2005年12月18日

くまりんさんの仏教学のお話

 いや〜今回は頭の悪いわめでも、すんなりスッポリ受け入れることが出来ました。(*´∇`*)
 あ、話が見えないですね。(^^;; えっと、EnjoyLife掲示板でLeoさんがくまりんさんに向けてのコメントがありまして、それを受けてのくまりんさんのお応えについてのことです。チャット思考なわめなので、ついつい会話しているような記事になってしまい読みづらいとは思いますがご容赦ください。<(_ _)>
 またくまりんさんは御自身のブログでも『出家とアビダルマ』のお題でエントリーされておりまして、こちらのほうが更に詳しく説明されておりますのでわめの掲示板のコメントよりくまりんさんのエントリーを見ていただいたほうがより理解しやすいように思います。
 
 
 特にわめとしてはよく分からなかった初期仏教の信仰者の方の個に向かいがちに思える点でしたが、くまりんさんのテキストを一部引用させていただきます。
ブッダ自身、悟りを得るために、家族・財産、そして国までも捨てて出家し成道から死まで一貫して「出家」の生活を送りました。説一切有部僧伽の比丘たちもそれはまったく同じです。彼らが考えたのはブッダをはじめとした先人の仏弟子たちの営みから逸脱すれば、ブッダが身を以て示したブッダの説いた教えという意味での「仏教」そのものを否定することになると考えたのです。ですから初期仏教では在家阿羅漢の存在を否定します。仏教の掲げる涅槃に最終目標に在家者は至ることが出来ないとするのです。厳密に言えば、在家者のまま阿羅漢果に到達することは可能なんですが、その状態を保持し続けることは後述するように不可能なので、即日出家するか、そのまま般涅槃(完全な涅槃つまり死ぬこと)するしかありません。
 このテキストを読めば、なるほど初期仏教は出家者向けの教えだったわけで、執着を生むものをすべて捨てていかなければならないわけで、世欲にどっぷり浸かっているわめのような者には涅槃など不可能と言うことなのです。元々涅槃など求めてもいなかったわめですからすごくスッキリしました。^^
 それとこれだけ引用してはくまりんさんが心配されているような誤解も生じるかもしれませんのでもうひとつ引用。
誤解していただきたくない点は、在家阿羅漢が否定されるなら在家仏教徒の実践は無意味だと短絡的に断ずることです。四向四果の預流・一来・不還・阿羅漢という定型句で言えば、不還までは到達できることになります。不還と言うのは次生において生死(インド的に言えば輪廻)を出離する者のことです。あるいはわめさんのように仏教から人生の哲学を学ぶというのも有りだと思います。なんせ僕らは在家(たとえ日本で僧侶だろうがインド的には在家と同じ)なんですから。
 と、涅槃や阿羅漢まで至らなくとも不還まで到達可能とのことで、在家仏教徒の実践は無意味ではないとおっしゃっておられます。わめは涅槃も阿羅漢も不還もよくわかりませんし、仏教徒でもないので関係ないかと思いきや『仏教から人生の哲学を学ぶというのも有り』とのうれしいお言葉まで頂きまして、幾分リップサービス精神が入っているとしてもわめはとってもハッピーです。^^

追記


 自性についても何となく分かってきたような。☆^∇゜) ニパッ!!
 くまりんさんのテキストを読んでのイメージ
 自性=表象の最小限の単位を記号化して定義・修行者のための哲学・マニュアル
 無自性=事実?であってもあんまり役に立たない綺麗事?・ひとつのパラダイムでの見解?

 わめは無自性の見解も役に立つとは思いますが。^^

追記の追記


 佐倉哲氏のテキストにスッタニパータからの引用があり、在家にとどまっていてはならないとのブッダの言葉があり、ここからもくまりんさんの言われているように初期仏教は出家者向け(出家を薦める)の教えであることが理解できます。

ああ短いかな、人の命よ。百歳に達せずして死す。たといそれより長く生きたとしても、また老衰のために死ぬ。人びとは「わがものである」と執着したもののために悲しむ。所有しているものは常住ではないからである。この世のものはただ変滅するものである、と見て、在家にとどまっていてはならない。
(スッタニパータ、808〜809)
posted by わめ at 16:52| Comment(0) | TrackBack(1) | 宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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