2006年03月30日

今、創価学会に思うこと 03

 今年も母の命日が近づいて「願いとして叶わざるなし」の言葉が思い出される。
 学会員の方なら日蓮(大聖人)のこの御金言?をまず知らない方はいないでしょうけど、ご多聞に漏れず私も長い間この言葉を信じ心肝に染めていました。
 そして病床の母にこの言葉で叱責していた私が、今更ながら悔やまれてならない。

 健康長寿を願う方は多いと思いますが、多くの学会員はそれを願わないのでしょうか?
 少なくとも私は母に対して、母は自身や家族に対して願っていたと思いますがその願いは叶いませんでした。

 母は心の病(鬱病)も患っていましたが、それを克服せんがためにも折伏・唱題・学会活動に励んでおりましたが、返って悪化し寝込んでしまいました。
 そして皮肉なことに寝込んで活動ができなくなったことで役職を降ろされ鬱病は快方に向かいました。

 譬喩・方便と理解し、相手に合わせ、時に「願いとして叶わざるなし」の言葉で励ますことまで悪いこととは思いませんが、願いは何でも叶うと信じ込みそれを他者にまで言い切るのは如何なものか。
 また願いが叶わないのは信心が足りないとか(ありもしない)宿業が深いから等で、自分や他者を責めないで頂きたい。
 私と同じ過ちで、大切な人を傷つけないように切に願います。

 関連記事 『わめの母に対する複雑な思い

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posted by わめ at 14:20| Comment(23) | TrackBack(0) | 今、創価学会に思うこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月22日

「ドラマ 女王の教室」再び

 先週末から検索ワードに”女王の教室”で『TVドラマ 女王の教室』を見て頂いている方が沢山おられるのですが、なるほど3/17、18の2夜連続で女王の教室のスペシャルドラマがあったのですね。^^
 もちろん私もキャプ・エンコしたわけですがまだ観ていません。汗

 『TVドラマ 女王の教室』の記事では最終回の名台詞を紹介させていただき、『でも超圧巻の先生の最後のお話(名セリフ)は、番組製作スタッフの心意気というか、よくぞ公共の電波に、宗教批判とも取れる(そうとしか取れないw爆)セリフを流してくれた』との意見を述べさせていただきましたが、最終回に限らず番組当初から過激な内容であったように思います。
 番組中盤よりこの番組の視聴者の(賛否両論の)反響の大きさに、スポンサーはクレジット表示(ごの番組はご覧のスポンサーの提供でお送りしていますみたいな)に社名を流すことを止めるなどもありましたが、このドラマの脚本を手掛けられた遊川和彦さんは、「長い間ドラマを書いているが、『放送するな』とまで言われたのは初めて。真矢は、いろいろあった末に自分の生き方を決めた人。最近、自分も出会えない、『尊敬できる大人』『怖い大人』が描きたかった」、「反響によって、話を変えることは一切考えていない。それをしてしまうと、自分が真矢から怒られそうな気がする」と覚悟を述べられていました。

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posted by わめ at 13:09| Comment(2) | TrackBack(0) | 動画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月19日

最近思うこと

 最近Enjoy系ネット界隈を離れて浮気してましたが、そろそろこっちにも戻ろうとこの界隈をROMりながら何を書こうか模索中です。
 残念ながら相変わらず学会問題が取り沙汰されているケースが眼につき、私的にはやっぱ悲しいです。
 学会を含む宗教的な問題も、結局個々の心の有り様に思うのですが、その意味では個々が現在の心のポジションを批判から頑なに守ろうという思いが見え隠れしているというか、そう言う自分だってそうかもしれないのだけど、少なくとも他者との議論では主観的意見と客観的な見解を明確に分けて、また客観的見解を重視しながら進めていかないとどうにもこうにも互いの自己主張の応酬に終始し、何も得るものなどないことになってしまっているのじゃないかと感じます。
 また自身の主観を何より大切に思うならば、同じような主観を持つ者同士だけで語り合えばいいことのようにも思います。

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posted by わめ at 15:19| Comment(10) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月08日

不可謬性の否定

 またまた『B.R.アンベードカル著 「ブッダとそのダンマ」 山際素男訳 光文社新書』からの考察です。
 Leoさんから『霊魂について』で、「『ブッダとそのダンマ』はLibraさんの仏教理解に近いものがあり、(相違点が全くないわけではないですが)、理にかなっていて共通する部分が「ダンマ」なのかなとも思ったりもしています。」とのコメントを頂きましたが、私もそのように思います。またLeoさんの仏教理解も同様に近いものがあるように思いますが、そのひとつの共通点として「不可謬性の否定」が挙げられると思います。私がここでいう「不可謬性の否定」とは、私達には不可謬なことの有無や、不可謬なことがあったとしても確証することなどできないとする見解です。

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posted by わめ at 19:50| Comment(3) | TrackBack(0) | ブッダとそのダンマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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