2005年12月25日

強信者の心理と態度

 『自性・無自性について』の記事のコメント欄で、くまりんさんやLibra師匠やLeoさんとおまけのわめで有意義な議論が続いておりまして、わめもその議論に参加したくて新しい記事を書くのはしばらく控えようかと思ったのですが、その議論の中で「唯一絶対思想への強信者の態度」についてのお話も出てきておりますが、これは以前の『宗教はやっぱり好きになれない』の続編的な議論でありますので『自性・無自性について』から切り離して話し合えればと思いこの記事を書くことにしました。それとそのコメント欄では強信者の態度と書いてしまいましたが、その態度は唯一絶対思想への強信者の心理からくるものですので、この記事では態度も含みますがその心理についても考えてみたいと思います。
 『自性・無自性について』の記事のコメント欄でわめが書いたことと重複(一部加筆修正)しますが、わめの思う強信者の心理とは、創価学会(広い意味で日蓮仏法含む)の強信な信者、広くは他の宗教やあらゆる思想などを絶対的に信じる強信者の態度(心理)を以前より知る者にとっては、わめに限らずともそのような印象を持つ方も多いのではないかと思います。
 またそのような人(強信な信者)と接する機会があれば今までに関わりがなくとも何とはなしに感じることができる方もそう少なくはないと思います。
 言わば唯一絶対思想への強信者の心理には、共通性がみられると感じております。
 
 
 唯一絶対思想とは対象となる思想が、他のあらゆる思想よりも優れているとする主張が含まれる思想を指して使っています。
 ただ、カルト性といった意味ではカルトの定義も曖昧に思いますし、唯一絶対思想への強信者の心理がすべてカルト的と思っているわけでもないのですが、他者の意見をその唯一絶対思想の尺度から判別しそれに合わない場合や、その思想からは低レベルと定義される場合や、その思想にない意見は受け付けない・批判的になるといった心理や、意見を異にする者を見下す、哀れむ、蔑むといった心理が働きその態度や言動に現れることが顕著であるように感じるのと、この現実社会においてこのような心理や態度は決して良いものとは言えないとわめは思っておりますし、この点においてテーラワーダもわめの言う唯一絶対思想、その強信者にはそのような心理や態度が見受けられると思います。
 このような意見をわめは述べましたが、くまりんさんから下記のようなお返事が頂けました。^^
 テーラワーダは議論の俎上に引き上げない限り不特定多数に向かってそのようなことはないと思います。とゆーかさんにしてもいきなり出てきたわけではなく「テーラワーダ仏教で言う障害」でわめさんの批判があったから応えに出て来られたのではないでしょうか。
  
 教団としてのテーラワーダは日本仏教の各派やキリスト教教団とも交流をしていますし、僧伽としての活動はそのスタート時点から社会に適応しており、創価学会のように真面目な信者から集めた財施を批判ではなく罵詈雑言で罵倒した教団への裁判費用ですとか、殺人事件に関与するような噂ですとか、出版妨害事件ですとか、盗聴事件で敗訴して有罪判決を受けるような世俗のルールを破るようなことはしていません。

 とゆーかさんとわめさんとのこちらでの議論はあくまで個人対個人の議論に納まるものではなかったですか。例えば他のテーラワーダの方も今回の議論は承知していたにもかかわらず、とゆーかさんを加勢に発言される方はおられず、あくまでもとゆーかさんとわめさんとの議論と言うことで見守られバトルになるようなことはなかったと思います。これが例えばわめさんのところではなく、わめさんが言われるような「創価バリバリ会員」のブログに僕なりとゆーかさんが出て行ったらおそらくバトルになってこちらが罵詈雑言で罵倒されたことでしょう。2chの創価系の版でも僕の大乗仏教成立に関するエントリに賛意を示してくださったかたがいらっしゃるんですが、他の方の反応をみるととてもじゃないけど発言する気にはなれません。
 創価学会とテーラワーダの相違点はその思想による違いが強信者の態度・言動に現れているように思います。

 創価学会は大乗仏教系の思想であり、慈悲からの菩薩行がその実践修行としてあげられると思うのですが、それはより多くの人にその思想を理解してもらい同志として理想的な世界を築いていこうとする折伏・摂受、広宣流布の実現と言うのが目標とするところで、これらは外に向っての働きかけでありその実践が自身の修行でもあるわけで、自ずと同志としての結束も強まっていくことですし、異体同心などを協調する面もあり、全体主義的な面も否めません。

 一方テーラワーダでは初期仏教的?で瞑想など自己の心の内面に向かう実践修行が強調されていると思いますが、自己を中心として外に向いがちな創価学会の強信者と、内に向いがちなテーラワーダの強信者との違いがあると思います。

 この点においてくまりんさんがご指摘くださったように、創価学会の強信者は相手が敵対勢力(思想が違うだけでそう見てしまう)と看做すや他の同志と団結しことに当たる事が往々にしてあると思います。かたやテーラワーダの強信者は、内面に向かう実践修行が重要とされ、創価学会の強信者とは逆に、思想が違う方を見てもそのような方に関わり執着することは実践修行の妨げにもなると思うわけで、強信者の態度の面では明らかな違いがあるように思います。

 ですがその両強信者の心理としては、自身の信じる唯一絶対思想のみが正しく思っている方が多いと思いますし、内面的には両者にそれほどの大差はなく前述の『他者の意見をその唯一絶対思想の尺度から判別しそれに合わない場合や、その思想からは低レベルと定義される場合や、その思想にない意見は受け付けない・批判的になるといった心理や、意見を異にする者を見下す、哀れむ、蔑むといった心理が働』いていると思いますし、それが内面で思っている限りにおいては、身近な方以外にはさほど大きな影響を与えないかもしれませんので問題はないのかもしれませんが、やはりテーラワーダの強信者とて、とゆーかさんを例に挙げるまでもなく、折りに触れ態度や言動にそのような心理状態が現れてきているように思います。
 もちろん態度として創価学会の強信者の他者への攻撃性とは比べようもないとは思いますけれど。

 わめはその唯一絶対思想への『強信者の心理』には問題ないのか、また唯一絶対思想への『強信者の態度』には問題ないのか、その元となる『唯一絶対思想』には問題はないのか、広く意見を求めこの疑問の答えが導き出せればうれしく思います。
posted by わめ at 19:12| Comment(37) | TrackBack(1) | essay | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
わめさん、ご無沙汰してます。

こっちに書き込みさせて頂く事は初&稀なのですが、脱会者である(信者ではなかったと自認してます)私にとって、宗教とは「嫌い、好き」という感覚では無く、本当に本心から思うのですが「不要」なんです。 微塵ほども。自分と自分の家族には。

様々なサイトや掲示板で創価に対する議論や喧嘩(ですよね?)を幾ら見聞きしても「関わること」の意義を欠片程も見出せないのが本音です。

ハナから創価を「宗教団体」として認識していないせいも有りますが、社会に対して悪影響が無ければ関わりたくない思想&組織ですから。

正直、宗教というものは人間が創りだした創造物において最も「罪深い」ものの代表じゃあないかな・・・と思う昨今です。



Posted by ぜん at 2005年12月25日 20:46
確かに(特に新興宗教系の)宗教「団体」は疑問が多いですね。
(タイの上座仏教についても「最近タイ比丘の多くは堕落している」とタイ人の方が
指摘したとのことで、「ブルータスおまえもか」なのですが...)
宗教は人を安心させるものの面があるとしたら、クリスマスとか
神式やキリスト教式結婚式、お宮参り、初詣、葬式など
(お気持ちは察しますが)完全に「不要」な世の中になっていないのは
現状なのかもしれませんね。
(宗教がずっと残るのかいずれ淘汰されるのかはわかりませんが...)
Posted by Leo at 2005年12月25日 21:42
Leoさん、はじめまして(ですよね?)

わめさんトコにお世話になってる「ぜん」と申します。

宗教観は多々であり、人それぞれ千差万別なのでしょうけど日本のソレは特殊な気がします。

ペルー人(ハーフ)、エジプト人、パキスタン人等の友人知人が私にはおりますが、皆自己の確立と主張が強く、指導者であれ他者に自分の意思を委ねる事を良しとしないのです。

こんなに一指導者や一教団に人生や価値観の全てを賭け、依存し傾倒する事は諸外国人から見ても異様なのではないでしょうか?

彼等はまず「自分」ありきで「信仰」はそれに追随する・・というスタンスであり、建て前論が本音や真意を上回る事が少なく思えます。

世界にはカルト(宗教)が多々存在しますが、国政にここまで侵食している例は稀有なのではないでしょうか?

どちらかというと創価の場合、仏教というより中華思想や半島の思考という風に感じますし、少なくとも心の平安や安らぎを求めるというより、仮想敵をつくり常に争う事にカタルシスを求めるところは全体主義国家に近似です。

現代の様な「個人主義」が浸透してきている社会には受け入れ難くなっているのは当然でしょう。

全体主義や灰汁の強い宗教を時代が求めなくなってきているのは間違いなく思えるのです。
Posted by ぜん at 2005年12月25日 22:40
ぜんさん、はじめまして。

>ペルー人(ハーフ)、エジプト人、パキスタン人等の友人知人が私にはおりますが、皆自己の確立と主張が強く、
>指導者であれ他者に自分の意思を委ねる事を良しとしないのです。

友人知人の方はキリスト教の方、イスラム教の方と思われますが、日本の状況は「諸外国人から見ても異様」
なのですね。

>どちらかというと創価の場合、仏教というより中華思想や半島の思考という風に感じますし、
>少なくとも心の平安や安らぎを求めるというより、仮想敵をつくり常に争う事にカタルシスを求めるところは
>全体主義国家に近似です。

ナチや旧日本、旧ソビエト同様「ちゃんと物事がわかる人」「建て前論より本音や真意を重んじる人」が上に立たない
のであれば国家はダメになるわけですし、創価が単に保守勢力の数合わせに利用されていて単に政権の安定化に寄与している
だけならまだしも実質悪影響があるのであれば捨て置けないですね(もしおかしなことをやっているのであれば
改めてカタギになってもらうしかない)。

>全体主義や灰汁の強い宗教を時代が求めなくなってきているのは間違いなく思えるのです。

「時代が求めなくなってきて」自然淘汰されるのであれば少し楽観できるかもしれません。
Posted by Leo at 2005年12月25日 23:24
Leoさん、レス戴き有難う御座います。

私の諸外国の友人達は主にビジネスで来日しており、それゆえ合理的で自己利益にならない事にははっきり「NO」を主張します。

彼等にとっては日本の利益にならない政党や宗教団体が政権に関与している事実に当の国民が「否」を叫ばないのが不自然に感じるのでしょう。

時代の趨勢や民意の反映でカルト的なものは淘汰の流れにあるとは感じますが、人間の欲望が有る限り完全消滅はありえないでしょう。

「兵器」と同義で「宗教(信仰ではなく)」が人間のエゴを貫く道具としてこの世に生を受けたのだとすれば戦争や宗教被害は人間の業なのでしょう・・・悲しいですが。

ただ旧共産国圏や全体主義の崩壊が世相の流れで有るならば、今の政権が中韓&北に毅然とした態度を取り続け、在日問題や総連、民団問題に対し世論がますます高まり、並行して創価の勢力は縮小、弱体化する事は間違いないと思います。

建築強度偽装問題の発覚やこのところのマスコミの創価に対する扱いを見るとタブー視が段々薄れてきている事を感じます・・・もうすぐ大きな動きがあるかもしれませんね。
Posted by ぜん at 2005年12月26日 11:09
 ぜんさん、Leoさん、こんにちは。^^

 お二人のお話の中で「罪深いもの」、「人を安心させるもの」、「日本のソレは特殊」、「ちゃんと物事がわかる人、建て前論より本音や真意を重んじる人が上に立たない」、「人間の欲望」、「人間のエゴを貫く道具」など色々なキーワードが出てきていると思います。

 わめからもキーワードになるかどうかは分かりませんが、敗戦後日本の父性の欠如(弱体化)が日本人がひとつの思想に依存や傾注する傾向になりやすいのではないか。つまりは身近に尊敬できる人が少ない或いは皆無になってきてしまっているところに一指導者や一思想に陥りやすくなってしまったのではないか。自身に自信のない敗戦後日本の国民性に起因するところもあるように思います。
 間違っているかもしれませんがこのことも付け加えさせてくださいね。(*´∇`*)
Posted by わめ at 2005年12月26日 12:03
 上記わめの投稿のキーワードである父性の欠如(弱体化)について、参考資料として林道義氏のホームページから『父性 16 脳科学から見た「父性」』をご紹介させていただきます。
http://www007.upp.so-net.ne.jp/rindou/fusei16.html
Posted by わめ at 2005年12月26日 12:13
『教条主義はファシズム?』からも一部引用します。^^
http://wame.seesaa.net/article/9440778.html
『 このようにわめが思う強信な学会員の教条主義ですから、その誤りを指摘されることにも自己否定のように捉え訂正することは非常に難しく思いますし、また題目・御本尊・日蓮(大聖人)への”自己に落としこんだ信仰心”の学会員の集まりである創価学会と言うものも、敗戦後よりの父性の衰退からの人間個々の潜在的な父性の渇望というものと相まって、日蓮(大聖人)・戸田二代会長・池田名誉会長と言う父性の象徴とも言うべき指導者を見出し、その指導者絶対主義を助長し、そこにはファシズムという危険な思想が孕んでいるように感じます。

 余談にはなりますが、宗教に限らずあらゆる分野において、現代は強固な信念を持つと思える父性の象徴を求めているのではないかと感じますし、それが今回の郵政民営化の是非を問う9/11衆議院総選挙でも小泉首相に父性を感じる方が多く、小泉自民の大勝の一翼を担ったのではないかとわめは推測しております。』
Posted by わめ at 2005年12月26日 12:22
わめさん、こんにちは。

戦後日本の悲劇(といっても良いと思います)の最たるものに家族の縮小や父性の喪失があると思っています。

遠いところの偉大(とされる)な指導者の奇麗事な「指導」より、身近な父母の生活や人生に根ざした言葉を重んじて欲しいものです。

「強い日本」の復権とは強い家族の絆&親子関係を取り戻す事に他ならない気がします。

それこそが、中華思想や覇権主義、全体主義に対抗できる最大要素では・・。

お金や物理的な充足感では「家族愛」を補完することなど叶わないのですから。

狂信的な創価信者の方(ネット上や現実で他者を罵り創価絶対論を語る人達)に共通する事実に「家族からの愛と家族への愛」が少しく欠如しているのは偶然ではないでしょう。

私自身、今の家族に恵まれた為もあり、全く宗教的な概念や第三者の偉大性や思想の支えを必要としないのです。

実際、仕事や人間関係そして家庭が充実し確立出来ている人がカルトやマルチ商法に付け入れられる隙など無いでしょうね・・・。

Posted by ぜん at 2005年12月26日 12:37
ぜん様へ
 あなた様の絶望的な宗教的無知をひけらかされるのは勝手ですが、創価学会をカルトと思っていらっしゃるのだとすれば、自己の正当化と笑いものになることを避けるため、その不認識は改められたほうがよいですよ。

 ちなみに、創価学会では繰り返し、「一家和楽の信心」「親孝行」「世界の平和もまず家庭の平和から。」当等、家族の大切さが指導されていますが・・・。

 結局、あなたが法華経を理解できなかっただけの話でしょ、ぜん様
Posted by nana at 2005年12月26日 15:08
nanaさん、こんにちは。

わめさんにご迷惑を掛けてしまうので簡潔に一言だけ。(レス不要です)

以前も貴方に言いましたが、nanaさんは信仰や教義以前の問題で創価を信じられており、それは宗教うんぬんの前に貴方の精神的な問題と認知しレスをせずにいました。

端的に貴方に必要なのは、精神的なフォローと肉親(もしくは無償の)愛情だと思うのです。

貴方の生い立ちやブログに書かれていた精神的疾患に対し私は精神学のプロではありませんし、偉そうに意見を言える立場ではありませんので、コメントは控えていましたがやはり法華経とか平和、信心とか以前の一人間としての問題と感じます。

よってnanaさんとは宗教論を論ずるには至りませんし、貴方の理解している(と考えている)世界観や理屈に考えを至らせるにも至りません。

ただ(繰返しますが)貴方に必要なのは宗教以前の愛情とか精神的な支えだと思いますよ・・・。


Posted by ぜん at 2005年12月26日 17:28
ぜんさん、はじめまして。

>ただ(繰返しますが)貴方に必要なのは宗教以前の愛情とか精神的な支えだと思いますよ・・・。

この一文は不要と思います。

ただ相手を怒らすだけかと。
Posted by ナマズ at 2005年12月26日 17:54
 ぜんさん、nanaさん、ナマズさん、こんばんは&ただいま〜です。^^

 外は寒くなってきました。{{ (>_<) }}

 ぜんさん、心遣い感謝です。(*´∇`*)
 ナマズさんもアドバイスアリガト!(´▽`)

 nanaさんの、創価学会をカルトと思われたら心外とのお気持ちも理解できます。
 事実、世界の一部の国々を除けばカルトと認定はされていないのですから、学会を愛するnanaさんのお気持ちからは当然のことかもしれません。

 このお話はここまでにして、nanaさんの下記コメントにお返事なのですが、

>  ちなみに、創価学会では繰り返し、「一家和楽の信心」「親孝行」「世界の平和もまず家庭の平和から。」当等、家族の大切さが指導されていますが・・・。

 学会ではこのように指導されたりしています。その通りです。が、続く

>  結局、あなたが法華経を理解できなかっただけの話でしょ、ぜん様

 との繋がりがよくわかりません。 (繋げて読んではいけないのかなw汗)
 わめも40年以上学会に身を置いてきたものとして、御書を通しての法華経理解は当然のこととして御書講義や教授補(学会での教学)として教学試験を受けられる方に、勉強会等でも指導してきましたし、また学会以外の法華経解説品は岩波文庫の法華経(上中下)を三度ほど通読した程度ですけれども、法華経には「一家和楽の信心」「世界の平和もまず家庭の平和から。」などと解せる言葉は見当たりません。
 日蓮仏法から言っても一家和楽や家庭の平和などと言うよりも、それらを壊すことになっても信心を根本とすべきであると三世の生命観の立場から教えられているように思います。
 もしもわめが間違っていなければ、この学会指導と法華経にはまったく繋がりがないと思いますし、むしろ法華経とは対照的な指導のように思いますがいかがでしょう。
 誤謬があればご指摘ください。
Posted by わめ at 2005年12月26日 18:00
ナマズさん、こんにちは。(以前お話しましたよね?)

上記の発言に関してはご覧になる方々の受け止め方も様々でしょうし、nanaさんにとっては怒りの原因になるのかもしれません。(怒らせる意図はありませんし、それで私に何のメリットもありません)

それも念頭に置いての一文です。

彼女の数多くの発言を全て読んだ上での私の率直な意見ですので。

Posted by ぜん at 2005年12月26日 18:11
わ、わめさん、気い使わせてしまいすんませんです。

信仰は個人のものですし、法華経だろうとイスラムだろうと全く自由なのは当然です。

それを他者に理解してもらうというのは個人の信条思想を押し通す事であり、宗教観の無い人間に対してはエゴの押し付けでしかないですよね?

人の心は自由であり、各人のものですから。

法華経を理解する意思もありませんし、宗教に染まらなかった自分の心に(ある意味)誇りを持っている私です。

もしnanaさんが創価批判者に対し怒りを覚えるのであれば、その相手を罵ったり妬み嫉むよりも、一番の復讐(適切な表現ではありませんが)は現実に批判者よりも幸福な家庭を設け、充実した人生を送る事が一番ではないでしょうか?

幾ら批判者を口汚く攻撃しても、その相手は「あ〜こんな宗教から足を洗えて良かった」「こんなに醜い思想に関わらずに済んで幸いだ」としか思いません。

人を憎むエネルギーを自己の向上や幸せを得る為に転換できると良いのですけど・・・。
Posted by ぜん at 2005年12月26日 19:56
 ぜんさん、こんばんは。^^

 信仰は個人の自由、もちろん信仰しないのも個人の自由、その通りだと思います。
 その上で理解し合うため、互いの誤謬の発見に努めるための議論や批判は賛成です。
 エゴの押し付けは(ノ≧ロ)ノ<嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌

> 人を憎むエネルギー

 人を憎むことは間違っているとは思いますが、でもこれは悪意の発露じゃないように思うのです。
 ぜんさんも家族を守るために必要だと感じたら、危険を持ち込んでくると”思う”相手に「人を憎むエネルギー」を発してしまうかもしれません。
 わめはこの”思う”思考に思想が絡んでいるように思うのです。
Posted by わめ at 2005年12月26日 22:07
>(以前お話しましたよね?)

あれーあきあこさんのところでですかね。
失礼しました。










Posted by ナマズ at 2005年12月26日 22:08
わめさん、こんばんは。

>日蓮仏法から言っても一家和楽や家庭の平和などと言うよりも、それらを壊すことになっても
>信心を根本とすべきであると三世の生命観の立場から教えられているように思います。

そのようです。
仏法を極めようとすれば両親や指導者に従っていてはダメで出離の道をわきまえなければ
ならないとのことですね(非常に厳しいですね殉教者の道ですね)。
一家和楽や家庭の平和は創価の指導だから両親や創価の指導者に従うのか日蓮(大聖人)の指導を
とるのかどっちでしょう。仮に日蓮(大聖人)の指導をとるとすると指導者に従っていてはダメ
というところにひっかかります。なので自分で考え結局は個人の選択を行い、そして
誰かがマイナスになって誰かがプラスになるのでなく誰もがプラスになる方向になったらいいなあ
などと少し楽観的に思う次第です。

「仏法を習い極めんとをもはばいとまあらずば叶うべからずいとまあらんとをもはば
 父母師匠国主等に随いては叶うべからず是非につけて出離の道をわきまへざらんほどは
 父母師匠等の心に随うべからず」(報恩抄)

「内典の仏経に云く「恩を棄て無為に入るは真実報恩の者なり」等云云、比干が王に随わずして
 賢人のなをとり悉達太子の浄飯大王に背きて三界第一の孝となりしこれなり。」(報恩抄)

「内典には恩を棄て無為に入るは真実に恩を報ずる者なりと仏定め給いぬ、悉達太子は閻浮第一の
 孝子なり父の王の命を背きてこそ父母をば引導し給いしか、比干が親父紂王を諌暁して
 胸をほられてこそ賢人の名をば流せしか」(下山御消息)
Posted by Leo at 2005年12月26日 23:08
うん・・・やっぱ人を憎むのも傷つける事も嫌ですね。

「人の嫌がる事はしない」「他者は自身の鏡」まったくもってその通りですね。古人は偉大だわ。

私の意識の転換期はこどもの誕生時よりなのかもしれませんが、やはりこどもに憎しみや攻撃性を植えつける教育はしてほしくないなあ・・・。

それが宗教団体であればなおさら。

植えつけられた憎しみや会った事もない人物への恨みがいつしか自分の事として転化されてしまう・・・。

特定アジアの反日教育と同じく権力者の都合によって人格まで歪められてしまうのはいたたまれないですね・・・。

せめて疑問だけでも抱いてくれれば、と思うのですが。
Posted by ぜん at 2005年12月27日 11:02
 ぜんさん、こんばんは〜^^

> うん・・・やっぱ人を憎むのも傷つける事も嫌ですね。

 うん、誰だってそうだと思うよ。nanaさんもホントはしたくないんじゃないのかな・・・

> 「人の嫌がる事はしない」「他者は自身の鏡」まったくもってその通りですね。古人は偉大だわ。

 ここらに思想が絡んでくるような気が・・・
 人が嫌がっても、嫌がることをさせても、その結果として喜んでもらえることをしたいというような気持ちが湧いてくる思想があるように思います。
 目の不自由なお年寄りが信号を無視して横断しようとしたら、つい止めてしまう方もいるでしょ?わめもその口ですが、その時に目の不自由なお年寄りが「私はちゃんと見えてるよ、今青だからいいの、お節介はやめて!」って言われても見えてないじゃん!ってw汗
 ある思想を強く信じている方からは、その思想を信じない方を目の不自由なお年寄りのように見えてしまうように思います。

> せめて疑問だけでも抱いてくれれば、と思うのですが。

 ひゃっきまるさんからあるBBSで指摘を受けたのですが、常識や社会のルールを守っていればそれでいいといった生き方が苦手な方もいるようです。
 それがうまく活かされたらいいのですが、そのような方ほど唯一絶対思想に惹きつけられるような気がします
Posted by わめ at 2005年12月27日 18:51
わめさん、こんばんは〜。

寒いっすね。比較的温暖なウチの地域でも日陰は凍る様になってきました。

う・・・ん・・・そもそも人間性善説に基づいて考えた物言いでしたね、上記の私の発言は。

誰が誰を傷つけようと暴言を吐こうと「余計なお世話」なのですよね、その当人には。

悲しい事ですが、昨今の世相を見る限り自分の家族をそういった悪意から守るのに「他者の善意」を期待できない(してはいけない)情勢ですね・・・。

疑問にしてもあるレベル以上の方には何をもって「疑問」とするのか自分自身で理解できないのでしょうね。

やはり家族主義が必要です、今の日本には。

他人には「おせっかい」でも親族の心身を張った行動ならカルト的、犯罪的なものから大事な人を守る「無償の思いやり」ですから・・・。

Posted by ぜん at 2005年12月27日 19:45
 ぜんさん、更に突っ込むわめです。涙

 悪意、善意は言動する側、それを受ける側のそれぞれが主観で感じることじゃないかと思うのです。

 わめからは、ぜんさんにもここでコメントされたnanaさんにも、悪意を感じることができません。

 ただ悪意がないからといって、人を傷つけるような暴言は悪い行いだと思います。

 そういう意味では創価学会をカルトと公言することも、学会や学会員の立場に立てば暴言のように取られてしまいますし、日本の社会では創価学会をカルトと認定していませんし、裁判になっても創価学会を裁判所はおそらくカルトとは認定しないと思いますし、事実に反する誹謗中傷と判じられてしまうかもしれません。

 一番気を付けなければならないのはわめですが(自爆w)、人を傷つけるような暴言は気を付けていきたいと思います。
Posted by わめ at 2005年12月27日 20:14
わめさん、お返事ありがとフ〜〜〜ッ!!

悪意の無い「悪い行い」ですか・・・。

難しいモンですよね。心を扱う商売って。

現代は教師や医者や宗教者が清廉潔白な「聖職」とされていた時代ではありませんよね。(というか元々そうではないのですが)

それでも「心」を飯の種にする最右翼の宗教にはクリーンなものを求めると思うのです。本来は。

というか世間は宗教法人としての定義としての創価では見てはいませんが・・・。

でも最低限のモラルと思いやりと人間の権利への尊重をして呉れると有りがたいのですけども。

ちょっと上のわめさんのカルトへの反応も「創価的」なかほりを感じてしまう・・と言ったら意地悪ですか?w

ただ・・・一言わめさんいい?

創価被害者にとっては「カルト」であろうとなかろうと加害団体に変わりはないんです。(私が被害者という話ではなく・・被害が皆無では無いのですが)

つまり加害者側が「カルト」呼ばわりされるのは「心象を害する」のかもしれませんが、現実に心身を傷つけられている被害者側にとっては「気分を害する」とか言ってるレベルじゃ無いんですよ。

恨みつらみを述べるつもりではありませんが、言葉で済む位の話なら「創価問題」という社会現象(カテゴリー)には成らない訳で。

こちらも根拠なく、軽い気持ちで「カルト」という言葉を出しているのではないという事は承知してもらえると・・・助かります。

長文すんません。ストレートに書けると楽なんだけど・・・(宗教ウOコ論みたいに)
Posted by ぜん at 2005年12月28日 16:34
 ぜんさん、こんにちは。^^

> わめさん、お返事ありがとフ〜〜〜ッ!!

 「フ〜〜〜ッ!!」?、「フォ〜〜〜ッ!!」でないかい?(笑)
 ってジョゼさんはいずこ。(´・ω・`)ショボーン

> 現代は教師や医者や宗教者が清廉潔白な「聖職」とされていた時代ではありませんよね。(というか元々そうではないのですが)

 『やっぱり宗教は好きになれない』 http://wame.seesaa.net/article/10650360.html#comment で昨日・今朝と書いた、わめと意見が合うわ。(*´∇`*)

> でも最低限のモラルと思いやりと人間の権利への尊重をして呉れると有りがたいのですけども。

 この辺が思想重視になると難しいと思うだよね・・・
 思想に限らなくても勝つこと優先のスポーツ競技の練習なども破っちゃう場合があるかもしれませんね。

> ちょっと上のわめさんのカルトへの反応も「創価的」なかほりを感じてしまう・・と言ったら意地悪ですか?w

 意地悪ですw笑 40年以上もやってきたからまだ創価トラウマや創価アレルギーが残っているのに。涙

> ただ・・・一言わめさんいい?

 ぜんさん、分かってもらってないかも・・・
 創価被害者って言うけど、できることならわめも半生を返して欲しいよ。
 創価に限らず宗教による被害者(本人にも責任の一端はあるとしてもね)は沢山おられます。
 でも愚癡っていても仕方ないじゃん。わめは愚痴りたいからブログやっているわけじゃないよ。
 非難や愚癡ってより良い方向へいくならわめもそうするけど、それでより良い方向へ変わっていけるのだろうかが疑問だし悪化させることになるなら余計にまずいと思うもん。

 それと創価やアンチ創価とも関わっていない方も大勢いると思うけど、そのような方は客観的な目を持っていると思うのだけど、そのような方にわめのブログを見てもらったとして、どっちもどっちだって思われるようなブログにしたくないもの。
 客観的な目でしっかり見てもらって被害に遭う道に進んで欲しくないし、まして被害者が加害者になっていっては欲しくはないのです。
 ぜんさんだってきっとそうなはずなのにと思うわめでした。(・_・、)
Posted by わめ at 2005年12月28日 17:35
横からごめんね

>ぜんさん、分かってもらってないかも・・・

僕、わめさんのこういう言い方嫌いやな〜

>「フ〜〜〜ッ!!」?、「フォ〜〜〜ッ!!」でないかい?(笑)

これも、ぜんさんのため息やで〜。たぶん。



Posted by 三九郎 at 2005年12月28日 22:22
あ、三九郎さんだ。そうですね、言葉は難しい。

選びつつ使っている積もりですけども。

あの・・・わめさんや創価の方達に加害者の意識を持って欲しいとか、責任を感じて呉れ・・という積もりは無いのです。

それを求める権利も私には無いですし。

ただですね、こういう場をお借りして問題提起や論議する事は「愚痴」とは違うと思うのです。

多分「創価嫌い」の方の多くは一方的な思想や選民意識、一般とかけ離れた価値観などを嫌悪しているのであって、「宗教嫌い」とはニュアンスが異なるのではないでしょうか?

情報を「デマ」、批判や意見を「誹謗中傷」、敵対勢力への攻撃を「法戦」「慈悲」などと都合よく解釈し脳内変換してしまう思想の延長に「愚痴」という言葉も当てはまるのでは・・。

わめさん耳障りな話でごめんね。けど愚痴と断じてしまうと話が・・・。

わめさんが創価思想バリバリとは思いませんが、たまに違和感を感じるのも確かなもので・・。
(ご、ごめんね・・・。)


Posted by ぜん at 2005年12月29日 11:41
ぜんさん、こんばんは。

>どちらかというと創価の場合、仏教というより中華思想や半島の思考という風に感じますし、少なくとも心の平安や安らぎを求めるというより、仮想敵をつくり常に争う事にカタルシスを求めるところは全体主義国家に近似です。

このところ、誠にその通りだと思います。私のような「個人の心の問題」に焦点を当てすぎてしまう傾向のある人間にとっては、このような視点はとても重要だと感じます。

学会のいわゆる強信者の人にも、このような見地ー所属集団の客観視と申しましょうかーで物事を見てもらいたいと思うことがあります。
Posted by 軒ちゃん at 2005年12月29日 18:25
軒さん、ご無沙汰しております。

私は創価学会という団体が無くなれば良いとか、不必要であるとは言えないのですが(心の支えや依存している方が多数いらっしゃるので。組織関連で生活している方もおられますし)

しかし一つの思想で個を縛る危険性と現実に悲惨な出来事を見聞きしてきた経験から創価問題には焦りを感じてしまうのです。

心を扱う商売には公平性と許容性、柔軟さが必要だと思っていますが創価はそれらがことごとく欠けている様に見えてしまうのです。

こういう発言は「余計なお世話」なのかもしれませんが、「お世話」をせずタブー視してきたツケが今の現状ですので・・・。
Posted by ぜん at 2005年12月29日 20:03
 三ちゃん、ぜんさん、軒ちゃん、コメントアリガト!(´▽`)

 皆さんのご意見は『宗教はやっぱり好きになれない』 http://wame.seesaa.net/article/10650360.html で書いていることとも相似するご意見かもしれないと感じました。^^

 ただわめは創価学会に限らず多くの宗教団体には同じような問題が潜むと思っておりますので、この記事ではより深く掘り下げ思想が人に与える影響などの問題定義をしているわけで、できましたら一宗教団体のお話に留まらずその本質はどこにあるのかといったこのテーマに沿って議論が進められたらあり難いなって思っております。(^^;
 またアンチという偏向思想的なものもちょぴり怖く感じますので、なるべく客観的なご意見をお願いしたいと思います。

 人は何か拠り所が必要なのでしょうか・・・
 一人孤独に生きるのは絶えられぬものかもしれません。
 皆さんはこの点どうお考えでしょうか?

 わめはリアルやネットで思想に縛られない色んな方達との人間関係を拠り所にしているのかもしれません・・・
Posted by わめ at 2005年12月29日 20:35
> 情報を「デマ」、批判や意見を「誹謗中傷」、敵対勢力への攻撃を「法戦」「慈悲」などと都合よく解釈し脳内変換してしまう思想の延長に「愚痴」という言葉も当てはまるのでは・・。

 ぜんさんのこのご意見はこの記事中で書いた『他者の意見をその唯一絶対思想の尺度から判別しそれに合わない場合や、その思想からは低レベルと定義される場合や、その思想にない意見は受け付けない・批判的になるといった心理や、意見を異にする者を見下す、哀れむ、蔑むといった心理が働いている』と同じようなご意見に思うのですが、あ、それとわめの事の発端の”愚癡”という言葉は不適切だったと思いますが(ごめん)、感情の発露的と言えばいいのかそのような発言ではなく、よりよい結果を得るための発言を心がけて欲しいとのことからこの失言をしてしまいましたが、それはぜんさんの言われる”思想の延長に「愚痴」”だったのでしょうか。
 わめは唯一絶対思想に長い間どっぷり浸かってしまい相当アレルギーにはなってしまっているように思うのですが、これは子供の頃に受けた虐待から嫌悪感を持ちながらも親になったら子供を虐待してしまう傾向が強いといったことと同じで、知らず知らずに唯一絶対思想の影響を受けているのでしょうか・・・涙
Posted by わめ at 2005年12月29日 20:54
わめさん、おはようございます。

>一宗教団体のお話に留まらずその本質はどこにあるのか

「強信者の心理と態度」に関連してその一端ですが、実はある種の心理療法でも「変な治り方」が問題になってます。

それはいろいろな問題で悩んでいる本人が、問題が起きる状況、原因などを自分の頭で考え解決しようとするのではなく、心理療法家の持っている体系的なものの見方をそっくり受け容れて、彼の人格を本人の人格の中に取り込みんで本人が安定してしまうんですね。見ていると人格転換あるいは憑依現象のようです。その結果、よく聞かれるのが「新興宗教みたいだ」という言葉です。

そうなってしまった人は確かに心が安定しますが自分がすることにあまり疑問も感じなくなります。とにかく自信家になり、人に迷惑をかけても、自分の行為を反省するということが無くなります。

一部の宗教における「信ずれば救われる」というのもこういうものに近いかな、とか考えています。自分が問題を考えず悩まずに安定しちゃうんですね。その結果が本人にとって、更に周囲にとって好ましいかどうかは別問題ですが。
人間革命、というのももしかしてこういうものかも、と思ってます。
Posted by 軒ちゃん at 2005年12月30日 08:31
ぐぐ〜〜。

わめさんを悩ませてしまっているようで心苦しいです。

わめさんの事好きですしお話には尊敬も覚えているのは本当です・・・。

本当の問題は一団体や政党とかのレベルじゃなく人間そのものだから話はややこしい訳で・・・。

Posted by ぜん at 2005年12月30日 12:40
本日デパートに買出しに行った。
開店前から行列ができ、開店と同時に食料品売り場はごった返していた。
そんな中で蒲鉾の選択をしていた。

蒲鉾売り場では試食を勧めていたが、蒲鉾はあまり好きじゃないので手を振って「いらない」と意思表示した。
それでも試食を勧めるので「いりません」と言って断った。
そうしたら今度は口の前に試食品を突き出して「食べてください」と言ってきた。
むっとして手でそれを遮ると同時に「いらないと言ってるだろう!」と怒鳴ってしまった・・・いやいや「怒鳴ってしまった」ではなく「怒鳴った」である・・・あの状況では怒鳴るのは正当であり「怒鳴ってしまった」などと恥かしがるようなことではないから。

なんなんだろう・・・咄嗟にバリバリ学会員の「正しいことを教えてあげているんだ」という押しつけを思い浮かべた。
不愉快・・・たった1分にも満たないやりとりでその後何時間も不快な思いをする・・・そのことを正義(妄想である)の押しつけをする人は想像できないのだろう。

強信者の心理と態度・・・年末に改めて考えさせられる・・・実際に自分が相手をする場合には、常識のある人への対応と違った強い拒否を示さないといけない・・・たとえそれがより相手の強信を増すことになろうとも・・・こちらは相手を強信から目覚めさせる責任などなく、勝手に相手から聞きたくない話を聞かされているのだから、あくまでも自己防衛のための発言と態度で臨むのがいいと思う。

但しネット上では面と向っているのではないから、また違った対応である・・・これが意外と難しいのだが。
本年はこのブログに出会って色々と考えることができました。
また来年もよろしくお願い致します。
Posted by 創価瓦解 at 2005年12月30日 16:51
創価瓦解さんのコメントを読ませて戴いていて、学会の論理を思い出しました。

折伏して相手が反発すればするほど、頑張っている証拠だ、信心をすれば必ず難が起きるんだ、をこの場合に当てはめてみますと、

試食用の蒲鉾を突きつける→断られる→店長(*学会幹部的メンタリティー)が「一生懸命やってるからこそ難が生じた証拠だ。もっと頑張れ」→次の日、更にしつこくする→嫌われて、売れなくなる→店長「今こそ、試されているんだ。更に頑張れ」→もっと売れなくなる・・・最後に『売れなくなったのはお前一人の責任だ。すぐ辞めろ』と言われ、あっという間に首になる。(あるいは本人がノイローゼになる)とか、色々考えられ留と思います。
Posted by 軒ちゃん at 2005年12月30日 18:04
 皆さん、コメントありがとう。^^

 軒ちゃん
 「変な治り方」について、わめ自身ももしかしたら体験しているかもしれません。(^^;;
 自分で勝手に描いた日蓮像やブッダ像から日蓮ならこのような状況の時どうするか、ブッダならどうするかなどと考えて言動すると言ったことがありました。そういったことで心も安定しましたし、疑問も感じなくなっていったと思います。自分の言葉を語っていなかったようで、御書やブッダの言葉を語っていたように思います。尊敬する人の人格がそのまま自分に入り込み、自分の人格がどっか心の片隅に追いやられていたよう感覚でした。

> 一部の宗教における「信ずれば救われる」というのもこういうものに近いかな、とか考えています。自分が問題を考えず悩まずに安定しちゃうんですね。その結果が本人にとって、更に周囲にとって好ましいかどうかは別問題ですが。

 「変な治り方」は実際には治っていない気がします。
 病んでいる心が、心の片隅に追いやられて隠れているだけなのではと・・・


 ぜんさん
> わめさんを悩ませてしまっているようで心苦しいです。
> わめさんの事好きですしお話には尊敬も覚えているのは本当です・・・。

 こちらこそぜんさんにそのような思いをさせてしまって申し訳ないです。(・_・、)
 当たり障りの少ないことは言えても、なかなか言えないことがあると思うのですが、それを言ってくれるぜんさんには大変感謝していますし、自分では分からないことに気付かせて貰えてうれしいです。
 それにわめは何故かぜんさんからなら何言われても腹立たないし。ヽ(  ´  ∇  `  )ノ ♪
 これからも遠慮なくご意見をくださいね。(*^・^)チュ☆

> 本当の問題は一団体や政党とかのレベルじゃなく人間そのものだから話はややこしい訳で・・・。

 うん、団体や政党を支えているのは一人ひとりの人間ですからね。
 その人間にスポットを当てて考えて生きたいと思っております。


 創価瓦解さん、お久しぶりです。(*゜▽゜*)

> 不愉快・・・たった1分にも満たないやりとりでその後何時間も不快な思いをする・・・そのことを正義(妄想である)の押しつけをする人は想像できないのだろう。

 これが「見下す、哀れむ、蔑む」なのだろうと思います・・・
 強信者の中には常識が分かる方もいてそのような態度をださない方もおりますが、心理的には押し付けはせずともこちらを哀れんでいることには変わりないと思います。

> 強信者の心理と態度・・・年末に改めて考えさせられる・・・実際に自分が相手をする場合には、常識のある人への対応と違った強い拒否を示さないといけない・・・たとえそれがより相手の強信を増すことになろうとも・・・こちらは相手を強信から目覚めさせる責任などなく、勝手に相手から聞きたくない話を聞かされているのだから、あくまでも自己防衛のための発言と態度で臨むのがいいと思う。

 うーん、わめは自己防衛のためにも相手の強信を増すことは避けたいし、強信から目覚めさせる責任などこれっぽっちもないと思うけど、自己防衛のためにも目覚めさせることができたらいいなと思っています。
 ただこれがリアルだけの話なら、よほど信頼関係のある方以外には通用しないと思いますし、わめも創価瓦解さんと近いかもしれません。(^^;;

> 但しネット上では面と向っているのではないから、また違った対応である・・・これが意外と難しいのだが。

 これですよ。
 創価瓦解さんも何のかんの言いながら”覚醒”させようとのコメントを多くされているようにも思います。^^

> 本年はこのブログに出会って色々と考えることができました。
> また来年もよろしくお願い致します。

 創価瓦解さんや皆さんとお話が出来て沢山学ぶことができて感謝しております。
 こちらこそ来年もよろしくお願いいたします。<(_ _)>
Posted by わめ at 2005年12月31日 02:33
家族で夜中に市場で安いカニを買ってきてちょっと寝不足ですが、気になる本を見つけたので年の瀬ながらひとつ。

「カルト宗教のトラブル対策」(山口広、中村周而、平田広志、紀藤正樹 著)という本を図書館から借りてきまして、今少しずつ読んでいるところなのですが、
日本弁護士連盟のなかで宗教問題に詳しい方々が、カルト宗教だけに関わらず、宗教被害のデータや、カルト、セクトの対策などを、日本と欧米のデータなどと合わせて載せています。

読み終わったらブログでも紹介しようと思っているのですが、とても興味深い本です。

その中の項目、宗教トラブルの法律問題のなかで、家庭内の問題についても取り上げられており、各宗教団体によっても家庭内トラブルのケースは違っているのですが、
信仰ゆえに家庭を顧みなくなって離婚に至るケースが目立つ団体としてエホバの証人と創価学会が上げられていました。

また、大宗教団体が、日本一の企業であるトヨタよりも高額の課税されない現金収入を得て肥大化している現実、日本の国自体の宗教対策の遅さなど、これからとっていくべき課題や対策なども話されています。

これを、デマと受けるか、当然の事と受け取るか、対策をとるべき問題と受け取るかなど、それぞれの立場から意見は変わってくるのでしょうが、見逃してはいけない問題だと思います。
興味のある方、ぜひ読んでみてください。

ではまた来年(^^)ノ
Posted by みれい at 2005年12月31日 16:38
 みれいしゃん、こんばんは。^^

 安いカニは夜中に買うのがいいのですね。(・_・D フムフム

> 読み終わったらブログでも紹介しようと思っているのですが、とても興味深い本です。

 楽しみです。是非お願いしますね。(*゜▽゜*)

> 信仰ゆえに家庭を顧みなくなって離婚に至るケースが目立つ団体としてエホバの証人と創価学会が上げられていました。

 エホバの証人の方は身近にいないのであまり興味はないですが、学会の場合(霊法会も多いですがw)にはこのような問題は目立ちますね。離婚に至るケース以前に結婚問題もだし、またそれ以前に恋愛段階でも大きな障害になったりするケースは非常に多いように思います。

> また、大宗教団体が、日本一の企業であるトヨタよりも高額の課税されない現金収入を得て肥大化している現実、日本の国自体の宗教対策の遅さなど、これからとっていくべき課題や対策なども話されています。

 公明党が与党に組している間は宗教団体への課税は難しいように思いますが、これはやって欲しいと思います。また収支も公表すべきだと思いますし、学会や公明党のためにお金を使うより、より公共性のあることにお金を使って欲しいと思います。

> これを、デマと受けるか、当然の事と受け取るか、対策をとるべき問題と受け取るかなど、それぞれの立場から意見は変わってくるのでしょうが、見逃してはいけない問題だと思います。
> 興味のある方、ぜひ読んでみてください。

 多分読まないと思いますが(汗)みれいしゃんの読んでの記事は是非見させていただきます。^^
 って最近子供と図書館にも行ったりするので目に付いたら読むかもしれませんが。(^-^)

> ではまた来年(^^)ノ

 よいお年をお迎えください。
 来年もよろしくね。\(^▽^)/
Posted by わめ at 2005年12月31日 18:57
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Weblog: 生かして生かされて生きる
Tracked: 2006-01-16 19:52
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