2006年10月09日

自分を知る

 やりたいと思うことはやりたい。やりたくないことはやりたくない。
 苦痛は嫌い。楽しいのが好き。
 人の為、人の笑顔を欲しがるのも自分の存在価値を認めたい、認めて欲しいから。
 人の幸せを願うのも、それが自分の幸せにも感じるからで、結局私は自己中心主義です。
 注目されたいけど構って欲しくなかったり、まだまだ自分自身にはよく分からないところもありますが、自己中であることは間違いなさそう。
 歳を喰い、表に出る部分では狡猾になったかもしれませんが、意識・無意識の本質部分では私は昔からまったく変わっていないのかもしれません。

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posted by わめ at 03:34| Comment(35) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月07日

思考停止のキッカケ

 すべての見解はある一面からの見方に過ぎない。

 冒頭から思い切ったことを書いてしまいましたが、例外はあるのかも知れませんが、そのように思っておいたほうが無難でしょう。
 というのも、自分が知らなかったことを知ることにより、それが下手すりゃ思考停止のキッカケとなりかねないからです。
 何事も突き詰めていけば、その結論は分からないに至る場合がほとんどなのですが、人間は分からないことは不安ですし、分からないことを知りたいとの願望もあるように思います。
 人は、分からないことを、ある見解を見聞きすることにより分かったと思ってしまったなら、そこで思考停止してしまったり、その見解の基づく思想に傾注してしまいやすくなります。

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posted by わめ at 04:59| Comment(6) | TrackBack(0) | 人生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月02日

幸福観

 【創価学会を語ろう】のコメントで、Leoさんが長寿と死相、物質的幸福と唯心論的幸福について書いてくださいました。 そして『「空・無願・無相」って反射率100%の理想的な「鏡」じゃないかと』とも。

 このコメントへのお返事をしようと思って書き始めたのですが、考えがまとまらずお返事ができませんでした。
 それはある疑問からなのですが、「人は何を求め、何を避けようとしているのか。」、このことについて考えてみましたが、考えがまとまらなかったのです。

 人の求めるもの、Leoさんの言われる物質的幸福と唯心論的幸福とは、お金が沢山あり、いい車や豪邸に住み、毎日おいしいものを食べ、好きな時に好きなことができて、それでいて健康で、周囲からは尊敬や信頼され、満ち足りた毎日を送れること。嫌なことや苦痛や悲しいは避けたいとの気持ちもあるのでしょう。
 一般的にはこんなのがそうなのかなと思ったりします。

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posted by わめ at 21:57| Comment(38) | TrackBack(0) | 哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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