2006年05月24日

格差社会

 最近世間では勝ち組と負け組とかの話題、所得格差の問題が取り沙汰されてきているようですが、昨日(5/23)の毎日新聞の記事によれば、生活保護世帯は約105万世帯(2006年1月)でここ5年間で25万人も増えたそうな。
 また学校給食費が払えない児童数が全国で134万人(2004年度)。
 国民健康保険の保険料が払えず資格証明書を交付された人が30万人(同)。4年前の3倍。
 リストラで正社員が減り、非正社員が日本人の労働者の3割になった。その平均月収19万円。

 景気拡大が戦後2番目で今後も続きそうだと予想されているが、一般庶民はとても潤ってきているとは言えないと思う。
 勝ち組は潤い、負け組は困窮する世の中。
 資本主義・競争原理の利点も数多くありますが、無制限な競争原理がもたらすものはこの社会の破綻以外の何者でもないように思います。
 一見利益に結びつかない情操・道徳教育、教養・美徳・慈悲・慈愛などの崇高な精神は等閑にされ、果たしてどのような人格が形成されていくのか。
 これは予想ではなく、今現実に起こっているこの日本社会の様相そのものが物語っているように思います。

 無制限な競争原理は、今後も勝ち組の絶対数減少と負け組の増大、また一段と所得格差(『能書き垂れるより金をくれ!』)を生み出していくのではないでしょうか。

  
競争原理に対抗するヨーロッパ

『 だが、現代資本主義の下で産業を基軸とする心的・集合的な個が形成されている現在、個の獲得は前代未聞の危機に瀕している。脱昇華という深刻で危険な病にかかっているのだ。生産者と消費者のリビドー・エネルギーはあらゆる領域で絡めとられ、最後の一滴まで搾り取られている。個人や集団のリビドー・エネルギーは、強制的に消費活動の対象へと振り向けられている。その結果、消費を除くリビドーの対象にはエネルギーが投入されず、深刻な脅威が引き起こされている。特に危ういのは、これまで文明の構築を支えてきたリビドーの対象の領域である。

 脅威にさらされているのは、家庭や教育、学校、そして知識全般である。政治や法であり、そしてドイツ語の「ビルドゥンク」、すなわちかつて自己形成や教養と呼ばれたものの結実たる精神の崇高な活動である。リビドー・エネルギーの逓減は個の喪失となって現れる。これによって、資本主義的・産業的な個の形成は自己矛盾に陥り、自滅へと向かう。こうした流れはさらに、生存の可能性を個体から剥奪し、最終的には商品社会全体に致命的な打撃をもたらすところにまで行き着く。リビドーと昇華の存在は、市場と生産活動の双方にとっての根本原則だからである(2)。 』

『 個の心的・社会的な形成過程において、根本的に重要な役割を果たす要素のひとつは、疑いの余地なく競争である。国家統制経済の批判者たちは、個人の利害間の競争が経済活性化には必須の条件であると主張し、共産主義諸国に典型的に見られた当初予測を裏切る経済の沈滞、労働者のやる気の欠如を持説の根拠に挙げてきた。そのこと自体は正しい。

 しかし、超自由主義イデオロギーがここまで強化された現在では、資本主義の論理に基づく競争の組織化もまた、政治家がしばしば嘆くとおり、やる気の低下や「ペシミズム」を大規模に生むだろう。資本の寡占という弊害もある(5)。 』

『 現在用いられている競争という概念は、古代ギリシア人たちが「エリス」と名づけた競合という理念を、極端に単純化している。経済政治共同体の内的なダイナミズムを生み出す原理は競合である。そのこと自体は了解できるし、今もその事実に揺るぎはない。しかし競合とは人びとに活気を吹き込み、個性の違いを超えた高みまで引き上げるべきものである。すなわち、人びとの集合体への包摂と個の形成のための最大の力たるべきものだ。

 したがって、新しい政治経済共同体において、今日の意味で言う競争は第一原理とはなりえない。ましてや唯一の選択肢でもありえない。同じ政治共同体を構成する国々の関係は、たんに経済交流や競争だけにはとどまらない。各国の利害を超えた高次の利害の一致が図られなくてはならない。』
posted by わめ at 05:11| Comment(77) | TrackBack(1) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
わ〜〜〜めさん、お元気い〜〜〜?

給食費払えないじゃなくて、払わないやつもいてんねんで。
給食費払わんと、家族でGWに海外旅行行ってるねんて。
お土産渡されて先生「???」になっとったらしい。

払いたくないものは、払わんでもええって思うてんのかなあ?
Posted by 三九郎 at 2006年05月24日 10:42
 三ちゃん、こんにちは。 わめは元気だじょ〜^^

> 払いたくないものは、払わんでもええって思うてんのかなあ?

 勝ち組負け組問わずそんな人もいるよね・・・。(^^;

 そんな人の割合が増えているとしても、あるいは割合じゃなく貧困世帯が実際に増えているとしても、そんな人格・貧困世帯を生み出す近代の社会・政治の問題であることには変わりはないと思う。

 頑張れば誰でも勝ち組になれるなら今回の記事を書く気は起きなかったけど、勝ち組の数が減っているから所得格差が広がっているようにも思うし、誰もが勝ち組になれるわけじゃないからね。

 競争原理は切磋琢磨を助長することには役立つけど、それが第一原理となると豊かな人間性は失われ、負け組・貧困世帯の増加、やがてこの社会の崩壊へと進んでいくことになるように危惧しています。

記事(参考リンクとその援用)を追加しておきます。
Posted by わめ at 2006年05月24日 13:27
こないだの党首討論で小泉さんが小沢さんに
「教育問題は基本的に親の責任で…(正確には覚えてません)」
みたいなことを言うてはった。 そらそうやって思って見てたわ。

社会・政治の問題はたしかにあるかもしれんけど、
基本となる人間性を確立せんことには、なんぼきまりごと作っても、
世の中を変えるなんて無理やわな。社会の崩壊やね。うん。

基本は家庭やで、親やで! ・・・ で、僕は大丈夫やろか?


あ、みんな見てたらコメントしてよ。ひとりっきりにしやんといてや。
Posted by 三九郎 at 2006年05月24日 13:49
 三ちゃん、お返事アリガト!(´▽`)

> 社会・政治の問題はたしかにあるかもしれんけど、
> 基本となる人間性を確立せんことには、なんぼきまりごと作っても、
> 世の中を変えるなんて無理やわな。社会の崩壊やね。うん。

 ”基本となる人間性を確立せん”とはどのような人間性を指しているのか分かりませんが、政治・教育・社会風潮・現代の道徳/倫理感等が、個々人の人間性に多大な影響を与えていることは間違いないことだと思いますし、この政治・教育・社会風潮・現代の道徳/倫理感等がアンベードカル氏が解説する釈尊の説かれたカルマであり三ちゃんのいう世の中であると思います。
 この世の中を変えるなんて大それたことは思っておりませんが、でも私達一人ひとりの生き様の現われが世相であり世の中ではないのでしょうか。
 私達一人ひとりがどのように考え、どのように言動し生きていくか、それがこの世の中を形成しているとは言えないでしょうか。
 私達一人ひとりとこの世の中(政治・教育・社会風潮・道徳/倫理感等)は、相互に密接な影響を与え合っていると思います。

> 基本は家庭やで、親やで! ・・・ で、僕は大丈夫やろか?

 三ちゃんが大丈夫かは怪しいですが(笑)、親=私達一人ひとり、家庭=大きくいえば国・世界でありこの世の中と捉えれば間違っていないと思います。
Posted by わめ at 2006年05月24日 14:48
> 「教育問題は基本的に親の責任で…(正確には覚えてません)」
> みたいなことを言うてはった。 そらそうやって思って見てたわ。

 もちろん親の責任大でしょうが、それを親の立場で言うことに異論はありませんが、一国の総理の立場で言うことは国の責任逃れのように私には聞こえます。
Posted by わめ at 2006年05月24日 15:46
なんかさ、国にたよってるとか、学校まかせ、先生まかせってのが多いからね。
Posted by 三九郎 at 2006年05月24日 15:53
 三ちゃんの視点がわめにはどうも掴みきれないなw汗

> なんかさ、国にたよってるとか、学校まかせ、先生まかせってのが多いからね。

 そうかな?
 戦前と比べれば、現代は国や学校・先生に任せておけないといった親が多くなってきていると思いますし、その傾向は今後も進んでいくように思いますが・・・

 三ちゃんの言いたいことは、書いてないけど無責任な親が増えていると言いたいのじゃないのかな?

 戦前は、「国にたよってるとか、学校まかせ、先生まかせってのが多」かったように思うけど、責任は親が取るのが当たり前といった風潮があったように思います。私はまかせるということはそういうことだと思うし。
Posted by わめ at 2006年05月24日 16:08
またややこしくなりそうやわ。だれか呼んでこ。
Posted by 三九郎 at 2006年05月24日 18:08
 三ちゃんが投げたボールは受けて投げ返しているつもりなんだけど、三ちゃんはわめが投げ返したボールを受けてくれなくてまた新しいボールを投げて・・・の繰り返しのようなw(>▽<;; アセアセ

 いつぞやのひゃっきまるさんとわめとの議論では、わめの受け方が悪くてこぼしたり、拾って投げ返してもコントロールが悪かったりとひゃっきまるさんには大変申し訳ないことをしましたからわめも人の事は言えませんが、その反省も込めて三ちゃんとはちゃんと議論のキャッチボールがしたいなぁ
Posted by わめ at 2006年05月24日 19:06
呼ばれ・・・・・てないか(汗)。
 
わめさんどもです。もしかして初コメント??

>基本は家庭やで、親やで! ・・・ で、僕は大丈夫やろか?
 
なんか記事ではなく三九郎さんのコメントにつられてみます(笑)。
 
子供が学校で問題行動を起こしたときに、最近の風潮として学校の先生が責められるように私も感じます。おそらく以前でしたら親が学校に「うちの子が迷惑をかけてしまってすみません」ってなったはずやし、そのほうが正しい形やと思うんですけど。
 
小学校低学年とかでちゃんと授業が受けられないような子もいると聞きます。立ち歩いたり、しゃべったり。で、こんな問題を先生や学校、ひいては国にお鉢を持っていったりする。これは明らかにおかしいですよね。「しつけ」の部類に入るのは間違いなく親の責任だと思ってますし。
 
こんなとこが三九郎さんの言いたいことの雰囲気だと思います。
 
わめさんの言われてる
>戦前と比べれば、現代は国や学校・先生に任せておけないといった親が多くなってきていると思いますし、その傾向は今後も進んでいくように思いますが・
 
先生に任せておけないけど責任は先生に押し付けるような親が増えてるんやろうな〜と言うのが私の意見です。ちなみにこれ、「教職員は聖職なんかではない」と日教組等が言ったことが原因で結果として親が先生を信じなくなった一因ではないでしょうかね。
Posted by 犬のメメ at 2006年05月24日 19:09
きゃあああ、メメさん。来てくれた。うまいこと解説してくれるなあ〜。さすが文学部。
Posted by 三九郎 at 2006年05月24日 19:19
 メメさんこちらでは初めまして。コメントを頂けてうれしいです。^^

 私もメメさんの言われていることを三ちゃんも言いたくてうまく表現ができないだけなんだろうなと感じていますし、私も親の責任が大だと思います。

 でも、じゃ先生に責任はないのか? 学校に責任はないのか?と問えばやはり責任はあるわけで、更に掘り下げてこのような親・先生・学校に何故なってしまったのかと問えば、そこに政治・教育・社会風潮・現代の道徳/倫理感等々が、個々人の人格・人間性に多大な影響を与えていると思えるわけです。
 逆に私達一人ひとりの考えや言動が、今後の政治・教育・社会風潮・道徳/倫理感等に影響を与えていくと。

 物事をある一面からのみ捉えるのではなく、また親が悪い誰が悪い等責任を被せ合うのではなく、私達一人ひとりが責任を担っているという自覚を持って、今後更に激化していきそうな競争社会の中にあって、これからのよりよい政治・教育・社会風潮・道徳/倫理感等を作り上げていくべきではないでしょうか。
Posted by わめ at 2006年05月24日 19:29
>このような親・先生・学校に何故なってしまったのか〜

っていえば、それもやっぱり、そのまた親の影響ちゃうやろか?
全般的に道徳倫理が歪んでるからやろね。
Posted by 三九郎 at 2006年05月24日 19:41
> っていえば、それもやっぱり、そのまた親の影響ちゃうやろか?

 三ちゃんは親だけのせいにしたいのかw(^^;;
 親の影響だけで子が決まるなら、この世の中に変化は起こらないのでは?

> 全般的に道徳倫理が歪んでるからやろね。

 これもそのまた親の影響?(>▽<;; アセアセ
Posted by わめ at 2006年05月24日 19:54
わめさんお久しぶりです。

相変わらずモテモテですか?

えー論議の方の子供の影響うんぬんは、子供に一番接してる人が一番影響を与えてるのではないでしょうか?

日本には「朱にまじわれば赤くなる」という言葉があるぐらい、日本人は他人の影響をうけやすいのですから。

普段の生活で学校に行ってる時間の方が多いわけやで、学校や先生や友達の影響は受けるし、マンツウマンでは親との時間の方が多い?わけやで親の影響も大きいやーね。

「どのような友をつくろうとも、どのような人につき会おうとも、やがて人はその友のような人になる。人とともにつき合うというのは、そのようなことなのである」
{ウダーナヴァルガ}(中村元訳、「ブッタの真理のことば・感興のことば」)
Posted by ナマズ at 2006年05月24日 20:31
 ナマズさん、こんばんは〜^^

> 相変わらずモテモテですか?

 (≧∇≦)ノ ハイ〜♪

 人間って両親・兄弟・友人・好きな人・先輩・同僚・後輩・ネットやTV・漫画・雑誌等のメディアや書籍や思想等々、色々影響は受けちゃいますね。
 その影響の比重も人それぞれでしょうけど、親や友人の影響の比重は大きいように思います。

 今日の競争社会・所得格差の拡大の影響も大きいようで、近年自殺者3万人超の中でお金(経済・生活苦)の問題が動機とされるものは2番目で、30歳代、40歳代、50歳代の男性だけに限ると最も多かった動機は、いずれも経済・生活問題であるとのこと。
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/news/kyousei_news/20050602ik06.htm

 競合なら互いに競い合いまた手を取り合うこともできそうですが、競争は必ず勝者と敗者を生み出します。
 競い合い、手を取り合い、共々に勝者となれる世の中ってのは夢物語ですかね・・・
Posted by わめ at 2006年05月24日 21:08
わめさんモテモテか、何かウレシイ。

>競合なら互いに競い合いまた手を取り合うこともできそうですが、競争は必ず勝者と敗者を生み出します。
 競い合い、手を取り合い、共々に勝者となれる世の中ってのは夢物語ですかね・・・

勝負の質が分かる(勝ち負けより、内容)人間を育てていかないことには難しいですね。


Posted by ナマズ at 2006年05月24日 21:31
そっ、基本的に親の責任がほとんどやと思うな。確かに学校での時間のほうが多いやろうけど、だからって、学校が育ててくれる?自分の子は自分でちゃんと面倒見なあかんのんちゃうん?
Posted by 三九郎 at 2006年05月24日 22:19
 三ちゃん、責任と影響をごっちゃにしていない?
 未成年者(子供)に対して保護者(親)が面倒を見る、責任を持つのは当たり前のことだと思いますが、どんな大人に育つかは上述しているように親の影響ばかりではないと思いますよ。
Posted by わめ at 2006年05月24日 22:40
そのあたりまえのことが、ええかげんになってんちゃうか?っていうてんの。
Posted by 三九郎 at 2006年05月24日 22:57
あまり反論ないなぁ。

Posted by みれい at 2006年05月25日 00:02
 三ちゃん、みれいしゃんこんばんは。^^

> そのあたりまえのことが、ええかげんになってんちゃうか?っていうてんの。

 それは既にメメさんが分かりやすく代弁してくれてるじゃん。(>▽<;; アセアセ
 当たり前のことがええ加減になってるその原因と、それをどのようによりよい方向に変えていけるか考えようよ。


> あまり反論ないなぁ。

 これはわめに? だとすると淋しいことです。(´・ω・`)ショボーン
 反論キボーン
Posted by わめ at 2006年05月25日 01:52
責任うんぬんは、学校でお行儀が悪いのは親の責任は賛成。
そんで、それをほったらかしにするのは学校と先生の責任。
ふたつに共通するのは、責任感があるかどうかやね。
まあ、人と係るのがメンドクサイんでしょう。


Posted by ナマズ at 2006年05月25日 04:47
責任うんぬんに関しては、学校でお行儀が悪いのは親の責任は賛成。

そんで、それをほったらかしにするのは学校と先生と親と友達とクラスの責任(責任の度合いが違うけど)。
全部の共通は責任感があるかないか。
まあ、みんな人と係るのがメンドクサイんやな。


僕が何を言いたいかといえば、みんな何らかの影響を人に与えてるんやで、その影響を与えた事には責任を持ちましょうてことやね。


>当たり前のことがええ加減になってるその原因と、それをどのようによりよい方向に変えていけるか考えようよ。

影響、責任は置いといて、ほんでどうするの?ってのが重要ですね。現場では。

Posted by ナマズ at 2006年05月25日 05:16
なんだか全部三九郎さんに同意するのも面白くないけど、突き詰めて行く結果、親の責任とするのは私と同じです。
 
最近の親って自分の子供の周りに社会があると思っているのでは?、ってすごく感じるんです。だから「周りに迷惑をかけてはいけない」っていう躾が不足していると思います。ホントは社会の中に自分の子供もいて、生かされているはずなのに。
 
例えば欧米には根付いていたキリスト教的道徳観念の上の個人主義だったもんが、戦後の、個人主義に流れて行く中で、土台が希薄なままの個人主義になってしまったから「無責任体質」みたいなものが出来上がってきたのかな〜と思います。
 
で、>ほんでどうするの?
なんですよね・・・。

「恥の文化」と言われた感覚をみんなで取りもどそ〜〜
Posted by 犬のメメ at 2006年05月25日 13:05
>それをどのようによりよい方向に〜

方向性というとこで、立ち止まっちゃうねんな、僕。
結局は教育改革とか構造改革になるんでしょ?
最初に言ったようにきまりごとを作ったからどうにかなるもんやなし。
広宣流布やないけれど、まず個人がしっかりと自分をもって、
家族、地域、国って組み立てなおさなあかんのちゃうかな?

先生はすごく努力してるとおもうよ。
ナマズさんの言うように、学校での責任は先生やろけど、
今の問題はそれ以前の常識を親が教えてないってことやろ。

やっぱり親や。給食費払わんと海外旅行いく親やで。
親が親としての自覚をもって、ったって、見本になる大人が少ないしね。

またまた、会話がなりたたへんな。ごめんなさい。
Posted by 三九郎 at 2006年05月25日 13:52
頭こずいただけで「体罰や」って騒がれたら先生なんも出来へんやん。

話の流れを無視して思いつきコメントすんません。
Posted by 犬のメメ at 2006年05月25日 14:52
子供を指導するのは親なのだけど、
親を指導する人がいなくなったということでは。

Posted by みれい at 2006年05月25日 21:35
まずは自分がお手本になるようにしていくしかないんでない?

みんな子供のお手本になる自信ありますか?

僕は悪影響を与える方が多いであります。
Posted by ナマズ at 2006年05月25日 22:00
おひさしぶりです。
わめさん、お元気そうですね♪

格差のことはよくわかりませんが、
確実に我が家の収入が減りました。
何が悪いんだろうね?


親を見ると子供が想像できる。
子供を見るとなんとなく親がわかるですね^^


Posted by 葉末 at 2006年05月25日 23:38
 皆さんコメントありがとう。^^

 どうも直接原因に近いご意見が多いようで、その”直接原因に近い皆さんのご意見”には私も含め大きな異論は出ていないようですが、親に総て原因があるとしたら子の親、その親の親、その親の親の親・・・と人類が発生した時からその原因があるようで、これが正しいとすると人類はなるべくしてこうなっているという結論に至ってしまうように思います。

 「すべて親のせい」 まぁそれならそれでいいんですけど、私たちの言動がすべて親の責任・影響とすると、私達の運命は親により決まり、どれだけ良い行いをしようとあるいは悪い行いをしようと原因はすべて親にあることになってしまい、既に私達の運命は親によって運命付けられていることになって、今更ここで何を議論してもそれは皆さんの親により既に方向付けられてしまっていることになってしまいませんか?
 そしてこの世の中も親により既に方向付けられており、私達にはどうすることもできないのでしょうか?

 私はこんな馬鹿げたことは書きたくはなかったですが。
 ナマズさん、一緒に泣いてください。。・゚゚・(>_<)・゚゚・。

以下補足

 メメさんのご意見「キリスト教的道徳観念の上の個人主義」について

 私はキリスト教に詳しくはありませんが、「キリスト教的道徳観念の上の個人主義」については佐倉哲氏の下記テキストに感銘を受けております。
 キリスト教・聖書に関する来訪者の声
http://www.j-world.com/usr/sakura/replies/bible/b152.html

『わたしは、むしろ、道徳や倫理は神への信仰の上に築くべきではないと思っています。なぜなら、神とは客観的に証明できる実体ではないために、神への信仰を持つことのできない人びとの心の中では、神への信仰の上に築かれた道徳観念はいっきに崩壊してしまい、道徳的無政府状態が生まれてしまうからです。アメリカ社会における今日の犯罪問題も、道徳や倫理を神への信仰の上に築いてきた歴史に原因があるとわたしは見ています。 』


 みれいしゃんの「親を指導する人がいなくなったということでは。」について

 親にすべて責任があるとすると、親を指導する人がいない原因は、親を指導する人を育てなかったその親にあることになってしまいます。遡っていくと人類発生時に至ることになってしまいそうです。涙


 葉末さんの「親を見ると子供が想像できる。」ついて

 親を見るとそのまた親が分かることにもなりそうです。
 親にすべて責任があるとすると、これも遡っていくと人類発生時に至ることになってしまわないでしょうか。
Posted by わめ at 2006年05月26日 03:45
 葉末さん、お久しぶりです。^^

> 格差のことはよくわかりませんが、
> 確実に我が家の収入が減りました。
> 何が悪いんだろうね?

 今回の記事に書きましたように、私は現在の日本の無制限な競争原理が大きな要因ではないかと思っております。
Posted by わめ at 2006年05月26日 03:46
新着からきましたー!足跡ですっ!☆でゎ
Posted by はちみちゅ at 2006年05月26日 05:33
>親を指導する人がいない原因は、親を指導する人を育てなかったその親にあることになってしまいます。


いいえ、そんなことはないと思います。

大人を指導する人は以前は存在したと思います。
今いないのは社会のシステムと意識が変わったから。
昔は大人の指導はお寺のご住職とか、学校の先生とか、街のおじさんおばさん、おじいちゃんおばあちゃんの役割だった。あとは街ぐるみの自分より年上との人付き合いがあった。
人の子でも悪い事したら叱るのは当たり前だった。
子供もケンカから力加減と生き残りと仲直りを学ぶ。
ケンカの仲裁役だったボス的存在も実在した。
日本は元々体裁とか世間の目を非常に気にする国。和を重んじた国。今の私達よりもコミュニケーションは濃かったと思う。

今そういうのがあまりない。
いろんなことが分類されて、個が尊重されて、人付き合いも最小限ににって、意図せずに広いようでせまい社会のなかで生きている。おかげでネットで交流を持つ人も増えている。付き合いたい人だけ、付き合いたい部分だけ付き合う。実はそれって楽なこと。楽じゃないと極端に拒否反応が出る。自分の受け入れられない事には容易に攻撃的になり、排他し、容易に殺人にいたる。

個を尊重するという点は、単に西洋の真似。
けれど、西洋と大きく違うのは、宗教観。
向こうは一見個人個人でバラバラでも、長いキリスト教の影響での概念は根付いているから根っこのほうでの共通意識は持っている。

同じキリスト教でも、アメリカとヨーロッパを比べて、アメリカはヨーロッパの古い宗教体制を切り崩して発展した一種のカルト国。大きく発展したが、弊害も案外多い。
今ヨーロッパが見直そうといているのもそのアメリカの体質ともいえる競争原理と、物事の単純化で発達した部分といえるのでは。

>一見利益に結びつかない情操・道徳教育、教養・美徳・慈悲・慈愛などの崇高な精神

わめさんがあげた部分も元々は宗教が担っていた部分。
精神を見直すというのは、現存の宗教を見直すということにもつながる。

日本の宗教のイメージのような、とてもうさんくさい功徳やら奇跡やら死後の世界でなく、生きている時に生き方に影響するのが宗教。

宗教観がピンボケなのは日本の特徴。
そういう意味で日本は今のところカルトも放置の危うい国。
明治に新宗教運動が始まり、戦争で神道が利用され、敗戦後、宗教への制限が加えられた。おかげで網目をぬけた新宗教が発達する。その原理はアメリカの宗教発展と似た部分もあると思う。単純なほど受け入れられやすく、得(御利益)や感情に訴えれば心も引かれやすい。
競争原理もやすやすと受け入れられ、肝心なものは置き去りにされている。

というわけで、日本はずっとお金信仰で欲望の奴隷だったから、そろそろ欲を従える大人の姿勢を覚えてみてもいいんでないかと思う。

という意見はいかがでしょうか。
Posted by みれい at 2006年05月26日 08:40
さすがみれいさんやな〜。

僕がちゃちゃいれるからコメント欄が盛り上がるんやな。うんうん。
Posted by 三九郎 at 2006年05月26日 09:20
助けを求めて人を呼ぶから盛り上がるんやで
Posted by 犬のメメ at 2006年05月26日 10:01
 みれいしゃん、皆さんこんにちは。^^

> >親を指導する人がいない原因は、親を指導する人を育てなかったその親にあることになってしまいます。
> いいえ、そんなことはないと思います。

 ありがとうございます。私もそんなことはないと思います。
 私が言いたかったのは、すべて子が親からだけ影響を受け、親だけの責任、親だけに原因があるとしたらという前提で書いたわけです。

 みれいしゃんのおかげで、そんな馬鹿げた考えを皆さんが持っていないことが分かって一安心です。
 C=(^◇^ ; ホッ!

> わめさんがあげた部分も元々は宗教が担っていた部分。

 総てではないと思いますが概ねそうだと思います。

> 精神を見直すというのは、現存の宗教を見直すということにもつながる。

 私は前回補足で佐倉哲氏のテキストを引用しましたが、道徳や倫理(精神性)が形而上学的宗教・信仰の上に築かれたことにより弊害があり、道徳や倫理は今後宗教の上に持ってくるべきものではないと思っています。

> 〜という意見はいかがでしょうか。

 宗教問題は日本やアメリカだけが突出した特徴や問題だとは思いませんが、大変よいご意見だと思います。
Posted by わめ at 2006年05月26日 11:14
○みれいさん、はじめまして^^
なるほどと読ませていただきました。
すごい!



○わめさん、おはよう♪
現時点ではやはり子を見るとある程度
その子の親の「倫理観」のようなものが
わかりますね。

 『親を見るとそのまた親が分かることにもなりそうです。
 親にすべて責任があるとすると、これも遡っていくと人類発生時に至ることになってしまわないでしょうか』

うーん、人類発生時にまでさかのぼらなくても。
社会が発展し、人間も善悪の影響をうけながら
変化を遂げてきましたよね。
責任は親にあるのか社会にあるのか。。


ま、自分さえよけりゃイイって思わなくちゃ
馬鹿馬鹿しくてやってられないような
厭な世の中になってほしくないですね。

批判はするのですが、じゃ良くするためには
具体的にどういう行動をすればいいかという方法を教えてくれるところが減りましたね。

文章書くのチョー苦手なので、この辺で。

わめさん、お元気で。
一ヶ月一回は寂しいなあ。
二回くらい書いてね^^
ではまた。


Posted by 葉末 at 2006年05月26日 11:36
葉末さん、はじめまして。
そうやよねえ、人類発生時までさかのぼるのは、いくらなんでも…ね。

メメさん、呼んでへんのに来たくせに。うそうそ。感謝してます。
Posted by 三九郎 at 2006年05月26日 12:18
お〜、やってる、やってる。
今のところ【36畳】

>理性等で越えていけそうな無理解というハードルは、無理解のまま放置するのではなく、取り合えず今、自身の持つ考えや信念等をハードルを越えるまで制止して、その後に広がりゆく新たな見識を身に付けていくことは大切なことのように思います。(5/23)

畳の目を読む努力をしろってか?
返事→・・ウ〜ム・ムニャムニャ・○来Щ×世△
     (素通り〜〜)
Posted by おばさん、です at 2006年05月26日 12:30
 葉末さん、こんにちは。^^

> うーん、人類発生時にまでさかのぼらなくても。
> 社会が発展し、人間も善悪の影響をうけながら
> 変化を遂げてきましたよね。

 そうですね。
 何でもかんでも親に責任を押し付けてしまわなければ分かることのように思います。

> 責任は親にあるのか社会にあるのか。。
> 批判はするのですが、じゃ良くするためには
> 具体的にどういう行動をすればいいかという方法を教えてくれるところが減りましたね。

 責任は親にもあるし社会にもあると思います。
 でも他者に責任を押し付けてしまっていては、望まない厭な世の中になっていってしまうように思います。

> わめさん、お元気で。

 アリガト!(´▽`)

> 一ヶ月一回は寂しいなあ。
> 二回くらい書いてね^^

 (● ̄▽ ̄●;)ゞぽりぽり

> ではまた。

 (≧∇≦)ノ ハーイ♪
Posted by わめ at 2006年05月26日 12:55
 三ちゃん

> 人類発生時までさかのぼるのは、いくらなんでも…ね。

 合理性のない偏った考え方は、ありもしないことがその原因になったり、未来も悪しき方向に進んでいってしまうように思います。

 おばさん

> 畳の目を読む努力をしろってか?

 (゜▽゜)(。_。)(゜▽゜)(。_。)ウンウン

> 返事→・・ウ〜ム・ムニャムニャ・○来Щ×世△
>      (素通り〜〜)

 (_△_;〃 ドテッ!
Posted by わめ at 2006年05月26日 13:03
人類発生時まではいきすぎで、せいぜい大戦前後ちゃうか?

そもそも日本人は好戦的な農耕民族やな。
それを世界のルールにあてはめて変革してきたところ、
終戦で大変革を強いられたわけや。

倫理とか崇高な精神でもって国を創ることができるかっていう
テストケースにされたんやな。

そのテストはすでに破綻してそうやのに、
いまだに理想をとなえてたりするわけだわ。

そんな戦後の大人達(僕も含めて)には見本がないわけや。
Posted by 三九郎 at 2006年05月26日 13:19
> 人類発生時まではいきすぎで、せいぜい大戦前後ちゃうか?

 ようやく親以外の要因も分かっていただけたようで。(*´∇`*)

> そんな戦後の大人達(僕も含めて)には見本がないわけや。

 良きにつけ悪しきにつけ見本となる思想や論理はあると思いますよ。
 ただ他者の意見も含めそれらを真摯に学び理解しようとせず、自分自身の限られた狭い見識の思考・感覚を是としてしまい、今時の個々人が無責任な言動を行う自由主義的思考を多様性などと呼ぶ向きもありますが、私はこの辺にも問題が潜んでいるのではないかと思います。
Posted by わめ at 2006年05月26日 13:50
>ようやく親以外の要因も分かっていただけたようで

いろんな要因を含んだ親やって言うとるんやんけ。

ほら、やっぱり同じようなことで喰い違う。
僕とわめさん、相性悪いんかなあ?
Posted by 三九郎 at 2006年05月26日 14:07
> いろんな要因を含んだ親やって言うとるんやんけ。

 親は色んな要因を含んでいるのに、子は親だけが原因なの??w
 ( ̄へ ̄|||) ウーム
Posted by わめ at 2006年05月26日 14:16
> いろんな要因を含んだ親やって言うとるんやんけ。

 あっ、三ちゃんのご意見はこういうこと?

 いろんな要因を含んだ親の影響で子供の人格・人間性はすべて決まってくる。
 その親も、いろんな要因を含んだ親の親の影響で人格・人間性はすべて決まってくる。
 その親の親も、いろんな要因を含んだ親の親の親の影響で人格・人間性はすべて決まってくる。

 でもだとすると・・・また人類発生時まで遡らなくっちゃいけなくなりそうw涙

 あるいは大戦前後だけは親以外の影響があって、大戦前後を除けばすべていろんな要因を含んだ親の影響だから大戦前後から考えればいいってこと?
Posted by わめ at 2006年05月26日 14:36
こういうの知沙ちゃんが得意そうやから、呼んでこおか?
Posted by 三九郎 at 2006年05月26日 14:56
> こういうの知沙ちゃんが得意そうやから、呼んでこおか?

 知沙さんが三ちゃんと同じく、すべての要因は親にあると思っておられるならいい提案だと思います。

 ところで三ちゃんは、いろんな要因を含んだ親だけの影響で、三ちゃん自身の人格・人間性は決まっちゃったの?
 三ちゃんの親以外は、三ちゃん自身を含め、三ちゃんの人格・人間性を変えることができないのでしょうか?
Posted by わめ at 2006年05月26日 15:01
根っこの部分は、親や育った環境に左右されるもんちゃうやろか?
人格、人間性以前の、たとえば飯の食い方とかお箸の持ち方とか。
たとえが悪いな。土台ね根っこね。
Posted by 三九郎 at 2006年05月26日 15:13
> 根っこの部分は、親や育った環境に左右されるもんちゃうやろか?

 (ノ´▽`)ノオオオオッ♪ やっと親以外にも”育った環境”が影響していると言ってくれた!

 私もそう思います。って私は最初からそういってるじゃん。

 もちろん親の影響が大きいともね。^^

 これで一件落着かな?(*゜▽゜*)

> 人格、人間性以前の、たとえば飯の食い方とかお箸の持ち方とか。

 うん、たとえが悪いねw 飯の食い方とかお箸の持ち方はあまり他者に影響を与えないと思うから。

> たとえが悪いな。土台ね根っこね。

 土台・根っこは、三ちゃんの言うように一部例外はあるとしても親の影響が一番大きいように思います。^^

 これで一歩先に議論が進めそうです。ヽ(  ´  ∇  `  )ノ ♪
Posted by わめ at 2006年05月26日 15:27
飯の食い方はものすごくまわりに影響与えますけど〜。
Posted by 三九郎 at 2006年05月26日 15:35
> 飯の食い方はものすごくまわりに影響与えますけど〜。

 (⌒▽⌒)アハハ! かもね

 でも周囲の方の気分を害さない範囲であれば私は許せますけど。

 ところであるフランス料理のシェフさんから直接聞いた話ですが、ナイフとフォークを器用に使ってライスを食べる日本人が多いのには驚かされると言ってました。
 フランスやイタリアではライスはほとんど食べないからどう食べるかは自由で、お箸で食べることはマナー違反ではないのにってw
 周囲の方の気分を害さない範囲であれば、おいしく食べれるように自由に召し上がって欲しいと。
Posted by わめ at 2006年05月26日 15:53
以前にね飯食いにいったら、一緒にいった子が「あ〜うう、後ろの〜おじさんが〜、ペチャペチャ食べてる〜。いや〜気持ち悪〜い。耳について離れへん、あ〜ん、もう食べられへん」って一人でもだえてたよ。

あ、どんどん脱線していく。
Posted by 三九郎 at 2006年05月26日 15:59
三九朗さんは三つ子の魂百までってのが言いたいのかい?



Posted by ナマズ at 2006年05月26日 16:46
 名無しさん、こんにちは。

 あなたのコメントを削除してしまったのにこうしてレスすることをお詫び致します。

 あなたと私の考え方の大きな相違点は、自身の思考・見解に誤謬がある可能性があると考えるか否かだと思うのですが、今回の議論だけに絞って考えてみても、自身の思考・見解が正しいと思っているのなら、あなたの言われているように他者のコメントに対して「くだらないとか、放置すべき」と思われるのも無理からぬことかもしれませんが、私は今回の議論でも私の見解と違った異論が提出されれば私自身の思考・見解に誤りがある可能性を考えます。
 そして議論していく中で、少しでも自身の思考・見解の中に誤りが発見できるならとてもうれしいことであって、その可能性のある議論は私にとって「くだらないことでも、放置すべきこと」でもありません。

 この点をご理解下さり、またコメントを頂けるのでしたら、名無し投稿は禁止にしましたので次回よりHNを付けて書き込んでください。
 但し、今回のように他者を誹謗中傷するようなコメントは同様に削除させていただきますので悪しからず。
Posted by わめ at 2006年05月26日 16:55
>やっと親以外にも”育った環境”が影響していると言ってくれた!

 私もそう思います。って私は最初からそういってるじゃん。

 もちろん親の影響が大きいともね。^^


僕も最初からそう言ってますよ。
Posted by ナマズ at 2006年05月26日 17:08
 ナマズさん、こんちは。^^

> 僕も最初からそう言ってますよ。

 はい、ですのでナマズさんにも一緒に泣いて欲しかったんです。^^
 (2006年05月26日 03:45のわめコメント)
Posted by わめ at 2006年05月26日 17:20
>はい、ですのでナマズさんにも一緒に泣いて欲しかったんです。^^

ともに泣きましょう。
Posted by ナマズ at 2006年05月26日 17:33
>葉末さんこんにちは〜
お名前の読み方がわかりません(;−;)
なんと読むのですか?

>わめさん

>道徳や倫理(精神性)が形而上学的宗教・信仰の上に築かれたことにより弊害があり、道徳や倫理(精神性)が形而上学的宗教・信仰の上に築かれたことにより弊害があり

私もこれ同感かな。新宗教に混ぜて使っておかしくなったのもあると思う。
今はきちんと別枠で設けておかないとよくないと思います。

それにしてもわめさん、いっつも思うけど、可謬主義でない人がどうやったら可謬性を知ることが出来るか、これがとても気になります。
一朝一夕ではないのだろうなぁ。

>三九郎さん

>飯の食い方はものすごくまわりに影響与えますけど〜。

めちゃあります。
これかなり大事と思う。
クチャクチャ食いされるとごはんマズイ。

躾って、本人の美しさだけでなくて、周りへの配慮もあるのですね。
Posted by みれい at 2006年05月26日 17:47
>躾って、本人の美しさだけでなくて、周りへの配慮もあるのですね
 
そっか。躾は基本的に親がするものですやんね。
で、躾はどこかで道徳とか倫理感につながりません?
 
くちゃくちゃ食べないのは周りの人に嫌な思いをさせないことにつながる。
「話を聞くときは相手を見る」は話してる相手を敬うことにつながる(ちょっと苦しいか)。
 
あ、他に例えが見つからへん。
 
躾がちゃんと出来ていれば自然と身につく道徳や倫理観もあるのかな。これは親の責任。
で、
道徳や倫理観がちゃんと親にあれば自然と躾が出来ていく。こっちは親に影響を与える社会の責任??
 
また「そうやんな〜」って言ってくれるん三九郎さんだけやろか(汗)
Posted by 犬のメメ at 2006年05月26日 19:05
そうなんや〜、メメさん。 涙出そう。
Posted by 三九郎 at 2006年05月26日 19:36
お〜よしよし♪
Posted by 犬のメメ at 2006年05月26日 20:04
>また「そうやんな〜」って言ってくれるん三九郎さんだけやろか(汗)


三九朗さん、メメさん、だから僕はそう言ってるでしょ。親の影響は大きいだから責任感を持って育てようって。
Posted by ナマズ at 2006年05月26日 21:13
>三九郎さん

そういえば、右脳系と左脳系だと(いや、理数系と文系だったか、忘れました。また調べておきます)、同じ意見でも視点が違って食い違うこともあるらしいから、そのへんの少しくらいの食い違いは楽しんでもいいのではと。

でも、三九郎さんは盛り上げるのうまいな。
Posted by みれい at 2006年05月26日 21:55
すごいコンビネーションやね。

僕がちゃちゃ入れて、メメさんが解説してくれて、
みれいさんが補足してくれて、ナマズさんがしめてくれる。
みなさんに感謝。僕一人やと完結せえへんやん。
Posted by 三九郎 at 2006年05月26日 22:14
みなさま、こんばんは♪
楽しそう!



みれいさん、はずえと読みます。
私は宗教を離れ、今現在を大切に生きていこうと
思いつつ、たまに素敵なかたがたのブログを
読ませていただいております。
どうぞよろしゅうに^^
Posted by 葉末 at 2006年05月27日 00:17
おはようございます。
三九郎さんに呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃじゃーん(ふるっ)。

私は身内に教師(兄)と塾経営者(母)がいます。
兄とはあまり話しはしないのでよく知りませんが、母伝に聞いた話しで申し訳ありませんが、
「教師が熱心に頑張ろうとしても親がでしゃばって来てやりづらい」という感じの事を洩らしておったそうです。
まぁ、それだけ親から見て信頼できる教師が減ってきたせいもあるのでしょうが、物事をどう捉えるかという視点が狭い親(我が子可愛い可愛い)が増えてきていて、過剰反応しすぎ、順序もへったくれもなく、問題が起こるといきなり教育委員会へ怒鳴り込むという事もあるようです。それをみた子供も親の真似をして「チクリ入れるぞ」的な発言や態度を取るという事もあるようです。

母については自宅で塾を経営していますが、親が子供を甘やかしている姿を多々見かけるようです。「ゲームをやる時間を増やしたいから宿題を減らしてくれ」と平気で言ってくる親、他所の(我が家)の電話を借りて迎えの電話をかける生徒が、用件以外の長電話を延々と話し続ける、机に平気で腰掛ける等々、その生徒の家庭での生活ぶりを垣間見るような事がよくあるそうです。
母は「親は何を躾けてるんだ?」と疑問符をよく洩らしています。そして、一個一個注意しているようです。

具体的なことしか書けませんが、上記の事については親の価値観や家庭生活が外の世界では通用しないという事をきちんとしつけていない結果ではないかとか思うのですがどうなんでしょうかね・・・。私には子供がいませんのでなんともいえませんが・・・。

それでは失礼いたしました。

Posted by 知沙 at 2006年05月27日 09:00
 皆さん、コメントありがとうございます。^^

 親の責任についての意見が多いようで、また知沙さんは、塾経営者のお母さんのご意見を述べてくださり、具体的な子を持つ親の問題点を指摘されておられますし、三ちゃん、メメさん、親の責任について異議を唱える方は今のところ誰もおられないようですので、ご安心を。

 親の立場で考えてみると、我が子の安全、健やかにそしてこの世の中で生涯生き抜いていける大人に育つことを大半の親は願っているように思います。親はまずこのような願いの障害となることに強い関心を持ってしまい、ここで指摘されているようなことはついつい二の次になってしまう傾向にあるのではないでしょうか。
 もちろん要因はこれだけではなく、昔と比べれば生活が豊かになり、余暇を自身の楽しみにある程度自由に使ったりもできるようになりましたし、子育てだけに身を挺することを嫌う傾向もあるように思います。(母性の希薄化)
 また現代の競争社会にあって、豊かな人間性や道徳/倫理感はそれほど重要でもなくなってきているように思いますし、やはりこれも親の感覚として二の次傾向に拍車をかけているようにも思います。

 企業等の入社試験等の採用基準や商売上の取引の成否等に関して、その人の人間性や道徳/倫理感が今後大きく影響するような社会風潮にでもなれば、子の豊かな人間性や道徳/倫理感を育てることは親として最重要課題となっていくかもしれません。

 悪いと思うことを悪いと言って憤っているだけでは、その原因を見つけることも解決策を思考することもできないように思いますし、悪いと指摘される側の方にもそれなりの理由(優先課題の解決等や現代の競争社会・社会風潮・能力優先で人間性や道徳/倫理感は不問・家庭内や個人としての問題等々)があるのかもしれません。

 ここで皆さんが書いてくれていることをみると、やっぱここにも現代社会の縮図が見え隠れしているように思うのですが、私はよくよく考えてみると、今ある社会の問題点は、私達一人ひとりの心や考え方や言動の中にこそあるように感じて仕方ありません。

 私は自身の心や考え方や言動について
・責任ある言動をしているか?
・いい加減な、あるいは根拠のないことを発したり吹聴していないか?
・問題を他人のせいにしてないか?
・自己の見解の正当化や他者に同調を求めていないか?
・自身の誤りの発見と訂正を最優先に考えているか?

 等々、今一度問い直してみようと思います。
Posted by わめ at 2006年05月27日 14:04
わっ、知沙ちゃん来てくれた。ありがとう。

わめさんがしめてくれた。そうやね、親の責任=自分自身の考え方や言動こそが重要になってくるんやね。
Posted by 三九郎 at 2006年05月27日 14:50
>葉末さん

こんにちは。読み方教えていただいてありがとうございます(^^)

>私は宗教を離れ、今現在を大切に生きていこうと

今を大事にすることはとても大事と思います。
こちらこそ宜しくお願いします。


>わめさん、
わめさんの記事、Leoさんとこで取り上げられてますね。
Posted by みれい at 2006年05月27日 23:16
じゃ、僕が変な方へ持っていったから、Leoさん来られへんかってんね。
Leoさんごめんなさい。
Posted by 三九郎 at 2006年05月27日 23:56
>じゃ、僕が変な方へ持っていったから、Leoさん来られへんかってんね。

Leoさん自分のブログ持ったから、最近はあまり人のブログには来ないよ。
三九郎さん、大丈夫。いつもどおりに盛り上げてくださいです。
Posted by みれい at 2006年05月30日 02:34
わめさん、みれいさん、皆さんこんにちは。
お久しぶりです。
三九郎さん、お気になさらないで。


Posted by Leo at 2006年06月24日 15:59
 何だかここで書くべきようなことを、メメさんの記事にコメントしてしまいました。汗
http://inunomeme.blog.ocn.ne.jp/kakarityou/2006/09/post_18fb.html#comment-4044799
Posted by わめ at 2006年09月04日 21:08
つられてきてしまいました。
こちらのコメントはじめからよんでいましたが、
ものすごっく勉強になります。

なんというか、オールスターというか、
ドリームチームですね。豪華すぎます。
もうおひとりおひとりに、「サインください」
なんて、いってしまいそうなさあやです。
若輩者ですが、よろしくお願いいたします(深々)。
Posted by さあや at 2006年09月04日 23:03
 さあやさん、こんばんは。^^

> つられてきてしまいました。

 ヽ(^O^)ノ いらしゃいませーo(_ _)o ぺこっ♪

> 若輩者ですが、よろしくお願いいたします(深々)。

 むむっ、若輩者って今度は中年に対するいやみですか。笑
 中年ドリームチームの皆さ〜ん、さあやさんがいやみ言ってますよ〜
 私は中年と思ってませんのでいいですけど。♪〜( ̄。 ̄) ←トボケガオ

 またまたキッツイ冗談をかましてしまいましたが、さあやさん今後ともよろしくです。
 ヽ(  ´  ∇  `  )ノ ♪
Posted by わめ at 2006年09月04日 23:57
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