2006年09月14日

自分だけは違う

 よく「人の振りみて我が振り直せ」などと言われたりしますが、以外とこれが難しい。
 他者に対しては客観的に見れたりもするわけですが、こと自分のこととなると以外と見えないものです。
 自分の内面的なことなどで悩んでいる時などはこの逆の場合もありますが、自分と他者を同じように見るということは難しいようです。
 こうした原因はどこにあるのか、突き詰めれば「自分だけは違う」からなのでしょう。
 確かに違いますよね。他者は普通に見れますが、自分は鏡に映すなりにしないと見えませんし、声だって自分の声は耳で聞いてないですし、自分に触れる場合も触れる側(指先)などの感覚が触れられる側の感覚を邪魔しますし、自分の匂いにも慣れてて感じにくいですし、痛みも神経が通うのは当然自分の体に対してだけで、他者の痛みは経験からくる精神的な痛みしか感じられません。

 こうして考えてみると、他者と自分とは明らかに違います。

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posted by わめ at 12:03| Comment(29) | TrackBack(0) | essay | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月11日

分からないこと

 分からないことをどう思うか、また信じるか否かは、最終的にはそれぞれ個人個人の主観に任せられることで、他者がいくら否定や肯定をしても、あるいは分からないことと言ったにしろどうにもならないことかもしれません。
 この分からないことって何なのでしょう。
 世の中、分からないことが沢山あります。
 現在のところ、自分がいつ死ぬか、死んだ後どうなるか、いつどんな病気になるか等々、誰がどう言おうが分かるわけはありません。また、分かったつもりのことでも、実は分かったつもりになっているだけなのかもしれません。
 分からないからか、色んな人が色んな見解を主張をしたりもできますし、色んな思想が生まれたりもし、その見解の主張や思想を支持したり信じたりする人もでてきて、うまくすればおいしい商売等、主張・思想側は諸々のメリットも生まれるのかもしれません。
 またその見解の主張や思想を支持したり信じたりする人も、その当人にとっては何かしら(精神面での安定、安らぎ等)の価値があるのかもしれません。
 ・・・まぁそれはそれでいいのでしょうけれど、でもホントにそれでいいの?と、私には気分的に何かすっきりしないわだかまりがあります。

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posted by わめ at 01:16| Comment(11) | TrackBack(0) | essay | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月01日

創価学会について語ろう

 私は、EnjoyLife掲示板を創めた頃(2005/01)、突き詰めれば仏教は、「縁起・無常・無我」を説く教えであることが解り、学会組織の問題は学会教義のおかしさに根本原因があるんじゃないかと思い、それを理解してもらおうと学会内外で言動してきました。

 ただ残念なことに、何かを強く信じ込んでしまっている多くの方に、それは理解することすら拒まれ、結局学会を変えていくことなど私の手には負えないと判断するに至り、組織とは距離をおきました。
 幸せになりたいとか、願いを叶えたいとか、そういう欲求の強い方には、私の意見などはほとんど無意味なのかもしれないと思ったりもしています。
 それは、幸せになれるかどうかの結果はともかく、創価学会は幸せになりたい方達の集まりで、いわば幸せになることが主体で、仏法や学会教義や指導は客体であり、客体はどう変わろうと主体優先の団体だからなのでしょう。

 私にとっては、創価学会はあまり興味の持てる団体ではないですが、社会・政治的側面から見れば問題も多いように感じますし、コメント欄での意見交換など有意かなと思いまして記事にしてみました。
 って誰からもコメントが貰えなかったら、まったく意味のない記事になりそうです。汗
posted by わめ at 02:11| Comment(88) | TrackBack(0) | 今、創価学会に思うこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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