2005年12月11日

輪廻転生について

 最近わめが強い影響を受けているからかくまりんさん関わりの記事が多くなってきていますが、今回もくまりんさんが新たにエントリーくださいました記事の内容と、『テーラワーダ仏教で言う障害者』のコメント欄で、とゆーかさん、ajitaさん、そしてLeoさんの間で議論されている『輪廻転生』について考えてみたいと思います。
 でも最近わめも頭が固くなってきているのか、前回記事では読者を自論に誘導しようとの作為がありありと出ておりまして、反省の意味を込めて頭をふにゃらか(?w)にしての記事を心掛けたいと思ってますです。(^^;;

 これってよく考えたら客観的事実として輪廻転生はあるのかないのかと、ブッダは輪廻転生をあると思われていたかどうか即便仏教は輪廻転生を説く教えかどうかと、分けて考えないとわけわかめになってしまいそうに思います。

  
 わめは輪廻転生など客観的事実としてはそんなもんあるわけないんじゃねーの?と思っちょりますが(あっても面白いかもとSF好きなわめは考えてみたりもしますがw笑)、それはまぁおいといて仏教としてはどうなのかとはまた別問題であるわけで、それをごっちゃにしながら議論しても面白い答えがでそうにないように思います。このことは『輪廻説は仏教ではない』や『自分をどれだけ見つめても』でも引用させていただいた佐倉哲氏の『死後の世界観から(7)』を参考にしていただきたいと思いますが、ここでも少し引用させていただきます。
根本的な誤謬は、「死後にも生き残る霊魂とかあの世などというものがあるのかどうか」という事実認識に関する問題に対して、「人間の存在意義」とか「むなしさ」などという実存的要請から、その判断を下しておられるところにあります。それは、明日の天気予報の判断を、客観的な気象条件だけから判断するのではなく、「明日雨が降っては自分の大事な休暇が台無しになってしまうから、明日は晴れでなければならない」という勝手都合で判断を下すようなものです。事実がどうであるかを、むなしく感じるかどうかで判断するのは、体温を測るのに体重計をもってするような根本的な誤謬です。
たとえ、「人間の命がこの世限りのものであるならば、人間の存在そのものが無意味だということにな[る]」としても、それで、霊魂やあの世が事実として存在するということにはまったくなりません。事実がどうであるかは、事実がどうであって欲しいかという人間側の勝手な実存的要請とは、まったく無縁だからです。事実判断に必要なのは、人間側の勝手な都合ではなく、客観的な認識手段(観察)です。体温を測るのに体重計が何の役にも立たないように、「死後にも生き残る霊魂とかあの世などというものがあるのかどうか」という事実認識に関する問題に対して、「人間の存在意義」とか「むなしさ」などという人間側の勝手な実存的要請は何の役にも立ちません。
と、氏はおっしゃっておりますがわめもこの意見には賛成です。^^
 ですので輪廻転生を論じる場合は”人間側の勝手な実存的要請”と”仏教の教えとして(信仰)”と”事実問題(客観的事実)”とをごったにしないで頂きたいと思います。また”事実問題(客観的事実)”として輪廻転生を肯定する場合はそれなりの客観的な事実を示して頂きたいと思います。

 今回はこんだけ。(⌒▽⌒)アハハ!
posted by わめ at 01:16| Comment(4) | TrackBack(0) | 客観的事実と信仰  | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 わめさん、おはようございます。

 もりあがっているようなので、わたしも掲示板のほうにコメントしておきま
した。

 関係ありませんが、わめさんが使われている「客観的事実・暫定真理・真理」
という3つの用語の意味がいまだに理解できません。もう一度説明していただ
けないでしょうか(むこうの掲示板のスレッド「「客観的事実」とは?」でよ
いので)。

 それと、わめさんが使われている言葉で気になるのは「信仰」と「妄信」で
す。両者はそれぞれ別の意味で使っておられるのでしょうか?それとも両者は
イコールでしょうか?

 たとえば、「信仰」には「妄信」と「そうでない信」とがあると思われます
か?

 年末年始にまた書き込みたいとおもいます。
Posted by Libra at 2005年12月11日 08:00
Libra師匠、こんにちは。^^

>  もりあがっているようなので、わたしも掲示板のほうにコメントしておきま
> した。

ありがとうございます。♪

>  関係ありませんが、わめさんが使われている「客観的事実・暫定真理・真理」
> という3つの用語の意味がいまだに理解できません。もう一度説明していただ
> けないでしょうか(むこうの掲示板のスレッド「「客観的事実」とは?」でよ
> いので)。

 頭をふにゃらか(適当にかもw)にして書いた記事ですので必ずしも『「客観的事実」とは?』*1で書いたことと一致するかどうか分かりません。(調べないのかw汗) 特に客観的事実は記事中に”客観的な事実を示して頂きたい”と書いたようにかなり受け手の解釈任せな使い方をしているわけで、客観的は主観的の反対語程度に受け取って頂いてもかまわないと思います。^^ 事実についてもgoo辞書の、
じじつ 1 【事実】 名)
(1)現実に起こり、または存在する事柄。本当のこと。

程度のつもりで書いたと思います。

 暫定真理・真理については、『「客観的事実」とは?』*1で書いたことと変わりないつもりです。
 暫定真理は”暫定的に批判に耐えている言説”と言うことで暫定真理と書いてます。万有引力の法則とかを指してます。(ある限られた条件の元での真理)

 真理は、上記の暫定真理から条件が取り払われた言説を指してます。わめ的には真理の候補はあっても、今のところ人間から見た場合に真理と言える言説はどこにもないと思っております。

*1
『「客観的事実」とは?』
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/sports/20126/1127661169/


>  たとえば、「信仰」には「妄信」と「そうでない信」とがあると思われます
> か?

もちろんです。^^
わめは妄信という言葉は滅多に使ったことがなくて代わりに盲信といいますけども(意味は同じでしょうか?w)、「そうでない信」とはわめの思考の中では明らかに区別しているように思います。

>  年末年始にまた書き込みたいとおもいます。

♪((O(〃⌒▼⌒〃)O))♪わくわく

コメントありがとうございました。
Posted by わめ at 2005年12月11日 12:12
 「妄信」は「盲信」のつもりで打ち込みました。「妄信」という言葉もある
にはあるようですが、わたしもつかったことがありません。

 あと、掲示板のほうで、わたしの考えに同調できないことについて謝ってお
られるようでしたが、もともとわたしは同調を希望しておりませんので、少な
くとも、わたしに対しては謝られる必要は全くありません。ただ、いくら時間
がかかってもいいので、わめさんが同調されない理由を説明されることは強く
希望しておきます。

 わたしは年末まではここにも掲示板にも書き込まないつもりですが、それは
無視[*]ではなくて、時間的な余裕がないだけだとご理解ください。

  [*] 肯定と批判と無知と無視─無視≠ニいうことが最悪(松本史朗)
    http://page.freett.com/Libra0000/072.htm
Posted by Libra at 2005年12月13日 01:12
Libra師匠、こんにちは。

>  「妄信」は「盲信」のつもりで打ち込みました。「妄信」という言葉もある
> にはあるようですが、わたしもつかったことがありません。

 わめもお話相手が「妄信」と言う言葉使う場合にのみそのお返事で使うことがあるくらいです

>  あと、掲示板のほうで、わたしの考えに同調できないことについて謝ってお
> られるようでしたが、もともとわたしは同調を希望しておりませんので、少な
> くとも、わたしに対しては謝られる必要は全くありません。ただ、いくら時間
> がかかってもいいので、わめさんが同調されない理由を説明されることは強く
> 希望しておきます。

 今朝、掲示板のほうに少し書かせていただきましたが、これでは全然説明不足と思いますのでまた改めて掲示板に書かせてもらおうと思います。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/sports/20126/1118979037/nt248-250

>  わたしは年末まではここにも掲示板にも書き込まないつもりですが、それは
> 無視[*]ではなくて、時間的な余裕がないだけだとご理解ください。

 了解です。その間にできるだけ上記のこと他を書いていこうと思います。^^
Posted by わめ at 2005年12月13日 15:57
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