2005年12月02日

理解し合うため

 ネタ切れ状態で何かよいネタはないかとブログの巡回をしてたら、gizmoさんのブログからいい感じの記事を発見しました。(⌒∇⌒)
 正直言ってgizmoさんのテキストは全般的に断定的で乱暴だと思うのですが(わめにだけは言われたくないって?w爆)、それは本人も認めるところでもあると思うし、ああでもないこうでもないと考え過ぎると、思っていることが書けなくなるってこともあるし、全面的に賛成はできませんが自身のブログですしそれでもいいようにも思ったりします。
 ただ、批判的コメントはブログでは控えるべしとの風潮もあるとは思うけど、コメントを許可している以上は批判も大いにやっていくべきじゃないかと思うのです。

 でもわめには今回のお題のように批判するにしてもそれは意見の違うもの同士が『理解し合うため』の批判であったり、議論であったり、互いを訂正し合うためであったりが目的であって欲しいとの願いがあります。
 それとこの記事のお題は、わめの以前からの思いでもあるし、ジョゼさんの最近のコメントアネゴもたまにはいいこと言ってるし(笑)、意外と多くの方の共通する思いでもあるのかと感じておりますし一度に書ききれるものじゃないとの思いからシリーズ化していきたいと思っちょりますばい。

  

 で、今回は冒頭で紹介させてもらったようにgizmoさんの2005/11/30付けの『みんなウソつき』の記事を全文引用させていただきます。

『みんなウソつき』

世に生きる人は、みんなウソつきだと思えば腹も立たない。
俺だってウソつきだし、誰だってウソつきだ。


ウソを恐れては、なにも言えなくなる。
実はみんなウソつきだということを前提にして、
互いに許し合っているからこそ、
言葉を発することが出来るように思う。


なにかの事実なり、考えた結果なりを、
言葉にした時点で、情報の欠落が起きる。
それをウソと呼ぶこともできる。
ツッコミどころは無数に存在するだろう。
揚げ足取りはいくらでも出来る。


言葉にするということは、要約することであるから、
レアケースは無視することとなるだろう。
そのレアケースこそ本質だと思っている人からみれば、
発信者をウソつきだと感じるのはしかたのないことだ。


シンパは、学会被害者をレアケースと見る。
アンチは、学会に救われた者をレアケースと見る。


アンチは、そんなシンパのことを
意図的に情報を隠すウソつきだと思い、
シンパは、そんなアンチのことを
意図的に情報を隠すウソつきだと思う。
それだけの話だ。


だけれども、「ウソはまあ許そうや」という立場に立てば、
双方とも許せるのかもしれないよ。
問題はどちらが頑なになっているかということだろう。
「シンパと仲良くなんて片腹痛い」と思っている
アンチの方が頑なだと俺は思う。


それは、過去に囚われているか、
未来を向いているかの違いのような気がする。
もちろん「謗法とは同座せず」というシンパもいるがね。


いいじゃん。
過去を検証すればみんなウソつきになるよ。
創価学会だってウソつき。
アンチだってウソつき。
俺だってウソつき。
話半分くらいに思ってつきあおうぜ。
みんなウソつきだから、
適当に生きていられるんじゃないか。
ウソを許さない社会の方が、
よっぽど窮屈で危険だと俺は思うよ。

 この記事ではネット上で創価学会に対してシンパ・アンチと別れて互いが敵対し罵りあったりしている昨今の様相に対してのコメントと思いますが、注目したいのは『互いに許し合っている』との言葉です。一見すると許せないから批判するんだとかの意見も出てきそうですが、いくらかでも許し合っていなければ議論などする余地もなく、それこそ「バカ、アホ、ボケ、死ね、地獄に落ちろ」などの汚い言葉を浴びせかけるだけになってしまいます。まぁ議論が熱くなってフレーム化してくるとこんな言葉も飛び出してくるとは思いますが、わめの知る範囲ではそのような状態も見かけないようです。
 人は往々にして自身が思うモラルと食い違うモラルを持つ者とで争いが起こるように思うのですが、そのモラルを持つようになったのは、その育った環境や学び取った内容や人生経験などによって人それぞれ様々でそこから導き出されるモラルも人それぞれであると思うのです。
 その人それぞれ違うモラルのどれが正しいかを何かの基準によって結論付けることができたとしても、人はただそれに従順に従い自身が思うモラルを捨てることができるのでしょうか。
 またそれが自身や他者のこの上ない幸せであると言えるのでしょうか。
 わめはこんなのまっぴらごめんです。確かにわめは他者に対してその心を傷付けたり悲しませたりする言動もしているとは思いますがマニュアル通りには生きていけません。

 この自然界を見た場合も、遺伝子の組み合わせは多様性の方向に進んでいるように思いますし、エネルギーは拡散しエントロピーは増大し乱雑化していきます。

 私たちはこのような世界に生きているわけで、何が正しいのかではなく自身と他者のモラルや思考や思想や善悪の基準の相違も認め合うしかないのではないでしょうか。認め合い理解し合いながらそれぞれの意見をぶつけ合い、そして互いに訂正しあうことが何より大切ではないかと思うのです。

 gizmoさんのこの記事で言われていることは、わめのこのような意見と極端にズレてはいないと思うのですが、それはgizmoさんに聞いてみないと実際は分かりませんが、この記事のネタ元であることは事実です。(^^;;

 ここまで書いて今夜は力尽きましたw やっぱり続きますです。^^
posted by わめ at 02:25| Comment(21) | TrackBack(0) | essay | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
フッフッフッ、やっぱりネタ切れやったんやな。

本家と軽めの2に同じような記事書いたんは…。
Posted by 三九郎 at 2005年12月02日 12:04
> フッフッフッ、やっぱりネタ切れやったんやな。

ヽ(・∀・;)ノ アヒャッ!

> 本家と軽めの2に同じような記事書いたんは…。

本人はそう思ってないのだw だからこれでいいのだ〜
Posted by わめ at 2005年12月02日 12:12
わめさん、こんにちは。

わめさんが仰る様に、互いに「尊重(互いに許しあう)」しながら意見を交換する事は難しいですよね。
かくゆう私もその一人なのですけどね。

これからも社会が進展し存続するためには、益々エントロピーやカオスが拡大するのでしょうね。結果、多種多様性が益々複雑化へと・・・

そいでは。
Posted by 孫悟海 at 2005年12月02日 12:47
はじめまして。
gizmoさんのブログからやって参りました。

これから宜しくお願いします(^o^)丿
Posted by ヤマト at 2005年12月02日 12:55
「何書こう」って、翌日には復活されて・・・
わめさんって、立ち直るのが早い方なのですね。

羨ましい。
Posted by katu at 2005年12月02日 14:53
孫さん、katuさんこんにちは。
ヤマトさん、初めまして〜。

孫さん

> わめさんが仰る様に、互いに「尊重(互いに許しあう)」しながら意見を交換する事は難しいですよね。

難しいとは思いますが異星人が攻めてきたら、意外と人間も国境を越えて一致団結とか、互いに励ましあったりとか、小異を捨て大同についたりしてね。^^
小異に拘れるのは日本で生死の狭間にいる方が少ないと言うことかもしれません。
でも異星人が攻めてこなくても貧困や弾圧に喘ぎ生死の狭間いる国々の方達のことも、小異に拘らず思いやり何ができるか考え言動していくべきじゃないでしょうか。

> これからも社会が進展し存続するためには、益々エントロピーやカオスが拡大するのでしょうね。結果、多種多様性が益々複雑化へと・・・

今までの常識が覆るほどの変化もあり得ますし、それらに柔軟に対応できる心を持つべきですね。
わめは現在の戦後よりの父性の衰退や道徳・宗教欠如の学校教育にも不安を感じています。


ヤマトさん、こちらこそよろしくお願いいたします。(*゜▽゜*)


katuさん

> 「何書こう」って、翌日には復活されて・・・
> わめさんって、立ち直るのが早い方なのですね。

血液型がある程度性格に影響を与えるのかよくは分かりませんがB型は立ち直りが早いのです。^^
と言うか、落ち込むこともないし・・・ それはアホって?w( ゜ ρ ゜ )ボーーーー
Posted by わめ at 2005年12月02日 16:38
あ 孫さん、『05年版犯罪白書』に追記したけど『その時に瞬間の過去である自分を観察し「常に過去と過去から予測される未来を選択し峻別」』するってどうよ?(くまりんさんの受け売りですがw汗)
http://wame.seesaa.net/article/9102006.html

犯罪の抑制や家庭・学校内暴力やクラス崩壊、その他諸々に効果があると思うのだけどな・・・
もちろん、他者と理解し合うことにも。
Posted by わめ at 2005年12月02日 16:48
わめさん、今晩は〜。

>難しいとは思いますが異星人が攻めてきたら、意外と人間も国境を越えて一致団結とか、互いに励ましあったりとか、小異を捨て大同についたりしてね。^^

そうですね。可能性大だと思いますね。しかし、理想は「共通の敵」が存在せずとも、だと思ってます。

というのも創価上層部が組織の共通の敵(悪)とし日蓮を掲げ、組織の団結力を高めている場合と重複して思えてしまうもので・・・

で、「常に過去と過去から予測される未来を選択し峻別」』ですが効果的だと思います。
状況とその時の自己行動を客観視(ちょっとした自己分析)をする事により、未来の行動を調整する、という事ですよね。

この方法、自分の子供時代を思い返し子育てをするの場合にも役立ちそうですね。

そいでは〜。
Posted by 孫悟海 at 2005年12月02日 18:00
実は私もB型なのです・・・
っと、書く私はどうやら「ウソつき」ではないようです。

そして、あえて血液型による相違に話を進めないことが、
「理解し合う」ことの出発点のような気もするのですが、
その先がわかりません・・・

次の記事が気になってしまう、そんなひとりです。
Posted by katu at 2005年12月02日 19:13
こんばんは。

また小さなこどもが犠牲になりましたね・・・。

「敵」や「被害者」が存在しない社会は有り得ないのだとしたら、せめて「平和」を謳う団体位は筋を通し、清廉潔白になってくれれば・・・なんて甘い考えなのですよね、建て前を別にして。

素晴らしい人間や素敵な団体が日本には多すぎますね。自戒を込めて。

ていうか、こどもには手えだすな!!!!
栃木のアホンダラがよ!!
Posted by ぜん at 2005年12月02日 23:00
孫さん、katuさん、再びのレス感謝です。(*´∇`*)

> というのも創価上層部が組織の共通の敵(悪)とし日蓮を掲げ、組織の団結力を高めている場合と重複して思えてしまうもので・・・

これ日蓮(大聖人)じゃなくて日蓮正宗のことですよね?(^^;
学会にとって日蓮(大聖人)は敵じゃないですもの。
また敵といっても聖教新聞で騒がれるほど会員一人ひとりそう思っているかと言うとそうでもないですよ。幹部もそうかもだけど、幹部は言わざるを得ないってこともありますが・・・

> で、「常に過去と過去から予測される未来を選択し峻別」』ですが効果的だと思います。
> 状況とその時の自己行動を客観視(ちょっとした自己分析)をする事により、未来の行動を調整する、という事ですよね。
>
> この方法、自分の子供時代を思い返し子育てをするの場合にも役立ちそうですね。

是非ご自分にお試しくだされ。
少なくとも感情に流されての失敗はかなり減少すると思いますよ。わめの実体験です。^^


katuさんもB型だったんだぁw(ノ゜凵K)ノびっくり!!

> そして、あえて血液型による相違に話を進めないことが、
> 「理解し合う」ことの出発点のような気もするのですが、
> その先がわかりません・・・

理解し合うと言うことは互いの相違点を認識し合うことが重要だと思いますよ。^^
これが抜けちゃうと”親友”から”あんな奴友達じゃない”って進展にもなり兼ねないと思いますです。汗
Posted by わめ at 2005年12月02日 23:04
ぜんさん、こんばんは〜^^

これですね・・・
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20051203k0000m040115000c.html

犯人は他者の痛みを感じることができないのか、情動に振り回されての犯行か、自身を大事にできないこともその要因かもしれません。

学校現場での道徳・宗教(基礎)教育はやっぱ必要じゃないかと強く感じます。

> ていうか、こどもには手えだすな!!!!
> 栃木のアホンダラがよ!!

うーん、腹が立つ気持ちはわめも同じですが、この気持ちを犯人だけに向けていいのか、一歩進む道を間違えたら自身も同じ過ちをしてしまわないかなども考えてしまいます。(^^;;

こういった犯罪を犯す方の育ち方や人間関係・生活環境などを知って、犯罪を未然に防げる社会になっていければいいと思うのですが・・・
Posted by わめ at 2005年12月02日 23:32
わめさん、失礼すますた・・・。

ウチの末っ子も1年生なのですが、どうしてもこどもに危害を加える人間には感情が高ぶってしまい・・・。

さっき友人ともこの事件について話してましたが、もし私が被害児童の親だとしたら、犯人をころしhl;、、;
いや醜い思考はやめます。

もう沢山です、殺し殺され憎み憎まれ恨み恨まれ傷つけ傷つけられ・・・。

たのむからこどもを対象にするのはやめてくれ。
こどもだけは。

Posted by ぜん at 2005年12月02日 23:51
ぜんさん、それが子を持つ親の正直な気持ちなのではないでしょうか。

うちにも年長組の男の子がいますが、そのような目にあって欲しくないし、犯人のようにもなって欲しくないです。

このような犯罪が起こらないように何をしてきたか、何をしていくかが大切に思います。

とは言え理屈はともかく胸が痛い・・・
Posted by わめ at 2005年12月03日 00:09
『記事ウォッチング』を更新しました。

『業による輪廻的生存から解脱するために仏教は生まれた 前編(くまりんが見てた!はてなダイアリー別館)』
http://d.hatena.ne.jp/kumarin/20051003#p1

タイトルは仏教そのものですが、教育問題を取り上げています。
どなた様も是非一読をお願いしたいです。
Posted by わめ at 2005年12月03日 00:14
わめさん、こんにちは。

>是非ご自分にお試しくだされ。
少なくとも感情に流されての失敗はかなり減少すると思いますよ。わめの実体験です。^^

ご忠告、有難うございますです。
でも、そんなに感情的でした?

そいでは。
Posted by 孫悟海 at 2005年12月03日 15:39
孫さん、ただいま〜です。^^

ちょっと誤解を与えてしまったかもしれません。(^^;;

> ご忠告、有難うございますです。

忠告なんて滅相もありません。汗
いい感じだったのでオススメしてみただけでw

> でも、そんなに感情的でした?

全然そんなことないですよ〜
わめには必要でも孫さんには必要ないくらいにですねwヽ(・∀・;)ノ アヒャッ!
Posted by わめ at 2005年12月03日 16:09
わめさん、今晩は〜。

失礼しますた、私も自己を診る第二の自己がおるもので・・・

そいでは。


Posted by 孫悟海 at 2005年12月03日 20:26
孫さん、こんばんは〜^^

> 私も自己を診る第二の自己がおるもので・・・

(ノ´▽`)ノオオオオッ♪ 孫さん(*δ,δ)σス・キ・ヨ♪♪
Posted by わめ at 2005年12月03日 20:47
わめさん、こんにちは。
ブログってさ、書き続けてると、ネタが浮かぶよね?
たまーにの更新の方が、私の場合は、だめなのだにゃ。
これって変かしらん?(^m^)
私も、前みたく、わめさんみたく、いっぱい書きたい〜。
時間くれくれ。
1日48時間あったらいいなあ。
Posted by ほしのしずく☆ at 2005年12月04日 08:55
しずくちゃんもそんなこと言いながら今日はしっかり書いてるじゃん。^^

でもそれってオフって言うよりデートじゃないか?wと萌えてみたりしてw汗

それに時間があってもいい記事は書けないかもw
わめも萌える記事書きたーい。_| ̄|○
Posted by わめ at 2005年12月04日 20:03
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/10080658
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。