2005年12月10日

自分をどれだけ見つめても

 2005年12月04日の記事のコメント欄からずっと関連しているような記事ばかりが続きますが実は今回もです。(^^;;
 
 EnjoyLife掲示板のわめのコメントから抜粋。
 人は笑ったり泣いたり感動したり苦しんだりできる特典を持ってますけど、それも他者や環境と切り離しては味わうことができません。

 笑ったり泣いたり感動したり苦しんだりできる特典を、自分の中からどれだけ探してみたって見つかりっこないような気がします。
 このことも『少なくとも我々の世界は”ものは依存関係のなかで存在している”』という事実・暫定真理が、心が持つ感情にも当てはまると思うのですが、もう一歩分け入って考えてみると、人が笑ったり泣いたり感動したり苦しんだりする心の様は、自分と他者や自分と自分を取巻く環境との関係性の中から生まれてきているということがわかります。

  
 赤ちゃんも胎児の段階で母親の心音等を感じ取れるようになり、仏教的にはどうかは分かりませんが、赤ちゃんにとってお母さんの心音が環境との初めての出会いなのではないかと思いますが、自我の目覚めはこの頃、つまりは環境との初めての出会い・認識から始まるように思います。(事実と違ってたら突っ込んでくださ〜い。)
 自我という意識も他者・環境という自己との関係性から芽生えるように思うのです。

 赤ちゃん以前の状態に遡りますとわめには難しいので『輪廻説は仏教ではない』でも引用させていただいた佐倉哲氏の「死後の世界観から7」の「(3)関係性と存在」を引用させていただきます。

最初にあるのは存在であり、関係性ではありません。父母が最初に存在したからこそ、遺伝子情報という媒体を介して子供との間に関係性が生まれるのです。存在のないところに関係性は生じませんから。

もちろん存在のないところに関係性はありませんが、「最初にあるのは存在であり」そのあとに関係性が生じる、というのは誤解ではないでしょうか。むしろ、すべての存在(すくなくともわたしたちの知っているすべての存在)は始めから関係性の中にあるのではありませんか。
子供の最初の形態を形作ったのは精子と卵子の特殊な関係であり、その精子と卵子はそれぞれもともと父母の体の中にあって、その体の一部として、父母との(部分と全体という)関係を持っていたものです。また、父母の体の一部である精子や卵子を構成する分子のそれぞれは、父母の食べた物質から直接あるいは間接的に作り出されたものでしょう。

そして、ご存知のように、分子とは原子と原子の間の特殊な組み合わせ(関係)のことであって、分子がそれ自体で存在しているわけではありません。その原子も原子核と電子の間の特殊な組み合わせ(関係)のことであって、原子がそれ自体で存在しているわけではありません。また、原子核は素粒子の関係であり、素粒子はクオークの関係であり・・・・という具合で、すくなくともわたしたちの知っているすべての「存在」は、よくみると、すべて関係のことです。

父と母との関係、精子と卵子の関係、体とその構成要素との関係、食べる生物と食べられる物質との関係、物質と物質との関係、等々、一人の人間の存在は、このような複雑で無数の関係に依存して、始めて「生じる」ものです。「最初にあるのは存在であり」そのあとに関係性が生じる、というのは誤解だと思います。
と、『すくなくともわたしたちの知っているすべての「存在」は、よくみると、すべて関係のことです。 』と氏はおっしゃっておられます。
 わめは氏の言われる「存在はすべて関係のこと」が事実・暫定真理かどうかがまだはっきり分からないのですが、自分(自我)という意識も、感情などの心の様も自己の中にその要素として内在しているかどうかも分かりませんが、少なくとも他者・環境という自己との関係性と言うモノがなければ生まれてこないことは分かります。
 また、前回記事でも紹介した、くまりんさんにもエントリーして頂いた記事へのわめのコメントを一部抜粋。
極端な例かもしれませんが、わめの母は長年喫煙しておりましたが、わめが中一から喫煙を常習しているのを知って母自らが禁煙しました。これは自己愛より子供である他者を思う気持ちからだと思うのですが、これは他者を大切に思う気持ちから自己を良い方向に変えることができたのだと思います。わめにはなんの証明もできませんが、自己を観察することも大切だと思いますし、同じように他者を思いやることも大切だと思います。でもそこにあるのは関係性であって、関係性がないところに自己愛も他者愛も生まれないのではないでしょうか?
も、『関係性がないところに自己愛も他者愛も生まれないのではないか』との思いで書いたのですが(くまりんさんからはどんなお返事がくるか怖いですがw汗)、自分をどれだけ見つめて(観察)も、見つかるものは過去・現在に関係性により生じたことばかりで、見つけたいことの答えは関係性の中にのみあるのではないかと思うのです。
 このことからも『他者との関係優先の思想』がどれだけ重要なことか理解していただけると思いますし、そのためにもくまりんさんが『他者との関係優先の思想』のコメント欄で言われた
僕が申し上げているのはそれを常に実践するためにこそ常に自己反省が必要だと言うことのなのです。それを実現し続けるためにも常に自己反省が必要なんです。そうしなければ直ぐに自我が擡げてくる。
『自分を戒め自己反省の時間の先頭に立って未来を選択し峻別する』
ことが大切なんだと思います。

 あ、記事タイで締めなきゃね。汗 再掲!

 自分をどれだけ見つめて(観察)も、見つかるものは過去・現在に関係性により生じたことばかりで、見つけたいことの答えは関係性の中にのみあるのではないかと思うのです。

 何だか最近重めの記事ばかりになってますが、お口(目?)直しに軽めのEnjoyLife2ブログにもよかったらお越しください。^^

 追記

 やっぱひと筆書きみたいにダダァと書いちゃうと本性丸出しで自分の考えに引っ張り込もうとしてるのがバレバレだなw
 皆さんそれぞれバラバラがいい(≧∇≦)b  な〜んていっつも言いながら、またコロコロ変わる自分でもあるくせにああやだやだ。
 こんなことに佐倉哲氏やくまりんさんの引用を使っちゃって申し訳けなかった。ヾ(_ _。)ハンセイ…
 わめの醜態はそのまんま晒して置こっと。♪〜( ̄ε ̄;)
posted by わめ at 00:21| Comment(0) | TrackBack(1) | essay | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/10451181
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック

avidyā - sa#msākra、vijňāna …nirodha…nirodha…nirodha…
Excerpt: ブッダの教え わめさん、Leo さんとの対話。もうとりとめもなくいろんなところでやっております。今日はロイホ、明日はすかいらーく、一昨日はロブッションという様に。このテキストもあれれ・・・っ、ちょっ..
Weblog: くまりんが見てた!
Tracked: 2005-12-10 10:07
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。