2005年11月29日

仕事じまい

 3年半あまりやってたある村役場の毎月の広報のWebページ製作ですが、町との合併で今日仕上げた12月号で仕事じまいでした。村の広報自体が今号でなくなってしまうわけで、Webページとしては始まりから終わりまで手掛けさせてもらって感無量です。^^
 思えば村役場の有志職員の方達に村役場のホームページの製作指導と並行しての広報Webページ製作でしたが、製作指導は車で2時間近くもかかる村役場なので最初はお断りしようか迷いました。(^^;;
 でも結局受けてしまって長い道のりを指導に何十回と通い、そして有志職員の方達とも心が通い合い、仕事なのか友人達に会いに行くのかその辺が微妙な感じになっていきましたが、そのようなわけで感慨深いです。また指導以外にも個人の相談にものったりして、中には役場を退職して事業を始められた方もおられまして、先日その方から電話があってその事業がTVで紹介されたことにびっくりと、順調よくいっているのか心配だった思いも吹き飛んで、アドバイスしただけのわめのおかげだって改めて感謝され照れもしました。(^^;

 ってことで今回はまったくの個人日記になりました。笑
posted by わめ at 17:50| Comment(5) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月28日

ありがとうの心

 軽いお話なのでEnjoyLife2にアップしようか悩んだのですが、慈悲の瞑想話と関わりそうなお話なのでこっちにアップします。

 わめっちは3人(うち一人子供)とネコ1匹暮らしなのですが、「ありがとう」と「いえいえ〜」「どういたしまして」が毎日何度も飛び交っております。

 別に三人とも大したことをするわけじゃないのですが、常時ちょっぴり他者を思いやる、労わる気持ちがネコも含めあるみたいで、さりげない行動としてそれが出てしまいます。

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posted by わめ at 03:03| Comment(17) | TrackBack(1) | 日々雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月26日

慈悲の瞑想について

 何だか仏教めいたお題がついてしまいましたが、まさに初期(原始)仏教のお話です。^^
 その慈悲の瞑想の中に
私の嫌いな人々も幸せでありますように
私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように
私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように

私を嫌っている人々も幸せでありますように
私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように
私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように
私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように
 と言うのがあるのですが、って知ったのはくまりんさんの『人に噂されるのは有名ブロガーの特典さ、なんてね』の記事からなのですが、わめはこの『私の嫌いな人々』にこのように思いやることはできないという気持ちがあって、でも初期(原始)仏教の教えはわめも共感できるところも多くて、頭を捻って(90度まで捻りましたw)考えたのですが理解できずくまりんさんに以下のような疑問を投げかけてみました。

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posted by わめ at 17:09| Comment(12) | TrackBack(0) | essay | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月25日

宗教のイメージ

 宗教と呼称されるもののイメージがすごく悪くなっているように思うのだけど、実はわめもよいイメージは持てないでいたのですが、これはオウム真理教やイスラム原理主義者の一部がテロを起こしたり、他にもカルト宗教の行き過ぎた勧誘等のニュースなどもありますけども、このような新興宗教や原理主義(教条主義)のことから宗教全般のイメージダウンに繋がっているのかなって思ったりしますが、キリスト教でもボランティアや奉仕活動など幅広くやっておりますし、わめも関心がある仏教にしてもこの社会において無意味なように排斥されるのは、わめ自身にも自戒の念もあり再考する必要性を感じます。宗教というものを一括りにして悪感情を抱くのでは、カルト宗教が他の宗教を邪宗・邪教と吹聴するのを何も考えずに鵜呑みにしてしまうその信者と大差がないのではないかと思うのです。

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posted by わめ at 16:31| Comment(0) | TrackBack(1) | 宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月24日

05年版犯罪白書

 調査は今年4月、少年院の教育部門で6年以上の経験がある教官546人を対象に実施した。「以前より大きくなっている少年の問題」を聞いたところ、「思いやりや人の痛みへの理解力・想像力に欠ける」(63%)▽「対人関係を円滑に結べない」(58%)▽「感情をコントロールできない」(55%)などを挙げる教官が目立った。また、83%の教官が「指導力に問題のある保護者が増えた」と答え、白書は「少年への処遇だけでなく、保護者に自覚を促す働きかけの強化も重要」と分析している。

 この調査結果から見ると再犯率が高くなっているのかなぁ

 83%の教官が「指導力に問題のある保護者が増えた」との調査結果ですが、その保護者が学校・教育現場に対して影響を与えているケースも多いように思うし、そうなれば教師達も当たらず触らずの教育姿勢になりやすいというか、当然生活がかかっているわけで、生徒のことも大切だけど自己保身も考えないといけないわけだし、事勿れ主義の公務員体質になりやすいと言うことかな・・・

 何だか悲しくなる調査結果だな。(ノ_・。)

 「思いやりや人の痛みへの理解力・想像力に欠ける」(63%)は、わめも幼い頃からそうだったかもしれないし、そうなってしまう原因は友達や家族との会話の欠如等にあるような気がします。

 また友達が悪いこともあるかもしれない。

 自分のこととして昔を振り返って考えてみると、自分という存在を周囲に認めて欲しくて、やたら自分の言動やしぐさを強調してみたり色々信号を出していたような気がします。

 その反面、自分の居場所がなかったからというか、一人の世界に閉じこもっていったようにも思います。

 こんな時に自分を認めてくれるような悪友や宗教団体や、共産党系の青年組織等からの勧誘を受けちゃうとコロっといっちゃって、抜き差しならなくなると言うこともあるし。

 やっぱ周囲が愛情を持って、その子の良い点を見つけ褒めてあげることや、認めてあげることが、自己啓発を促すことに役立って大切かなって思います。^^

以上 元記事 2005/11/09

 2005/11/24追記 続きを読む
posted by わめ at 01:08| Comment(4) | TrackBack(1) | essay | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月23日

日蓮(大聖人)も真っ青

 日蓮(大聖人)は本尊は曼荼羅(御本尊)と言いましたか?
 御書全集の中にそのような御文はあったでしょうか?

 御書(全集)を読めば明瞭ですが、本尊抄、報恩抄、開目抄等には、本尊は(本門の)教主釈尊とすべしと断言されておりますし、一歩譲って本尊問答抄(真筆なし)においては「法華経の題目を以て本尊とすべし」との仰せもありますが、日蓮(大聖人)は法華経(本門)を釈尊の教えの結晶・真髄と思われていた(当時としてはやむなし)わけで、曼荼羅の中心にも法華経の題目(題号)たる妙法蓮華経と認めておられるわけです。
 したがって本尊は教主釈尊、一歩譲って釈尊の教えの結晶・真髄(と思われていた)の法華経の題目(題号)を本尊とすべきであると日蓮(大聖人)は明言されています。余談ですが御書には日蓮(大聖人)自ら上行菩薩の再誕と書かれておりますし、それは謙遜(笑)もなにも”本尊は教主釈尊”と明言されておられるわけですから、日蓮(大聖人)自身が仏であると思われていたわけがないと思います。(日寛さんごめんw)

 その曼荼羅が御本尊と呼ばれ、曼荼羅が現代においては印刷されて日蓮仏法を信仰している”つもり”の信者の各家庭に配られ御本尊として信仰対象になっているのを知ったら、また携帯御本尊なるものも作られ配られている現状を知ったら、日蓮(大聖人)はびっくりして真っ青になりさぞやお嘆きのことだろうと思います。

今回の記事で参考とさせてもらったBBSスレッド。
日蓮聖人の本尊観
posted by わめ at 04:50| Comment(13) | TrackBack(2) | 宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月22日

つらいなぁ

 書きたくても書けない記事がある。
 否、書かなくてはならない記事だと思う。
 でもわめが、多少なりとも知り得たことをここで書いて、もしもわめが個人特定でもされたら友人が窮地に追い込まれることになる。
 それでも事実を知る誰かが書かなくてはいけないことだと思う。
 もしも大惨事が起こったら、つらいのは大惨事を予測できた実態を知る者たちだからだ。

 友人にはブログを開設し、当事者として実態を書いていくことを強くお勧めした。

 この記事に関することは”このブログでは”もう触れないと思うしコメントも受け付けません。

 ごめんなさい。
posted by わめ at 02:51 | TrackBack(0) | 日々雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月19日

酔った勢いで

 酔った勢いで書いちゃいます。笑

 人には色んな欲があると思う。
 そしてこの人間社会は人のいろんな欲の結実であるように思う。
 人の持つそのいろんな欲はいけないこと? わめにはよく分かりません。

 でも、思想とか主義とか宗教とか、またそれぞれ個々の欲・不満とかもあるとは思いますが、自らも生きている以上、互いの生存する権利を認め合う、助け合うことはできないかな?

 誰もが生存していける社会を作り出すことを、まずは最優先に考えることが一番大切なことだと思う。

 私たちの周囲には、生存していくことの危機にある人はおりませんか?

 わめみたいに痩せ我慢が得意(わめは今のところ生きていけないほど困っていませんがw)で、周囲に困っているのを隠そうとしている方もおりますよ。

 自らが生きていたいと願う(どのくらい?)なら、他の方もそのくらいの気持ちで生かしていこうと努力してもいいんじゃないでしょうか。

 また周囲に生存を脅かす危険な環境はないか考えてみましょうよ。

 そして見つけたら友人や知人や隣近所や行政機関やネットも活用して、より多くの人の力を借りて何とかしようと努力してみませんか?

 そのように皆さんが努力されれば、少しは今より嫌なニュースや新聞記事を見なくてすむかもしれません。
 またそれが先々の、自身や家族、身近な方々が不幸な目にあう芽を摘み取ることになるかもしれません。

 そのような日常の私たちである上で、思想・主義・宗教なども語り合い、わめは議論し合っていきたいと思っています。

 
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posted by わめ at 04:14| Comment(13) | TrackBack(0) | essay | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月18日

海外ドラマが面白い! 05

 今回は『デスパレートな妻たち』のご紹介です。^^ このドラマの第一シリーズはBS2で現在放送中ですのでご覧になれる方も多いのではないでしょうか。

 このドラマ、何と言ったらいいのか・・・ってわめの解説より【西田ひかるのOh,my goodness!】デスパレートな妻たちを観てもらったほうがよく分かるかも。(^^;

 わめ好みのドラマではなさそうだったので、実を言うと今日1話目を観ただけなのですが、謎めいたところもあって意外と興味をそそられたりしています。^^

 他に何かお薦めの海外ドラマなどありましたら教えてホシィッ☆O(> <)o☆o(> <)O☆ホシィッ

 あ、映画の話題ならハードゲイ(嘘w)なジョゼさんっちの『私、この映画が好きp(´∇`)q ♪♪』と『私、この映画が好き2p(´∇`)q ♪』なども覗いてみてはいかがでしょう。

 なお、以降のこのシリーズは、EnjoyLife2に移転します。
posted by わめ at 21:56| Comment(2) | TrackBack(2) | 海外ドラマが面白い!  | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月17日

教条主義はファシズム?

 こんな仰々しいお題をつけてみましたが、わめが書くことなのでわけわかめ(涙)ではあっても難しい話ではありません。
 宗教を信仰する多くの方が、ここでは絞り込んでわめがよく知っている強信な創価学会員の方の多くが、教条主義に傾注してしまっている状態のように思え、それがわめからは恐ろしいファシズムに見えてしまうということです。

 とはいえ、ファシズムって何よ?って言われるとgoo国語辞典の

ファシズム 2 [fascism]
第一次大戦後に現れた全体主義的・排外的政治理念、またその政治体制。自由主義を否定し一党独裁による専制主義・国粋主義をとり、指導者に対する絶対の服従と反対者に対する過酷な弾圧、対外的には反共を掲げ侵略政策をとることを特色とした。イタリアのファシスト党に始まる。ファッショ。

 この程度しかわめは知らないわけですので、この解釈でこの記事は書かせてもらっていますので、ファシズムに対する解釈の突っ込みはご勘弁願いたいです。

 現代の日本は民主主義国家ですが、まぁどこまで理想的な民主主義かはわかりませんが、”人間の自由や平等を尊重する立場”という意味での民主主義は、日本の民主主義の中にもちゃんとあるように思います。

 教条主義もgoo国語辞典で調べてみました。

教条主義
きょうじょう-しゅぎ けうでう― 5 【教条主義】
事実を無視して、原理・原則を杓子(しやくし)定規に適用する態度。ドグマティズム。

 創価学会は日蓮(大聖人)仏法を基調とし、日蓮(大聖人)の残された遺文(御書)を教義の中心思想としています。この遺文(御書)を集めたものが御書全集と言われるものですが、その御書全集に収められている日蓮(大聖人)の遺文(御書)には、日蓮(大聖人)がほんとに書かれたとされるものは半数をやや越える程度で、真偽未決や後世で加筆されたであろうと予測されるものや偽書の疑いの濃いものが半数近くを占めています。

 強信な学会員は、この日蓮(大聖人)の御書に書かれていることを純粋に信じ、その教えに従った信仰活動及び、その教えを現代にマッチさせた信仰活動とする学会活動をしているわけですが、その教えに従った信仰活動とその教えを現代にマッチさせた信仰活動とする学会活動とが、必ずしも相反しないとはいえないかもしれません。

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posted by わめ at 10:32| Comment(11) | TrackBack(2) | essay | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月15日

自身と組織と信仰と

 つい最近より学会組織から離れているわめです。(^^;
 ってこの組織から離れる前は、以前掲示板に書いた状態だったのですが、更にそれ以前は『男子部時代のわめ』カテゴリーを参照してください。

 離れていると言うのもかなり語弊があるかもしれませんが、その辺の事情はまたいずれ書くこととして、今回はリアルでもよく知ることでもあるし、学会員さんのブログでもよく目にする学会活動においての精神的な負担や、学会組織批判・不満めいたことについての解決方法?のようなことを書いてみたいと思います

 まず組織について、組織といっても実際一般的な学会員さんが関わる比重として大きいのは地域の組織であって、創価学会そのものじゃないと思います。もちろん、組織の実情としてトップダウン的要素は強いわけですが、しかし、果たしてそうでなければいけないのでしょうか?

 わめは『男子部時代のわめ』や『男子部時代のわめのトラウマ』で書きましたが、当時の約10年間は信仰心がありましたし、男子部・学生部幹部と多少の衝突・不満はありましたが、組織に縛られた学会活動というのはほとんどやっておりませんでした。学会活動というより日蓮仏法(学会アレンジ)の信仰活動みたいなものだったかもしれませんが、それはとても活き活きとして自主的な活動で、わめ自身もまた仲間たちもすごく楽しかったです。

 わめのその当時と今と学会組織は変わってしまったのでしょうか? たしかに当時は聖教啓蒙や選挙活動の比重は今より低かったと思いますが、その体質自体が変わってしまったようには思えないのです。

 今も自身がその気になれば自由な信仰活動はできるのではないでしょうか。

 学会活動=信仰活動なのでしょうか?
 そう思われる方は組織に大きな不満も少なく思いますし、精神的な負担にもならないように思います。そのような方に、わめはここでは何も言うことがありません。

 そうは思えない方が、精神的な負担が大きく、学会組織批判・不満めいたこと言っているように思います。
 わめは信仰活動を優先的に選択し、上記に示したような活動をやってきました。

 そしてその自由な信仰活動が自身にとって、価値のある充実したものであるならば、その姿を見て地域組織も少しは変わっていくのではないでしょうか。

 信仰心があるなら受身でネガティブな自身から、ポジティブな自身に変わっていくべきではないでしょうか。もとより日蓮仏法(学会アレンジ)はポジティブな教義でありますから。

 そう簡単に思える・できるなら苦労はしないとの声も聞こえてきそうですが、強盛な信仰心があれば乗り越えていけることではないでしょうか。

 それが自身や家族・友人・知人、また同志を守っていくことにも繋がっていくようにわめには思えます。

 自身の人生は他の誰のものでもないのですから、納得のいく生き方を選び取っていただきたいと思います。

 *****追記*****

 わめの信仰心について、上記で”当時の約10年間は信仰心がありましたし”と書きましたが、信仰心は昨年までありましたので、誤解がないように追記します。(参考記事『信じることをやめた時』)

*****追記の追記*****
posted by わめ at 02:20| Comment(8) | TrackBack(1) | 宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月14日

功徳と罰

 今回は功徳と罰について書いてみたいと思います。

 功徳がでるとは

 ・良い事が起こる これは説明するまでもないでしょう。
 ・悪いことが起きる(転重軽受・試練を与えられる・過去世の宿業がでる/を消す等々
 必ずしも自身にとって都合のよいことばかりとは限らないように思います。

 罰がでるとは

 ・悪いことが起こる これは説明するまでもないでしょう。
 ・良い事が起こる(魔が出来する/つけいられる/たぶらかされる・福運を削る等々

 見比べてください。()内は解釈の仕方であり、起きたことそのものではありません。
 功徳・罰とは解釈の仕方で、事実起こったことに変わりはないとわめは思います。

 例えばある人が人の物を盗んで得をしたとしましょう。
 あなたはそれを知りその人にどのようなことを言うでしょう?
 まさか「良かったね、得したねぇ〜」って一緒に喜んであげるなんてことはしないと思います。

 ではある人が人を助けるためにお金を与えたとしましょう。
 あなたはそれを知り「バカなことして損したねぇ〜」と言わないと思います。

 何故でしょう?お金が入ることは得することだし、何も買わないのにお金が出ていくことは損なことではないでしょうか?

 こんな馬鹿げた質問をして申し訳ありません。でもこんな馬鹿げたことが分からない方が意外と多くいらっしゃるように思います。

 人の物を盗んで得をした人には、いずれ罰が当たる、魔につけいられた/たぶらかされたと思うのではないでしょうか。

 人を助けるためにお金を与えた人には、福運を積んだ、過去世の宿業を消す行為だと思うのではないでしょうか。

 功徳とは良い事が起こることでも得をすることでもないのです。
 罰とは悪いことが起こることでも損をすることでもないのです。

 良い行いと思うことをしていて起こることは、それが悪いことでも良いことでも功徳というのです。
 悪い行いと思うことをしていて起こることは、それが良いことでも悪いことでも罰というのです。

 すなわちその起こる事象に変わりはないのです。

 事象は功徳とか罰から起こるのではなく、原因と結果から起こるのです。
 その結果ではなく原因を考えて、その事象が功徳であるか罰であるかを判断するのです。

 先ほどの例を世法に当てはめれば、前者は犯罪行為をし、それがばれれば罰を与えられます。
 後者は表彰されたり善意の行為として新聞に載ったりするかもしれません。
 世法は原因より結果を重視します。

 更に言えば功徳・罰とは、宗教の教義や思想・主義、そして世法で捉え方が違うのです。
 そして功徳であるのか罰であるのか、最終的判断を下すのは個人の主観でしかないということです。

参考記事リンク
posted by わめ at 12:38| Comment(7) | TrackBack(0) | 宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月11日

あきあこさんのブログ

 あきあこさんのブログが取り合えず更新を終えられました。

 あきあこさん、長い間ブログおつかれさまでした。宗教嫌いなあきあこさんが、奥さんを学会から奪還が目的であったとは言え、敢えて宗教に関わるブログを立ち上げ多くの記事を書き、アンチは当然、シンパの方もその人柄からか集まるブログになっていきました。

 わめはあきあこさんのブログの記事欄では、アンチ色(オカマ色?w)の濃い発言を繰り返してきたように思いますが書き込み始めの当初、あきあこさんからわめは学会関わりの濃い宗教者と思われていたように思います。(^^;

 が、いつの間にか誤解が解け?心の壁が取り払われたように感じられるようになりました。^^

 あきあこさんとは、学会での信仰経験の有無の違いはあっても、周囲が学会に盲信状態と言う点や、その周囲の方を何とか目を覚まさせたいとの思いは同じであるように思いますし(曖昧な表現ご容赦)、このような問題は頑張っていくつもの壁を乗り越えても乗り越えても、その後には幾重にも重なる大きな壁が延々と続いていくもので、そんな中でのブログ運営の心労も幾ばかりか図り知ることもできません。

 また何より夫婦でありながら心の深層部分で、理解し合えないことのつらさというのも何とも言えぬ重圧であり、何でこんなことで悩まなければならないのかと、言いたいことを思う存分怒鳴り散らしてみたい気持ちになったのも数え切れぬのではないかと思います。

  ・・・・それでもそんなことをしても何の解決にもならないと、溜息をつきまたその重圧を背負い込んで進む毎日であるようにも思う。

 あきあこさん、今回のブログの休止を含めどうか少しでも身軽になって、奥さんとなるべく楽しく向き合っていってください。

 長い人生です。

 これからも色々あると思いますが、あきあこさんのバイタリティでしっかり乗り越えていってくださいね。^^

 わめも影ながらエールを送っていきます。

 最後にわめらしくオカマチックに・・・ ~~~ヾ(〃^∇^)o キャー!ファイトォー!!
posted by わめ at 00:07| Comment(3) | TrackBack(0) | 人生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月09日

仏暴動・対岸の火災?

 フランス・パリ周辺地域での移民系若者達の暴動は、沈静化するどころかフランス全土に広がっているらしい。そして8日には、暴動頻発地域に限定して緊急事態法の発動を布告、各県当局に夜間外出禁止令などの権限を付与して9日午前0時に発効した。仏政府は今回の暴動を国家的な危機と受け止め、事態鎮静化を急いでいるとのこと。

 この暴動の引き金は、警察に追われた二人の移民の少年が、変電所に逃げ込み感電死した事件をめぐる当局の処理への不信感らしいですが、アラブ、アフリカ系移民達の間では、失業や貧困などに対する不満や不平が溜まりに堪っていたとのことで、それが今回の事件で一気に爆発したみたいです。

 さて、ここ日本で大きな暴動など近年起こっていないように思いますが、これは他国のこととして傍観できることなのでしょうか。

続きを読む(記事追加)
posted by わめ at 17:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本人探訪  | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月08日

Poh師匠の記事発見!^^

 みれいしゃんちで、「仏教の源流からスレ」のPoh師匠のテキストを使った記事、『カウンセリングと仏教』(上中下)を発見しました。☆^∇゜) ニパッ!!

 最近Poh師匠も仕事が忙しそうで、もう半月余りもメールがありません(催促しているわけではないですw汗)が、このように師匠のテキストに触れる時、その控えめで謙虚で棘のない言明と、優しく他者を一歩でも押し上げようとするその思いがわめには伝わってきます。

 どれだけ話を尽くしても、理解し合えないもどかしさとかで、まぁ仕方ないっかと諦めと言うか、割り切りと言うのかで萎めてしまいがちな心に、師匠の言葉に触れて少し元気を頂いたって感じです。^^
posted by わめ at 00:10| Comment(4) | TrackBack(0) | 日々雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月07日

ブログのお引越しをしました。

 大あわてでこちら(seesaa)に、お引越ししてしまいました。(^^;;

 まだこちらのブログには慣れておりませんので、デザインやコンテンツ等色々試してみようと思っていますので、お見苦しいこともあるかもしれませんが、よろしくお願いいたします。m(_ _"m)ペコリ
posted by わめ at 03:41| Comment(15) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月03日

TVドラマ 女王の教室

 先日このドラマ、『女王の教室』を観た方から、とってもよかったからと薦められ、一気に観てしまいました。

 いいドラマでした。^^
 機会がありましたら、是非皆さんにも観ていただきたいドラマです。っていつものフレーズだなw笑

 1〜2話目までは、担任が鬼女性教師のイメージで、反感と恐怖心を持っていた生徒達が云々の展開で予想通りって感じでしたが、まぁこの展開は新鮮でもあり、観る気を削がれる事もなく観ることできました。

 何がいいって・・・ 小学6年生と先生とのお話ですが、最終回の卒業の頃のこの生徒達はもう大人顔負け、と言うか、下手な大人は負けてるくらいに人間的に成長できてます。

 特に最終回ですが、宗教に囚われている方には耳が痛い話だろうけど、先生の最後の生徒に向けてのお話は超圧巻です。(最終回本編26分20秒頃より)

 詳しくは観てのお楽しみに取っておきますね。(⌒∇⌒)

 でも超圧巻の先生の最後のお話(名セリフ)は、番組製作スタッフの心意気というか、よくぞ公共の電波に、宗教批判とも取れる(そうとしか取れないw爆)セリフを流してくれたとの思いから、追加でそのセリフだけでも書くかもしれません。

 ***追記*** 名セリフを載せますね。^^

 いい加減目覚めなさい。人生に不安があるのは当たり前です。
 大事なのはそのせいで自信を失ったり、根も葉もないうわさに乗ったり、人を傷つけたりしないことです。


 たとえば、人間は死んだらどうなるかなんて、誰にも分からない。
 言うとおりにすれば天国にいけるとか、逆らえば地獄に堕ちるとか言う人がいますが、あんなものはデタラメです。
 誰もいったことがないのにどうして分かるんですか?
 分からないものを、分かったような顔をして、無理に納得する必要なんかないんです。


 それより、今をもっと見つめなさい。イメージできる?
 私達のまわりには、美しいものが一杯溢れてるの。
 夜空には無数の星が輝いているし、すぐそばには、小さな蝶が懸命に飛んでいるかもしれない。
 街に出れば、初めて耳にするような音楽が流れていたり、素敵な人に出会えるかもしれない。
 普段何気なく見ている景色の中にも、時の移り変わりで、はっと驚くようなことが一杯あるんです。
 そういう大切なものを、しっかり目を開いて見なさい。
 耳を済ませて聞きなさい。
 全身で、感じなさい。
 それが生きているということです。

 今はまだ、具体的な目標がないのなら、とにかく勉強しなさい。
 十二歳の今しかできないことを一生懸命やりなさい。
 そして、中学へ行きなさい。
 中学に行っても、高校に行っても、今しかできないことは一杯あるんです。
 それをちゃんとやらずに、将来のことばかり気にするのはやめなさい。
 そんなことばかりしていると、いつまでたっても、何にも、気づいたりしません。
posted by わめ at 00:02| Comment(20) | TrackBack(2) | 動画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月02日

日々雑感

 朝早くから電話が鳴って目が覚めましたが、寝起きは機嫌が悪く電話に出ませんでした。

 8時過ぎは朝早くと言うのか微妙ですが、わめからすれば朝早くです。(^^;;

 同じ人が掛けなおしているのか、1時間ほどの間に5度も電話がありましたが、こうなったらこっちも意地で電話に出ません。でも目は覚めちゃいました。

 ってことで、珍しく今日は早起きしてしまいました。(´ヘ`;)ハァ

 やむなく起きてコーヒーを飲みながら新聞を眺めて・・・

 今日の毎日新聞3面の記事で、「成果主義」って何ですか:第3部・ここにも「評価」/1 病院(その1)に目が止まる。

 病気の治療・看護にあたる病院での成果主義、ふっと浮かんだのがどこぞの宗教団体。

 人の幸せを願うはずの宗教団体も成果主義そのものだなw

 病院も宗教団体も金儲けの成果主義じゃなく、幸せの成果主義に徹してもらいたいものですね。

 あっ、朝からの電話、馴染みのお客さんからだったわw汗

 こっちから掛け直したけど電話に出ない・・・(/TДT)/あうぅ・・・・
posted by わめ at 11:14| Comment(3) | TrackBack(0) | 日々雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月01日

海外ドラマが面白い! 04

 今回は、『ゴースト・ウィスパラー』(ジェニファー・ラヴ・ヒューイット(1)主演)を視聴しての感想です。^^

 ジェニファー・ラヴ・ヒューイット(2)って女優さん、わめの好みです。^^
 ってそんなことどうでもいいって?w汗

 このドラマは、以前観たトゥルーコーリングと少し似ていて、死者(霊?)の姿が見える女性(ミランダ)の話なのですが、日本流に言うと浮かばれない霊?の声を聞き、主人公ミリンダが、何とかその霊の思いを遂げさせて、その霊を黄泉の国?に送り届けると言った内容のドラマです。

 まだ2話までしか観ていませんが、2話とも感動したと言えばいいのかよく分かりませんが、わめは泣いてしまいました。(・_・、)グスン

 あ、昔ゴースト・ニューヨークの幻という映画がありましたが、それのドラマバージョンのような感じかもしれません。

 わめはいいドラマだと思います。

 機会がありましたら是非皆さんにも見ていただきたいドラマです。(*´∇`*)

 ***追記***

 4話まで観ました。( ・∀・)イイ!

 やっぱ死者を扱う意味では同じでも、トゥルーコーリングともゴースト・ニューヨークの幻とも、また違った印象です。^^

 ***追記の追記w***

 5話まで観ましたが、5話は孤児院の子供達のお話で、またまた泣けちゃいました。涙

 これで5話まで全話泣いちゃったw汗 っていいドラマです。^^
posted by わめ at 17:23| Comment(2) | TrackBack(0) | 海外ドラマが面白い!  | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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