2006年02月27日

霊魂について

 今回の記事は『B.R.アンベードカル著 「ブッダとそのダンマ」 山際素男訳 光文社新書』からの考察です。というかこの本には大変感銘を受けておりますので、今後もこの本の内容を題材にした記事を
書いていきたいと思っております。

 学会では三世(過去世・現世・来世)の生命などと言われたりして、人間の主体は生命(霊魂のこと?)でそれは永遠不滅であるなどと教わりました。
 私は独り言スレで『生命とは意識』であると書いておりますが、当然肉体が滅べば意識(生命)も消滅してしまうわけで、”一人の人間としては現世のみの存在”であると考えております。
 
 

 『B.R.アンベードカル著 「ブッダとそのダンマ」 山際素男訳 光文社新書』の『第三部-第四章 何がダンマではないか』の「四 霊魂を信じるのはダンマではない」を以下に引用します。
 ブッダは霊魂に依拠する宗教は推論に基づいているにすぎないといった。霊魂を見たもの、それと話したものはいない。霊魂は知られざる見えないものである真実存在するのは霊魂ではなく”こころ”なのだ。こころは霊魂とは違う。霊魂信仰は無益だ、とブッダはいった。それは迷信を生むだけで益がない、と断じただけではなく、彼はあらゆる面からこの問題を検討した。霊魂信仰は神信仰と同様に一般的で、バラモン宗教の重要な部分である。そこでは霊魂はアートマあるいはアートマンと呼ばれる。アートマンは肉体とは離れて存在するが、生まれた瞬間から常に存在し体内に生きている実体に与えられた名称である。
 霊魂は肉体と共に消滅せず、他の肉体が生まれてくる時その中に住みつく、肉体は霊魂にとって衣服のようなものである。
 ブッダは霊魂を信じただろうか? ”否”である。彼の霊魂論はアナッタ、非霊魂説と呼ばれる。肉体から遊離した霊魂は様々な疑問を提出する。霊魂とは何か、どこから来、肉体が死んだ時それはどうなるのか、どこへ行くのか、その後どんな形で存在しているのか、遊離した後どのくらいその状態でいるのか、などの疑問についてブッダは霊魂説支持者と議論を戦わせた。彼はまずお得意の反対尋問形式で、霊魂についての考えがいかに不明瞭なものであるかを明らかにしようとした。
 ブッダは霊魂支持者にそのサイズと形を尋ねた。
 彼はアーナンダに、霊魂に関する言説は沢山ある、といい、ある者は、”わが魂は形がありそれはすこぶる微細である”、またある者は、”それは形をとり限りがなくかつ微細だ”と称し、あるいは、”無形で無限である”などといっているといった。「霊魂信仰者は霊魂をどのように知覚しているのか?」とブッダは更に尋ね、ある者はわが魂は感じるといい、ある者はいや私のそれは感じないが、無感覚でもない、ある者は感情を持ち感覚も持っているといった。
 ブッダは肉体の死後における意識の状態、死後も霊魂は見えるかどうかなどについても質問しその都度実に曖昧な申し立てを受けている。死後も霊魂は形を保っているとかという質問に対し彼は八つの異なった推測があるのを知った。霊魂は肉体と共に消滅するかという質問には数え切れないほどの意見が続出した。肉体が滅びた後霊魂は幸せかどうかという質問に対してもバラモンや隠者は色々と意見を異にしている。ある者はまったく惨めだといい、ある者は幸せ、ある者は幸せでもあり惨めでもあるといい、他のある者は幸せでも惨めでもないと答えている。
 ブッダのこれら様々の説に対する答えは、彼がチュンダに与えたものと同じである。彼はチュンダにこういっている。
「チュンダよ、これらの説のいずれかを信ずる隠者やバラモンに対し、私は”そうですか、友人よ”といい、かれらが”そうです、これのみが正しいのです”といっても、彼らの主張を受け入れるわけではない。何故ならこの種の質問にはまったく各人各様の説があるからだ。私にとってはそれらの意見は皆取るに足らないものだ」
 ブッダの霊魂否定の論拠は彼の神の存在否定と同様である。つまりそんなことの論議は無益だといっている。彼はまた霊魂信仰は神信仰と同様”正しい見解”の薫有に有害であり、神信仰以上に迷信の温床になると警告している。またそれは司祭職を強化し、生まれてから死ぬまでの間、人間を完全に意のままに牛耳る権威を与えることになるといった。だが彼のこの論争態度のせいで、ブッダは霊魂存在について何も明確な意見を表明していないとか、その存在を否定していない、あるいはただ問題をはぐらかしているだけだなどといわれる。だがそれは間違っている。彼はマハーリイに対しはっきり”霊魂”などというものは存在しないと断言している。だからこそ彼の霊魂説はアナッタ=無我・非霊魂説と呼ばれるのである。
 霊魂存在を否定する一般論以外に、ブッダは霊魂説にとって一層致命的なものと考えた反対論を提出している。それはナーマ(名「みょう」)=ルーパ(色「しき」)論である。名色論は人間という知覚的存在の構成要素の厳密な分析に基づいている。この知覚的存在は物質的要素と精神的要素の複合物でスカンダ(蘊「うん」=積み集められたもの)といい、ルーパ・スカンダ(物質)、ナーマ・スカンダ(非物質)とに分けられる。ルーパ・スカンダは地、水、空気のような物質要素から成り立ち、肉体=ルーパを構成する。ナーマ・スカンダが知覚存在を作る。これがヴィンニャーナ=意識である・ナーマ・スカンダは三つの心的要素−−ヴェーダナー(現実と接触する六つの感覚が生じる感情)、サンニャー(知覚)、サンカーラ(心理状態)を含む。現代心理学では意識が他の心理的現象の主原因であるという。つまりヴィンニャーナが知覚的存在の中心であるということをだ。
 意識は地、水、火、空気の四要素の結合体である。このブッダの提出した意識論に対し意識はどうやって生まれるのかと反論するものがいる。確かに意識は誕生と共に生まれ死と共に消滅する。それでも意識はこの四要素の結合体だといえるのか? ブッダは物質的要素の共存あるいは集合体が意識を生むのではなく、ルーパ(物質・色)があるところに意識が伴うのだといっているのだ。〜中略〜
 ブッダの反霊魂説はこれに止まらない。一度意識が生じると人は知覚的存在となる。それ故意識は人間生活の主体となる。意識は認識的、感情的、意志的である。意識は、内在的出来事であろうと外的事物であろうとそれを判断、理解すべきものとして知識、情報を伝えるとき認識的である。意識は主観的状態において、嬉しいとかつらいとかに特徴づけられているとき感情的となり、感情的意識が情感を生む。意志的段階の意識は、ある目的を達しようと自らに働きかける。意志的意識が我々のいうところの意志や行動を生む。知覚的存在の総ての働きは意識を通じ、あるいはその結果として知覚的存在が遂行するものであることがこれで明らかであろう。このような分析を行った後ブッダは霊魂が行う働きとは一体何なのかと尋ねる。霊魂に帰される一切の働きは意識による以外の何ものでもないではないか、と。何ら機能も有しない霊魂とは馬鹿馬鹿しい限りではないかと。故に霊魂の存在はダンマたりえない。

 長い引用になってしまいましたが、アンベードカル氏のブッダのダンマの理解からは霊魂説はダンマではないと述べられて、私の「生命とは意識」と考えること、この引用にあるように『確かに意識は誕生と共に生まれ死と共に消滅する。』と言われていることとも合致しているように思われます。
 アンベードカル氏はこの著書でブッダのカルマ説も詳しく解説されておりますが、このブッダの非霊魂説とも見事に調和し、また氏が解説するブッダのカルマ説は2/12の記事の『良い言動と悪い言動』でも少し触れましたが、個々人が生き、その間に行った言動がこの人間社会に与える『社会・道徳的秩序』=『カルマ』であると言われているように思いますが、これはまた別の記事で書きたいと思います。
posted by わめ at 17:07| Comment(2) | TrackBack(0) | ブッダとそのダンマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
わめさん、お久しぶりです。

掲示板の方ではすんませんでした。
わめさんとうまく対話できなくて書けない状態に陥りました。
その後私も『ブッダとそのダンマ』を読みました。
(アンベードカル博士の主著で、かつ書店で買えたので)
みれいさんのブログにもちょこっとおじゃましてみました。
その結果書けない状態を脱することができたので再び来て見たです。

『ブッダとそのダンマ』では輪廻は否定するが再生を認めてます。
(シャーリプトラは再生も否定する人物として描かれてますが...)
再生が「火」のようなものだとすると、家系や民族や集団の存続を意味
するのかと思ったりします。

『ブッダとそのダンマ』はLibraさんの仏教理解に近いものがあり、
(相違点が全くないわけではないですが)、理にかなっていて共通する部分が
「ダンマ」なのかなとも思ったりもしています。

『ブッダとそのダンマ』の原著は50年前のものですが、アンベードカル博士の
インドでの業績と共に今でも色あせない何かがあるようですね。

また、『ブッダとそのダンマ』の後書きにもありますが現代のインドの仏教運動は
すごいものがあるようです。


Posted by Leo at 2006年03月06日 02:32
 Leoさん、キャアー!!,,,((*≧∇)乂(∇≦*)),,,オヒサー♪

> 掲示板の方ではすんませんでした。
> わめさんとうまく対話できなくて書けない状態に陥りました。

 いえいえ、私の拘り過ぎがいけなかったんだと思います。
 師匠やLeoさんとだと(誤謬の発見に)期待しちゃってつい突っ込み過ぎてしまいます。汗
 申し訳ありませんでした。

 『ブッダとそのダンマ』を読まれたそうで、これを題材にまたお話ができそうで嬉しく思います。(⌒〜⌒)


> 『ブッダとそのダンマ』では輪廻は否定するが再生を認めてます。
> (シャーリプトラは再生も否定する人物として描かれてますが...)
> 再生が「火」のようなものだとすると、家系や民族や集団の存続を意味
> するのかと思ったりします。
>
> 『ブッダとそのダンマ』はLibraさんの仏教理解に近いものがあり、
> (相違点が全くないわけではないですが)、理にかなっていて共通する部分が
> 「ダンマ」なのかなとも思ったりもしています。
>
> 『ブッダとそのダンマ』の原著は50年前のものですが、アンベードカル博士の
> インドでの業績と共に今でも色あせない何かがあるようですね。
>
> また、『ブッダとそのダンマ』の後書きにもありますが現代のインドの仏教運動は
> すごいものがあるようです。

 Leoさんの読後のご意見、私も再度読み直して改めてお返事したいと思います。^^
Posted by わめ at 2006年03月06日 15:02
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