2006年07月31日

我の強さ

 仏教には無我と表現される無心の状態というか、あらゆる事物は現象として生成しているだけで、それ自体を根拠づける不変的な本質は存在しないとする見解がありますが、これは大乗的には空を指しているのかな?

 ある人を指して「あの人は我が強い」とか言われたりしますが、我が強いということは無我の対極にある状態なのかもしれません。

 恋愛などで心が熱くなっている時ってのは、やっぱ我が強い心理状態なのかもね。(^^;
 
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posted by わめ at 04:11| Comment(20) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月29日

今、創価学会に思うこと 04

 ここ半年、夜の街で散財しまくりな私でしたが、元々散財するほどの蓄財もなかったし、そろそろ生活を改めようと努め始めたわめです。^^
 いや、これ(夜の街)がなかなか癖になっちゃって、夕方には自然とシャワーを浴びちゃったりして、もう毎日暗くなる頃にはいつでも出掛ける準備が自然とできていたりするので抑えるのが大変です。汗
 と言うか、いくつも会社を経営していた時代に、毎日数年、嫌というほど「飲む・唄う・女」に明け暮れていたのですから自分でも「今更何やってるんだろ?」と呆れてもきております。コホン
 
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posted by わめ at 05:16| Comment(2) | TrackBack(0) | 今、創価学会に思うこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月02日

対話と論議

 私は対話と表される事柄には、打算や詭弁や欺瞞が含まれる場合が多いと感じている。
 対話の目的や規範や前提として、「互いに理解し合うため」などと言われたりもするが、正直に申せば背中がむず痒くなってきたりもします。
 対話の本音・目的は、「互いに理解し合うため」ではなく、「自分や、自分の(正しいと信じる)思想・考え方を、対話相手に理解・受け入れてもらいたい」ということではないだろうか。
 その目的のためには相手の考え方を理解した”ふり”も必要だろうし、好感を持たれる言動も必要なのだと思うのですが、それが私には打算や詭弁や欺瞞に感じてしまうのです。

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posted by わめ at 13:15| Comment(67) | TrackBack(0) | essay | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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