないようですが敵対者は不幸になってよいらしいです。
Posted by Leo at 2006年09月09日 01:29
久しくこちらに来なかった。
というのは、内容が難しくなったのと更新頻度が低くなり、気がついたらお気に入りからはずすという暴挙(自分でやっておいて^^;)に出ていたからである。

さて、ここでは以前に色々と有意義なやりとりをしたことがあり、それを読み返してみました。
そして「せっかく書いたのに一切相手にされなかった一文」を発見・・・たいした内容ではないが、なかなか気に入った(自己陶酔です)内容なので、改めてここにコピペします^^;

----------------

創価学会に限らず、宗教団体に限らず、どんな組織であっても、一定の活動をするのに金が必要なのは当然である。
宗教団体の場合、一般的にお布施・寄付(呼び方は様々だろう)が財源として大きな割合を占め、それらは信者の気持ちから出た「浄財」ということになっている。

浄財であるという一般的了解を反映して課税しないという措置があり、宗教団体は営利団体ではないということで浄財関係の収支報告書の提出は義務づけられていない。
また、創価学会などの施設は「非常時に提供する」ということで減免措置が取られている。

さて、国家財政が巨額の赤字を抱え込み、少子高齢社会が急速に進み、多様な価値観を認めていく今日の日本で、多少ではあっても官僚・財団法人・族議員などの見えなかった部分が明らかになり、改革のための情報開示と説明責任が進んでいる。

翻って宗教団体の浄財の使い道はどうなのであろうか?
民間企業でも「企業は社会の公器」であるから財務諸表の開示・報告と納税の義務があり、株式会社なら株主への財務内容の説明責任がある。
もうそろそろ宗教団体だけ「浄財」ということで詳細を伏せておくことを善しとすることにメスを入れていいんではないか。

宗教団体も「社会の公器」であるはずであり、それを否定するのなら世界平和だの正しい教えだのを言わないでほしいと思う。
「みなさんの浄財がこのように使われたのです」と開示することは、本来なら宗教団体のアピールとして非常に有効なのである。
ところが現在は浄財関係の財務諸表の開示がなく「みなさんのお金が世界平和や貧困救済に使われています」と言っても「その根拠は?内訳は?」と問われて「信じなさい!」としか言えない。

「こんなすごいことをやりました」と言っても、そのためにお金がどう集められてどう使われたかがわからなきゃ、信者以外の人は「ふーん」としか言わない・・・そういう時代になってきたのだ。
更には信者の中からも「我々の気持ちで出した金の使い道を知りたい」というきわめて正当な要求が増えてくるだろう。
「浄財=組織幹部の自由裁量」ではなくなってくるという、時代状況への認識のある宗教団体がどれだけあるのだろうか?

良くも悪くも個人主義が進み、これからの信者は「気楽に信者になって、面白くなかったらさっさとやめちゃうよ!」という、信仰に命をかけた人が聞いたら烈火の如く怒り狂いそうな感覚の人が増えていくだろう。(脱会をムリヤリ阻止すれば「じゃあいいや、脱会手続きはしないけど活動もしないよ。手続きなんてどうでもいい。私が脱会したと自分で決めたからそれでいいよ!」という態度の人が増えるのだ)
こういった気楽に考える人はある意味では客観的視点を持てるので、情報開示を求めたり意見を言う人が増えてくるはずだ。

頑なにこれまでと同じ「信じろ」「必要ない」という態度を取り続ける宗教団体に、これからの拡大と繁栄はないであろう。
こと創価学会に限って言えば、それに名誉会長のX-day(成仏?それとも地獄行き?)という予め必ずやってくることがわかっている震度5以上の地震が加わり、偽装されたものが暴き出されるのではないかと思っている・・・願望を含む^^;

----------------

さあて、こんどはなんか反応があるだろう・・・希望・願望・切望・依頼・依存・強要・脅迫・命令・指導・・・自己満足です^^;
Posted by 創価瓦解 at 2006年09月09日 13:06
わめさん、皆さん、こんばんは。

>私にとっては、創価学会はあまり興味の持てる団体ではないですが、社会・政治的側面から見れば問題も多いように感じますし、コメント欄での意見交換など有意かなと思いまして記事にしてみました。

創価学会があまり社会的に影響のない団体だったら放置でよいですが、そうでもないようなので、
創価学会が宗教界の王者として他の宗教の模範となるようにもっと良くなって欲しいと思います。

私は色々な方の資料を引用しますが、別に知識のひけらかしなどではなくて、先人の知恵の活用です。
それに対して創価学会のバリバリの方は自画自賛など根拠に疑問なひけらかしが多いように思っています。

創価学会では体験や実証が重要だとされていますが歴史を尋ねても意外と思想は重要です。
思想から出発して新しい時代が開かれたりします。
創価学会の思想は世間よりも単に時代遅れなだけのように思います。
基本的人権(精神の自由、経済の自由、人身の自由などなど)が認められ社会福祉が拡充している
(完全に十分とはいえませんが)社会の中で「人間主義」などという珍妙な主張を行って
いるのも一例です。

前人未到(とされている)の崖を一生懸命時間を費やして登って頂上にたどりついたら、
頂上には既に鉄道の駅が開通していて人々が涼しい顔をして鉄道を乗り降りしているとしたらどうでしょうか。
崖登りが人様に迷惑をかけない趣味であるならば問題はないでしょうが、鉄道を廃止して皆で崖登り
しなければならなくなるとしたらこれほどおかしなことはありません。
Posted by Leo at 2006年09月09日 22:30
創価瓦解さん、こんばんは。

確かに宗教団体も明朗会計でお願いしたいです。
そういう面も宗教の王者が世間(たとえば他団体)から遅れているところですね。

(わめさんの掲示板でも話題が出ていたことがあるのですが...)
非営利団体などが収支報告を行っている場合があります。
(お金がなければ運営できないのは非営利団体も同じですね)

○ メイク・ア・ウィシュ 2005年収支決算報告
http://www.mawj.org/e.html

○ (財)日本ユニセフ協会 平成18年度予算書
http://www.unicef.or.jp/about_unicef/about_syusi-2006.html

○ 日本赤十字社 決算報告
http://www.jrc.or.jp/about/kessan/index.html
Posted by Leo at 2006年09月09日 23:11
とはいっても、現状は早急には変化しないから、そのような(忍耐の(?))時代においては、
「仏教の源流シリーズ」のように学ぶということも大事かなと最近は思っております。
(ネット上を含めて学びの巡礼(?)に行ってこようかな)
かつ仏教に限らず色々な方面で。
Posted by Leo at 2006年09月10日 22:33
 創価瓦解さん、Leoさん、こんばんは。^^

> 久しくこちらに来なかった。

 (゜д゜)(。_。)(゜д゜)(。_。) ウンウン

> というのは、内容が難しくなったのと更新頻度が低くなり、気がついたらお気に入りからはずすという暴挙(自分でやっておいて^^;)に出ていたからである。

 ヽ(・∀・)ノ アヒャッ!!

> せっかく書いたのに一切相手にされなかった一文」を発見

 ヽ(TдT)ノアーウ…
 昨年12/4の【今、創価学会に思うこと 01】に頂いたコメントでしたね。汗
【今、創価学会に思うこと 01】
http://wame.seesaa.net/article/10186449.html

> さあて、こんどはなんか反応があるだろう・・・希望・願望・切望・依頼・依存・強要・脅迫・命令・指導・・・自己満足です^^;

 Leoさんは反応してくれましたね。^^
 私は上記の【今、創価学会に思うこと 01】で、学会をスリムな財政に戻していくために声を上げていくことが大切と書きましたが、そのためには学会は収支を一般会員に開示すべきで、会員は収支の開示を求めていくべきだと思います。
 そういえば昨年の今頃katuさんは、財務書類閲覧の具体的な手続き方法を、地区部長に教えて欲しいと手紙で託したようですが、その後どうなったのかはまだブログには載っていないようです。
「財務継続」 
http://red.ap.teacup.com/katu/2.html
Posted by わめ at 2006年09月11日 23:07
わめさん、こんばんは。

> 私は上記の【今、創価学会に思うこと 01】で、学会をスリムな財政に戻していくために声を上げていくことが大切と書きましたが、そのためには学会は収支を一般会員に開示すべきで、会員は収支の開示を求めていくべきだと思います。
> そういえば昨年の今頃katuさんは、財務書類を閲覧の具体的な手続き方法を、地区部長に教えて欲しいと手紙で託したようですが、その後どうなったのかはまだブログには載っていないようです。

なるほど、財務書類を閲覧できるということがあるのですね。条件は厳しそうですが...

地区部長でダメならば(地区部長から話が上に上がるのをきいたためしがないです)、
直接支部長以上できれば区長でなければダメそうでかつその幹部次第、
門前払いか丁寧に断られるかなどと予想したりします...

「財産基盤の維持形成に貢献している」「氏子など」が解釈によっては幹部限定とも受け取れますし...
法律に詳しい人(弁護士)に尋ねてみようかと思います(ぼちぼち適当なブログなど探してみます)。

記憶が定かでないのですがXデー以前は財務書類を閲覧的なものは無理というカキコを見たと思うのですが...

学びの分野は色々ありそうです。宗教、哲学、心理学、法律... (といってもかじるだけなんですが(^^;)
Posted by Leo at 2006年09月11日 23:53
わめさん、みなさんおはようございます。
創価学会の収支報告や財産などは宗教法人法に基づき閲覧請求をすれば会員であれば誰でも閲覧できるそうです。但し信濃町まで行かないといけないそうでその外の場所で出来るかどうかはわかりません。また、諸手続きの詳しい方法もわかりません。
中途半端な情報で申し訳ないですが知っている範囲内のみ。何かのお役に立てばと思います。
Posted by 犬のメメ at 2006年09月14日 08:58
メメさん、こんにちは。^^
 情報提供ありがとうございました。

> 創価学会の収支報告や財産などは宗教法人法に基づき閲覧請求をすれば会員であれば誰でも閲覧できるそうです。

 閲覧や謄写の可否判断は宗教法人側に委ねられているので、地方からわざわざ信濃町の学会本部まで足を運んでも、閲覧や謄写できる保証はありません。涙

 三 事務所備付け書類及び帳簿に関する信者その他の利害関係人による閲覧について
の、
 (四) 閲覧請求があった場合、各宗教法人において、当該閲覧請求者が現にどのような利害関係を有する者であるかを具体的に勘案して、閲覧に関する内部規則等がある場合はそれに基づき、閲覧に係る書類ごとに、書類によってはその一定部分ごとに閲覧することに正当な利益があるか否か判断すべきものである。
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/t19960902002/t19960902002.html
Posted by わめ at 2006年09月15日 14:34
収支報告の閲覧は有力な情報が出てきましたね。
(メメさん、わめさん、ありがとうございます)
法律の専門家に相談するまでもなく、あとは閲覧請求を出してみるかですが、
どうもわざわざそのために旅費を使って信濃町に行く気にならないですね...

話は飛びますが...
Wikipediaの創価学会の記事はほぼ妥当そうでしょうか?

○ 創価学会
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%B5%E4%BE%A1%E5%AD%A6%E4%BC%9A

「法論はいずれが負けても釈迦の恥」という諺は知らなかったです。

○ 法論
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E8%AB%96
Posted by Leo at 2006年09月18日 23:44
>Wikipediaの創価学会の記事はほぼ妥当そうでしょうか?
>
>○ 創価学会
>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%B5%E4%BE%A1%E5%AD%A6%E4%BC%9A

Wikipediaの記事は私から見ても微妙に違和感の部分があります。

「最近では根本修行である勤行の経文ではなく祈念文を改定した。」

昔の経本と比べて(そういう経本が家に残っている方もおられるでしょう)
経文は同じで祈念文だけ改定したのですね。
さらに最近売っている経本は短縮勤行スタイルになったですね。

○ 池田大作 (Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%A0%E7%94%B0%E5%A4%A7%E4%BD%9C

「なお、創価学会に“名誉会長”という役職は公式には存在せず、内部でのみ通用し得るものである。」

知らんかった。

「マスメディアに登場しない為、写真以外で見たことのある人物は殆どいない。」

シナノ企画ビデオや公式HPの動画も「写真」の範疇?
本幹は外部の人は観れないか...

○ 人間革命 (Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E9%96%93%E9%9D%A9%E5%91%BD

「人間革命(にんげんかくめい)とは、創価学会第二代会長戸田城聖によって唱えられた、
 同会における中心的な教義のひとつ。およびこの教義をテーマとして、創価学会の歴史と
 戸田の生涯を描いた長編小説の題名。」

「人間革命」は中心的「教義」といえるのですね。
「人間革命」は「成仏」の解釈(改変)ではありますね。
Posted by Leo at 2006年09月19日 23:31
 Leoさん、こっちでもこんにちは。^^

> 法律の専門家に相談するまでもなく、あとは閲覧請求を出してみるかですが、
> どうもわざわざそのために旅費を使って信濃町に行く気にならないですね...

 財務はしててもアンチな学会員は結構おられるようには思いますが、閲覧や謄写できたという話はまったく聞いたことがないですし、katuさんにも手続き方法などのお返事がないようですし、学会としては見られたくないのかもしれませんね。
 閲覧請求を出してもどうのこうのと断られる可能性は高そうに思います。
 閲覧請求する自体、アンチな学会員とみられて拒否の理由とされそうですし。涙
Posted by わめ at 2006年09月21日 13:57
宗教学者の島薗教授のブログ発見。
創価創始者牧口先生について参考にどうぞ
http://free.jinbunshakai.net/shimazono/index.php?itemid=32

なにげにcocoさんの掲示板と似たブログ名w

島薗先生ウィキぺディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E8%96%97%E9%80%B2

Posted by みれい at 2006年09月21日 15:40
財務の話をぶったぎってしまったのでψ(゜∇ °)ψ

財政考察
http://mizushima-s.pos.to/lecture/2004/autumn/08/0003.htm

創価学会の経済力(週間ダイヤモンド)
http://page.freett.com/sokagakkai_komei/sokagakkai_no_keizairyoku/

最近ちっちゃい字は読みずらいだよ(+_+)
記事も全部は目をとおしてないですが、
なんか興味深いことがかいてありそうですね。
Posted by みれい at 2006年09月21日 16:02
みれいさん、こんばんは。

おお、そういう資料がありましたか。参考にさせていただきます。

あまり関係ない部分ですが...

田中角栄
「公明党は法華さんの太鼓を叩くヒトラーユーゲント(ナチスの青年団組織)である」(早坂茂三著「権力の司祭たち」 飛鳥新社)
http://page.freett.com/sokagakkai_komei/

物理的太鼓は叩かないけど精神的太鼓は叩くでしょうか。
田中角栄は日蓮宗と正宗の区別がなかったのかもしれないですね(というか一般では区別ないですね(^^;)。

週間ダイヤモンドで信濃町はブキミとなってたのですが、会員は信濃町行くときルンルンで、金城会のお兄さんは会員を守っているということでたのもしく見えるのではないでしょうか(^^;

わめさん、こんばんは。

収支はみれいさんの紹介のリンクの資料のように概算でも参考になりそうです。
(閲覧できなくても)

創価は問題多いけど、もっと問題の多い宗教団体もあるので、創価に頑張って欲しい(もう少しまともになって欲しい)
今日この頃です(批判だけでなくちょっと擁護もしたくなってきました)。

創価にお世話にならざるをえない派はあまり変わらないですが、自分で考える派が増えて向上・改善を目指せたらよいですね。
Posted by Leo at 2006年09月22日 01:03
>るということでたのもしく見えるのではないでしょうか(^^;

これは「心の持ち様」(あるいは先入観)というものですね。
Posted by Leo at 2006年09月22日 01:05
今年関西方面で公布部員でない方に(年末近くの振り込みでなく)9月時点で訪問して直接現金を集金したことがあったそうです。
こういうことは一部でしょうか結構あることなのでしょうか(あるいは地域のやり方があるのでしょうか)。
Posted by Leo at 2006年09月27日 15:24
 Leoさん、こんにちは。^^

 こちらは組織的には関西に属しますが、財務に関して直接現金を集金など聞いたことがありません。
 この場合、受け取り証などあるのでしょうか?

 こういったことをお知りの方がいたら、是非コメントを頂きたいですね。
Posted by わめ at 2006年09月27日 15:32
わめさん、こんばんは。

その方は非活動の方ですが、受け取り証があったか聞いてみます(これまで話を聞いたかぎりではなかったようでしたが)。
どうも腑に落ちない話なんです。
Posted by Leo at 2006年09月27日 23:38
わめさん、こんばんは。

私が最近長寿に注目しているのは心身のバランスとともに、学会員さんの一部で聞かれる死相がどうのこうの(学会に貢献すると良く反対だと悪い)への反論の面があります。

(こういう系の話になってしまってなんなんですが...)学会系の葬儀社はわからないですが、一般の葬儀社では人生の最後の姿を整えてます(メイクのようなもの)。死相が主観的なものであるだけでなく外見を整えることも整えないことも可能なんです。

話はかわりますが、軒ちゃんさんのブログでお尋ねしたところ、学会活動が長寿に反する他、自動車事故が多いや、認知症との関連性の可能性もありそうでした。

しかし幸福ということは考えさせられます。世の中には物質的幸福の他、唯心論的幸福などがありそうですが、私個人は空・無願・無相を暫定的理想(幸福)としたいと思ってます。
Posted by Leo at 2006年10月02日 02:04
(続き)

>私個人は空・無願・無相を暫定的理想(幸福)としたいと思ってます。

「空・無願・無相」って反射率100%の理想的な「鏡」じゃないかと...
Posted by Leo at 2006年10月02日 02:05
Leoさん、こんばんは。^^

 お返事なるかどうかは分かりませんが、そのお返事らしきことを記事にしてしまいました。汗

【幸福感】
Posted by わめ at 2006年10月02日 21:57
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