2006年03月19日

最近思うこと

 最近Enjoy系ネット界隈を離れて浮気してましたが、そろそろこっちにも戻ろうとこの界隈をROMりながら何を書こうか模索中です。
 残念ながら相変わらず学会問題が取り沙汰されているケースが眼につき、私的にはやっぱ悲しいです。
 学会を含む宗教的な問題も、結局個々の心の有り様に思うのですが、その意味では個々が現在の心のポジションを批判から頑なに守ろうという思いが見え隠れしているというか、そう言う自分だってそうかもしれないのだけど、少なくとも他者との議論では主観的意見と客観的な見解を明確に分けて、また客観的見解を重視しながら進めていかないとどうにもこうにも互いの自己主張の応酬に終始し、何も得るものなどないことになってしまっているのじゃないかと感じます。
 また自身の主観を何より大切に思うならば、同じような主観を持つ者同士だけで語り合えばいいことのようにも思います。

  
 もっと謙虚にというか、『不可謬性の否定』でも書きましたが、事実絶対的なことなど確証できるはずもないし、ずっと過去から現在に至るまで考え方がまったく変わらない人間など皆無に等しいように思うし、・・・なのに現在の自身の主観などどれほど重要なものなのだろうか。むしろ現在の自身の主観をより正しき方向に訂正しゆくことが重要であり、そのためにも客観的見解を重視する姿勢が望ましいのではないでしょうか。

 個を主体と考えれば高だか百年も生きることの難しい儚い依存関係にある者同士なのだし、目くじら立てて自己主張の論戦を張るのもどうかと思うし、残った人生を他者の意見など求めず自己中心的に大切に生きていけばいいように思う。
 また全体主義的にある思想・組織に傾注して生きるなら、個である自身のすべてを捧げて人生を全うしていけばいいんじゃないだろうか。

 この両者の択一ができない私なのでちょっと皮肉めいたことを書いてしまいましたが、儚い自分という個の幸不幸に執着し生きていくのも人生なら、この世に残していく者たちのことを主に考えて生きていくのも人生。色んな生き方があっていいと思う。

 私の好きな歌でカラオケでもよく歌いますが、さだまさしの防人の詩の歌詞に『この世に生きとし生けるものの すべての生命に限りがあるのならば 海は死にますか 山は死にますか・・・』というのがあるのですが、海も山もそこに生息する生物は生死を繰り返しています。海も山も以前と同じものではありません。だから私の答えは「すべての生命(意識)には限りがある」になっちゃいます。

 個を主体と考えると主観重視も仕方ないことなのかもしれないけど、事実としてたった一人で生まれたわけでもなく、たった一人でこの世を生きられるわけもなく、依存関係で成り立っている個であることもできれば忘れないで頂きたい。

 うーむ、何だか取り留めのないことを書いてしまったような・・・w汗
posted by わめ at 15:19| Comment(10) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
わめさん、こんにちは。

>学会を含む宗教的な問題も、結局個々の心の有り様に思うのですが、その意味では個々が現在の心のポジションを
>批判から頑なに守ろうという思いが見え隠れしているというか

>この世に残していく者たちのことを主に考えて生きていくのも人生。色んな生き方があっていいと思う。

「この世に残していく者たちのことを主に考えて生きていく」ならば、世の中をよりよいものにするということ
を目指すものだし、「学会を含む宗教的な問題も、結局個々の心の有り様」で個々人の心の問題で実害ないならば
捨て置き、そうでないならば「世の中をよりよいものにするということ」に反することなので、何らかの
対応を考えざるを得ないと思います。

「全体主義的にある思想・組織に傾注して」「すべてを捧げて人生を全う」する個人が他の「依存関係で成り立っている」
個人に「全体主義的にある思想・組織に傾注」させようという動きは「個を主体と考えれば高だか百年も生きることの難しい
儚い依存関係」の個々人は「目くじら立て」ることもないのでしょうか。

よい社会というのは「世の中をよりよいものにする」ことなんじゃないかと。公害とか有害物質とか車や機械の欠陥とか
違法建築とか「批判」により「世の中」が「よりよいもの」になってきたのだし、宗教なんかも例外ではないように
思うのですが。それに「批判」も声をあげるだけのもの(主観)から科学的なもの(客観)まで色々あります。
Posted by Leo at 2006年03月19日 17:31
 Leoさん、こんばんは。^^
 こちらはもう3月後半だというのに雪がチラついてます。(^^;;

> 「この世に残していく者たちのことを主に考えて生きていく」ならば、世の中をよりよいものにするということ
> を目指すものだし、「学会を含む宗教的な問題も、結局個々の心の有り様」で個々人の心の問題で実害ないならば
> 捨て置き、そうでないならば「世の中をよりよいものにするということ」に反することなので、何らかの
> 対応を考えざるを得ないと思います。

 実害があるなら、少なくとも私の周囲では(学会を含む宗教的な問題で)実害もあるように思いますが、私もその対応・対策としての意見はこのブログでも何度か書いております。
 

> 「全体主義的にある思想・組織に傾注して」「すべてを捧げて人生を全う」する個人が他の「依存関係で成り立っている」
> 個人に「全体主義的にある思想・組織に傾注」させようという動きは「個を主体と考えれば高だか百年も生きることの難しい
> 儚い依存関係」の個々人は「目くじら立て」ることもないのでしょうか。

 私は、個を主体と考える者同士が”目くじら立てて”主観的な自己主張の論戦をしても水掛け論になってしまうのじゃないかと言いたい訳で、主観に拘らない客観的な議論を提唱しています。

> よい社会というのは「世の中をよりよいものにする」ことなんじゃないかと。公害とか有害物質とか車や機械の欠陥とか
> 違法建築とか「批判」により「世の中」が「よりよいもの」になってきたのだし、宗教なんかも例外ではないように
> 思うのですが。それに「批判」も声をあげるだけのもの(主観)から科学的なもの(客観)まで色々あります。

 よい社会とはどのようなものかと言うのも人それぞれでイメージが違うのかもしれませんが、少なくとも「公害とか有害物質とか車や機械の欠陥とか違法建築」はよい社会のイメージから逸脱するように思いますが、それらを生み出してきたのも”個の幸不幸を重視する”人の所作であるように思います。
 また宗教も例外ではないと思いますし、それらに対する批判(主観・客観含め)は是と思いますが、個の幸不幸を重視する思考にもスポットを当てて見るべきかと思い、柔らかく今回の記事を書いてみました。
Posted by わめ at 2006年03月19日 18:13
わめさん、こんばんは。

> 私は、個を主体と考える者同士が”目くじら立てて”主観的な自己主張の論戦をしても水掛け論になってしまうのじゃないかと言いたい訳で、主観に拘らない客観的な議論を提唱しています。

了解です。そういうイメージであれば私と近いものがあります(^^)

> よい社会とはどのようなものかと言うのも人それぞれでイメージが違うのかもしれませんが、少なくとも「公害とか有害物質とか車や機械の欠陥とか違法建築」はよい社会のイメージから逸脱するように思いますが、それらを生み出してきたのも”個の幸不幸を重視する”人の所作であるように思います。

私は「公害とか有害物質とか車や機械の欠陥とか違法建築」は不幸と思いますが、”個の幸不幸を重視する”人の所作が生み出したとは
幸福を生み出そうとして不幸を生み出したということなのですね。

Posted by Leo at 2006年03月19日 20:02
>個の幸不幸を重視する思考にもスポットを当てて見るべきかと思い

これがどのような思想を示すのか興味あります。
よろしくお願いします。
Posted by Leo at 2006年03月19日 22:21
 Leoさん、ε=(ノ‥)ノ ただいまっす。
 別に大したことはしてないのですが、今日は日頃のお礼ということで素敵なお店でおいしいものをご馳走になって、またその帰りに飲みにも連れて行ってもらいこの時間に帰ってきました。

> >個の幸不幸を重視する思考にもスポットを当てて見るべきかと思い
>
> これがどのような思想を示すのか興味あります。

 私が思うに、十分注意を払いながらもまったく意図せぬ過失で「公害とか有害物質とか車や機械の欠陥とか違法建築」が起こっているとは到底考えられません。
 また最近のライブドアの一件にしろ、法に触れなければ、あるいはバレなければ何をしてもいいといったような風潮があるようにも思いますが、これらは個(自身)の幸(利)を重視し、他を顧みない(依存関係無視?)といったそのような人の心、”個の幸不幸を重視する”人の行いが生み出しているのではないか思ったりしています。
 自らの利益(幸)が他者の不利益(不幸)を生み出すと、そのように予測できてもそのようなことが故意にできてしまうのは、自分という”個の幸不幸を重視する”人の心が生み出しているのではないかと思うのです。
 人それぞれ自身が客観的事実である依存関係の中の個と考えることができるなら、今ある社会的問題の多くが起こり得なかったのではないでしょうか。
 私の言いたいことは予防医療などもそうですが、発症する前にその原因を絶つといった考え方と似ているようにも思います。
Posted by わめ at 2006年03月20日 02:35
お初です。わめタン

仰ることはよく解りますが、華さんのように ずばぬけた文才がある方が 切々と演歌を歌い上げるように 自分の心情を歌い上げると 学会の方も 同調されるようです。^^

なんか 凄いなぁって 羨ましいです。^^
Posted by free at 2006年03月20日 20:53
 あらw freeさん、こちらではお初でしたか。
 初カキコありがとうございます。^^

 華さんのブログは時折見にいっておりますが、freeさんの言われるように私も華さんにはずばぬけた文才を感じますし、あの方の主張に同調してしまう方は多いように思いますし、かく言う私もその一人かもしれません。

 ただありがたいことに?私など文才の”ぶ”もないですけれど、それが故に求めていない同調者もほとんどできなくて、逆に求める批判を頂けることをうれしくも感じております。^^
 私の言明は批判を求めるものであって同調者を求めるものではありません。
 何故なら私自体が私の言説を肯定するような思いを持っていないからで、自他共に私の言説をぶち壊す方向に働いて、互いにより客観性のある見解を持てることを望んでいるからです。

 freeさんや華さんの学会問題への取り組みに対して頭が下がる思いです。
 また他にも多くの方が取り組んで頂いていて心強く感じております。

 私はまだまだ自己批判に気を抜けず何のお役にも立てない状況で、そんな私からすればfreeさんのブログの記事やコメントにも凄いなぁって感じてますし羨ましくもありますが、私は私なりに半端開き直りながらマイペースでいくしかないかって思っております。(^^;;

 こんな私ですが今後ともよろしくお願いします。
Posted by わめ at 2006年03月21日 04:25
わめさん、こんにちは。

今日やっとブログ開設しました。
http://blogs.yahoo.co.jp/leo020503

よかったら遊びに来てください。
話題はなんでもありです。
Posted by Leo at 2006年03月21日 15:27
話題とは直接関係ないんですが、昔Libraさんの出ている掲示板によくいらっしゃたさかなこさん、最近どうされているのかなと思ってリンクみてみたらブログなくなったようですね。去年から更新されてないみたいだったけど。
Posted by Leo at 2006年03月24日 01:55
 Leoさん、こんばんは。

 Leoさんブログへのリンクの承諾ありがとです。^^
 承諾前にリンクしちゃいましたがw(^^;;

 さかなこさんのブログは、そのコメント欄でLibra師匠ともお話ができてとても印象深いのですが、私もリンク先をクリックしてみたら…(´・ω・`)ショボーン
 更新はできなくてもいいからブログは残して欲しかった。。。
 復活されんことを願うばかりです。☆彡 *.:*:.。.: (人 *) 願い事願い事...
Posted by わめ at 2006年03月24日 17:49
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/15077399
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。