2005年10月31日

楽しいと思うこと

 楽しく生きていくことがわめのモットーなのですが、そのわめが楽しくないことって何かなって考えてみました。

 そしてひとつの答えが、最近やりたいことばかりやっていて、楽しいはずのことが何だか楽しくなくなってきたことかな。(^^;;

 人間って楽しいことばかりやっていても、それがマンネリになってくるとそんな楽しいことじゃなくなってしまうのね・・・

 うーん、こりゃやばいぞw このマンネリを解消しないと楽しくありません。

 ってことで、今日のお題は『楽しいと思うこと』にしてみました。^^

 皆さんの楽しいと思うことを、わめにも教えてください。

 楽しいと思うことを持ち寄って、楽しいことの輪を広げましょう。(何のこっちゃw)
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2005年10月27日

やったぜロッテ日本一!

 ロッテ、日本一★:゜*☆※>('-'*)♪オメデトウ♪(*'-')<※★:゜*☆

 わめはロッテファンではないのですが、ってプロ野球さえ興味がないw汗

 めでたいのは楽しむ野球で日本一になったことです。

 バレンタイン監督の、楽しむ野球というのが功を奏したわけで、生きることは楽しむこととのわめの信条と相通じると思うし、アメリカの強さもここにあると思うし(何でだw笑)、とにかく楽しむことで良い結果が出る証明をしてくれたことがうれしいのです。^^

 もちろん他チームの情報収集や、その情報の客観的分析などもその大きな勝因であるわけですが、野球を楽しめることが選手の能力を最大限に引き出せたのではないかと思います。

 何だか強引に”楽しむ”ことを強調した記事になっておりますが(笑)、充実した人生とはズバリ楽しい人生じゃないかと思うわめで、このEnjoyLifeブログと掲示板の主題ってことで大目に見てくださいね。^^
posted by わめ at 20:11| Comment(1) | TrackBack(0) | essay | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月26日

海外ドラマが面白い! 03

 スターゲイトのアトランティスとSG1、それにLOSTも現在放映分はみんな観ちゃったし、次観るの考えないといかんな。^^

 わめ的にはSF物が好きなので、その手ので何かお薦めがあればコメントいただきたいです。
 (でもファースケープはサイテー、アンドロメダは今イチ)

 あ、宮廷女官 チャングムの誓い 〜大長今〜は、BS放送では明日でいよいよ最終回です。^^ でも途中から字幕版で全部見ちゃったので今更吹き替えで見直しも疲れそうで、いや、またハマってしまうかもだけど、54話までハマり続けるときっと体が壊れそうです。(^^;;

 REUNIONってサスペンス物を1話目だけ観てとてもよさげに感じたのですが、どうしたわけか2話目から入手不能に・・・ もしかして放映打ち切り?。涙

 ってことでネタがないのでシン・シティって映画も観ちゃいましたが、これがまたわけわかめな映画で・・・ って面白くないってわけじゃないですよ。 オムニバスぽくってかなり変わった映画だなって感想です。

 この調子だと海外ドラマだけでは続きそうもないので、次回から「動画が面白い!」に変えなきゃいけないかもw
posted by わめ at 17:41| Comment(1) | TrackBack(0) | 海外ドラマが面白い!  | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月25日

冬も近づいて・・・

 わめの仕事場は居間と寝室(作業場兼)だったのですが、居間が子供に占拠されてしまい、今は寝室と応接間が仕事場です。^^

 夏場はエアコンのない寝室なので、もっぱら応接間を仕事場としておりましたが、この頃は寒くなってきて寝室を拠点にするか、応接間でエアコン暖房か、ファンヒーターを持ってくるか悩むところです。

 わめの寝室(作業場兼)の隣部屋が襖一枚で仕切られた子供の寝室なのですが、タバコをよく吸うわめなので、煙害が気になるのと、夜中の動画鑑賞は、ヘッドホンで聞かないと騒音も気になります。

 こう考えると、それらをまったく気にしないでいい応接間をALLシーズン仕事場とすべきかと思うのですが、今も散らかり放題で、お客さんが来るとなると片付けに大慌てな状態です。(^^;;

 何だかのほほんとしたことを書いてしまいましたが、こんなことを考えるのもわめの仕事の内なんです。じゃないと仕事が忙しいと言えないくらい実はヒマだったりしてw汗

 でもいいんです。一日一時間平均の仕事があればとりあえず食べていけるわけで、お金の使い道に困ることのない分、案外幸せだったりして。笑

 秋から冬へのこの季節、PCにはとてもいい季節で、鯖の安定=心の安らぎなんて思うわめでした。^^


 あ、鯖さんは24時間毎日フル稼働してくれてたんだw

 どこぞのおかげ論じゃないけど、鯖さんに感謝。(*´∇`*)
posted by わめ at 14:58| Comment(1) | TrackBack(0) | 日々雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月21日

仕事が忙しいw

 9月は超暇だったのに、今月は忙しい。

 わめの言う忙しいは一日3〜4時間の仕事量なのだけど、趣味(仕事にも関わるわけですが)に裂いている時間が多いこともあって、余計に多忙に感じます。

 そう言えば、パソコンが12台で、メインのキャプ・エンコPCがとりあえずの代替マザーで稼働中と書きましたが、実は先日お客さんのPCのHDDの交換修理のため、そのHDDと共に元のマザーと同じものを注文し届いていたのです。^^

 で今日はちょっと時間に余裕があったのでマザーを換装しました。ヽ(^o^)丿

 冬ドラが始まったこともあり、キャプ・エンコに大いに活躍してもらわないと。♪
posted by わめ at 21:34| Comment(1) | TrackBack(0) | 日々雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月19日

客観的事実と信仰 06

 祈願等で果たして願いが叶うのか。

 どれだけ必死に祈っても、ティッシュペーパー1枚でも動かせる方は稀でしょう。

 また日頃疎遠な方から連絡が入るようにと祈ってみても、まずこれも叶うことは稀でしょう。

 このようなことができる、人並みはずれた能力(通力)がある方は非常にうらやましいですが、ほとんどの方はまず無理だと思います。

 ブッダもこのようなことができるとは言っておられませんね。^^

佐倉哲氏のエッセイ集、無我の思想、--- 第二章 ブッダの沈黙 ---より以下抜粋引用。

 神々への祈願や呪文、犠牲や祭祀、運命判断、胡麻たき、まじないなど、すべて神秘的な力に預かろうとする宗教的行為は、原始仏典の中ではことごとく否定されています。

 たとえば、ここに一人の人があって、深き湖の水の中に大きな石を投じたとするがよい。そのとき、そこに大勢の人々が集まり来たって、「大石よ、浮かびいでよ。浮かび上がって、陸に上れ」、と祈願し、合掌して、湖のまわりを回ったとするならば、汝はいかに思うか。その大いなる石は、大勢の人々の祈祷合掌の力によって、浮かびいでて陸にあがるであろうか。・・・

 たとえば、ここに一人の人があって、深き湖の水の中に、油のつぼを投じたとするがよい。そして、つぼは割れ、油は水の面に浮いたとするがよい。そのとき、大勢の人々が集まり来て、「油よ沈め、油よ沈め、なんじ油よ、水の底に下れ」、と祈りをなし、合掌して、湖の回りを回ったとするならば、なんじはいかに思うか。その油は、人々の合掌祈祷の力によって、沈むであろうか。

(相応部経典42.6 増谷文雄訳)

−−−−−引用終わり−−−−−



 このように祈ったりするだけで、願い事が叶うなんてことはあり得ません。

 じゃ、何かに祈ったり願ったりすることは無意味かといえば、もちろんそんなことはありません。

 軒ちゃんのブログ、「功徳比較論特別講義」カテゴリーの『功徳と罰が生じる仕組み』で、「予言(予測)の自己実現」と書かれておりますように、「自己成就的予言(self-fulfilling prophecy)とは、最初の誤った状況の規定が新しい行動を呼び起こし、その行動が当初の誤った考えを真実なものとすることである」とのことです。

 また「予言の自己実現」について、入江幸男さんのホームページに非常に参考になることが載っていた。

 第二回講義  §2 予言の自己実現を読んでもらうとよく分かると思いますが、『 マートンはこの予言の自己成就のメカニズムを一般的に次のように説明する。
「この寓話がわれわれに教えるところは、世間の人々の状況規定(予言または予測)がその状況の構成部分となり、かくしてその後における状況の発展に影響を与えるということである。これは、人間界特有のことで、人間の手の加わらない自然界ではみられない。ハレー彗星の循環がどんなふうに予測されようと、その軌道には何の影響も及ぼさない。しかし、ミリングヴィルの銀行が支払い不能になったという噂は、実際の結果に影響を与えたのである。つまり、破産の予言が成就されたのである。」』
の、”これは、人間界特有のことで、人間の手の加わらない自然界ではみられない。ハレー彗星の循環がどんなふうに予測されようと、その軌道には何の影響も及ぼさない。と述べられ、これが先に書いた『ティッシュペーパー1枚でも動かせない』に当たる部分だと思われますが、願い事が叶う(予言の自己実現)のは、人間界特有のことであって、人間の手の加わらない自然界には何も影響を与えないということです。

 このように、人間界特有の事柄に対し、願い・祈り(心理作用)が何の役にも立たないと切り捨てることや、また、人間の手の加わらない自然界の事柄まで、願い・祈り(心理作用)で変えられると信じてしまうことは、大きな誤りであると思います。
posted by わめ at 04:45| Comment(1) | TrackBack(0) | 客観的事実と信仰  | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月18日

君と生きる

     君と生きる       1979.12.19 No660


赤いポストに 車の窓越し 投げ入れた 白い手紙

赤茶けたビルの 505号室 横たわる 君に届け

君に会えば 言葉が出ない 痩せこけた 君を見れば

涙こらえる 君を見れば 何もできない 僕の愛では


春の出会いと 夏の恋と 秋の悲しみ みんな君との想い出

今訪れる この冬の 厳しい寒さを 君と過ごす



まだ二十歳の 君には 大き過ぎるよ その苦しみ

僕の誕生日 君は祝えないと またひとつ君は 迷い道

君が時の流れに 乗り遅れたら 僕はそこに 埋もれよう

時の流れが僕を 変えていっても 変わらないよ 君への愛は


春の出会いと 夏の恋と 秋の悲しみ みんな君との想い出

今訪れる この冬の 厳しい寒さを 君と過ごす


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

歌詞シリーズ第三弾。 そろそろちゃんと記事も書かないとw汗

突然に彼女が気胸と言う病気を発症入院し、背中(女性だからだそうです)から肋骨を2本切除し肺の手術を行ないました。

音楽他の活動真っ盛りな時代だったし、遠距離恋愛だったこともあり、なかなか会いに行けず、会ったら会ったで余計につらくなって、今思い出しても胸がぎゅっとなります。

その後彼女は退院し健康を取り戻し就職もできましたが、背中の一生傷は、彼女の心にも一生傷として残っていったのかもしれません。
posted by わめ at 13:40| Comment(1) | TrackBack(0) | 歌詞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月17日

君の青春の一ページに

   君の青春の一ページに    年月日不明 No.678


歩き疲れた僕 立ち止まり振り返れば

君が息を切らして 駈けてくるのが見える

愛しい人と呼ぶには まだ若過ぎる君だから

僕はもう少しこのままで 君を見つめていたい


君のその人生の ほんの一ページに

僕を刻んでくれたら それだけでしあわせさ



君が涙を流すたび 大事なものが消えていく

それでも君はそのたびに またひとつ大人になる

生きることの空しさも まだ知らない君だから

明日を夢見て眠れよ 僕が傍にいるから


君のその人生の ほんの一ページに

僕を刻んでくれたら それだけでしあわせさ


君のその人生の ほんの一ページに

僕を刻んでくれたら それだけで最高さ


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

多分『僕の宝物』と同じ時期に書いた歌詞だと思うのだけど、明らかにこの”君”は異なっている。汗

恋愛にも色々あって、相思相愛的な恋愛とか、憧れからの愛を受け入れる恋愛とか・・・

ただ、わめには同時期にいくつかの恋愛があったってことかもです。(^^;;

この歌詞の”君”ですが、多分高校受験前の中三だったと思います。今なら犯罪行為かもだなw汗

それはともかく、彼女が熱くなって当時の僕しか見えなくなっていたとしても、彼女の人生はまだこれからなんだなって思いと、歳を重ねて振り返った時に、そこに僕がいたことを、思い出してくれたらいいなって気持ちを綴った歌だったと思う。

二人の道が重なった途端に、これから先にまだ見えぬ別れ道があることを、心に留めての恋愛でした。
posted by わめ at 00:44| Comment(1) | TrackBack(0) | 歌詞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月16日

僕の宝物

        僕の宝物     1981.08.06 No690


二人過ごした愛の日々が 君と僕との心の中に

想い出として心の日記に 深く刻んでおきたいものだね

誰にも言えない 宝物として 心の奥にうずめて

またくる明日の 人並みの中で 精一杯に生きて



君と僕との愛の糸が とぎれとぎれにちぎれる前に

別れ言葉を口にしたのは 君への最後の思いやりなんだよ

新しい愛を見つけた君は もう僕のものじゃない

せめて君の明日のために 最後のサヨナラ優しく

忘れないぞ 忘れないぞ 君を愛したことは

忘れるものか 忘れるものか いつまでも いつまでも



人は誰でも一度や二度は 本当の恋をすることがある

ただ結ばれず終わる恋が 涙の海へと運んでいくんだ

涙の数だけ人は人として 大切なものをつかんで

また来る明日の 人並みの中で 精一杯に生きて

忘れないぞ 忘れないぞ 君を愛したことは

忘れるものか 忘れるものか いつまでも いつまでも


忘れないぞ 忘れないぞ 君を愛したことは

忘れるものか 忘れるものか いつまでも いつまでも


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

わめが大昔(二十歳前後が多い)に作ったオリジナル曲の歌詞です。^^

記事に詰まったら(ぉぃw)これからもアップしていこうと思います。笑

しかし当時の歌詞ノートを見ると、ほとんど直球ばかりの詩が多いことに気が付く。汗
posted by わめ at 11:53| Comment(1) | TrackBack(0) | 歌詞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月15日

母の想い出

 わめの母は、日本人の平均寿命よりはかなり短命でありました。

 母に対する複雑な思いは、わめの母に対する複雑な思いや、健ちゃんのブログの記事、姉の思い出のコメント欄に書いておりますが、何かしらふっと母のことを思い出すことがあります。

 今日はTVを観ながら涙する母が浮かんできました。

 母はTVなどほとんど観ない人でしたがわめが幼い頃、「愛染かつら」と言うドラマを観て、泣いている姿を何度か見たことがあります。

 学会活動に忙しい母だったので、母が家でじっと座ってTVを観てるだけでもうれしかったのか、泣いている母をじっとニヤニヤ見ていた記憶があります。

 当時はティッシュペーパーなるものはなくて、母はガーゼのハンカチ?で涙をぬぐってましたが、わめがそんな母を面白そうに見てるのに気付き、何を話し掛けてくれたのかは覚えておりませんが、涙に濡れた顔に笑みを浮かべ、切ないドラマだと言っていたのかな・・・

 わめの幼い頃と言えば、わめのトラウマその一で書いていますが、体温計を逆さに振って(後に逆向きに叩く)体温計の温度を上げ、高熱があるように見せてよく小学校をサボったわけですが、おかげで母の自転車の後ろに乗せられ、あっちの病院こっちの病院と行き、その母の背中も記憶に残っております。

 わめも頑固だったのか、総合病院に入院し、扁桃腺からくる熱だと診断され、扁桃腺切除の手術を受けることになっても、今更本当のことを言えなくなっていたのか、扁桃腺切除手術を受けたりもしました。

 今振り返れば、母を信心に、また学会活動に駆り立てたのは、わめのせいだったのかもしれません。
 母はこの信心でしかわめの病気は治せないと思って、だから必死で題目や学会活動にと励んでいったのでしょう。

 わめの望んだことは、わめの悪巧みで、余計に達せられなかったようです。

 どうでもいい話を書いてしまった。汗

 でも思い出すってことは、わめの中で今も母が生きている証拠(”しょうこ”で変換したら祥子が出たw笑)で、わめの中で母が生きててくれることは、とってもうれしいことです。

 snowさんも、一日も早く元気になってね。^^
posted by わめ at 03:52| Comment(1) | TrackBack(0) | essay | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月14日

逆転現象

 ブッダ・日蓮在世において、当時の人々は理に暗く迷信を信じ囚われ、多くの不幸を招いていたように思う。ブッダ・日蓮はそこに理に適った教え、つまりは仏教を説いて、人々をその迷妄の呪縛から解放しようとされた。

 しかし近年、ネットで創価学会についての議論をみていると、信仰を持たない、或いは信仰に囚われない一般の方々が理に明るく、信仰を持つ多くの学会員が教条・迷信的な殻に身を包み、理に暗く、それが故か議論を放棄し、感情に走る傾向にあるようだ。

 これはどういうわけだろう?

 ブッダは、「在りのままを在りのままにつぶさに観」て、この世の真理らしきことを悟られたように思うのだが、現代は信仰を持たない方が、「在りのままを在りのままにつぶさに観」ることができて、信仰を持つ方がその教義や自らの信仰体験に囚われて、それができなくなっていると言うことなのだろうか。

 日蓮仏法を信仰する方は、短絡的に感情や情動に走るのではなく、日蓮のお言葉である「仏法は道理」、「法門をもて邪正をたゞすべし」を、改めて考えていただきたいものです。
posted by わめ at 15:30| Comment(1) | TrackBack(0) | essay | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月12日

自立 03

 この一ヶ月間、Poh師匠よりアドバイスをいただき続けておりますが、そのアドバイスに触れ、過去の自分に思い当たることが多々あり、もしかしてこれは、Poh師匠にわめの私生活を覗かれていたのか!って思うくらいで、隠しカメラを探してみたりしてw(^^;;

 冗談はさておき、過去の自分を振り返りはっきり思うこと、それは「人生に疑問はない」でした。

 わめは今年の6月までの約1年間、宗教を中心とした自分の心を取り巻く事柄に、読む・聞く・調べる・検証するなどの受け手に徹してきました。

 それはそれだけの期間が、従来の自分をぶち壊し、新たな自己の目覚めのために、最低限必要な期間だったように思う。


 それまでは、学会教学(学会流日蓮仏法)を学び、心肝に染め、そして実践し、心の闇が晴れていったのです。
 我が人生において起こったこと、これから起こることに、なんの疑問もなく、答えを手に入れることができたのです。
 だからこの仏法は本当に素晴らしいと思ったし、この仏法を知らず、苦悩する人達を哀れにも思っておりました。

 このような思いは、わめの人生の大半の時間を埋めてきました。

 それがあるキッカケから崩れ始めました。

 それは他の宗教を疑いも持たず信仰する、わめにとってとても縁のある方が原因でした。
 この方を誤った宗教から救いたいとの一心で、この仏法の素晴らしさ、この方の信じる宗教を調べ、その教義のおかしさを訴え続けました。
 数年話し合いました。でもまったく通じなかったのです。
 その方は体験的にその宗教を心から信じきっていて、わめの言葉はその方の心に届かなかったのです。

 この話はここまでです。これで終わっています。

 ですがわめに大きな疑問が生まれました。それは信じるとは一体なんなのだろうと。

 その方にとって、その誤った宗教を信じる心が、正しい宗教を受け入れることができない、大きな妨げになっていると思いました。

 また自分に当てはめて、この仏法を信じる心が、自分を支えていることにも気付きました。

 そして人は皆、何かを信じることで、自らの支えとし、生きているのではないかと。

 今まで信じてきたことの否定は、これまで生きてきたこと、そしてこれから生きていくことの、そのすべての支えを失うことになってしまうのではないかと。

 だから信じきってしまうと、訂正は難しい。

 信じることを、自らの支えとするところに、間違いがあるのではないかとも思い始めました。

 この時点でわめは、まだこの信仰をとことん信じ切っておりましたので、日蓮の「法門をもて邪正をたゞすべし」との教えに照らし、間違いなく正しいことを信じる、信じているから正しいのではないと思い始めました。


 これがわめの自立への第一歩だったように思います。
posted by わめ at 15:28| Comment(1) | TrackBack(0) | 自立  | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月11日

自立 02

 前回の『自立』に続きまして、今回は宗教団体等の諸組織の在り方、特にこのブログを閲覧してくれている多くの方達の関心事である創価学会について、仏教的な面や、軒ちゃんの心理学的な考察や、また学会員としての立場から、意見を述べてみたいと思います。

 まず軒ちゃんの「宗教というのは親の代わりの役割を果たすという」意見からの記事、『あなたの宗教は自立させてくれるか?』や、『心理療法と宗教−再び、自立の問題−』を一読願いたい。

 わめは『日本人探訪 3』で書いておりますが、日本人の多くは自立できていないのではないかと思っています。

 そして自立のための努力を怠り、宗教・コミュニティ等を依存先として、求めてしまっているように思います。

 落語などに出てくるはっつぁんくまさん、落語では人情・長屋話が多いですが、この人情とは依存関係と言うより、自立した者同士の隣組の助け合いの精神のように思います。

 そこにはその家々人々の生活様式や、人生観、将来の夢等々様々です。
 その互いが様々であることも、隣の父ちゃんが酒浸りで働きもしないといったことがない限りは、さして口も挟んだりはしない。長屋の小うるさい名物婆さんが、言いたい放題ってこともあるでしょうが、これなんかも自由気ままに思ったことが言えるという、長屋のよい雰囲気なのかもしれません。
 まぁ心がまとまるとしたら、長屋の取り壊し反対運動といったことくらいでしょうか。
 わめの好きなバラバラ が(・∀・)ィィと言うのも、このような日本と言う長屋暮らしを指しているのかもしれません。

 現代ではこの隣組の助け合いの精神は薄れてしまったかの感があり、それが災いしてか宗教・コミュニティ等にそれを求めるのも無理はないのかもしれませんが、ひとつ大きなものが欠けていると思うのです。

 それは自立していない者同士の、集まりの場であるということです。

 軒ちゃんの言を借りるなら、「最後は自立させなければならない。」、「別れの儀式に相当することを行わざるを得ない。」と言うことです。

 その集まりの場を、より良いものに改善を行なおうとすることは、悪いことではありません。

 しかし、そこは決して安住の地ではないし、安住の地としていつまでも自立できないままいる場所でもないのです。

 そこは自立のための場であり、自立するまでの巣であると思うのです。

 このことを忘れていては、親となり、子を育て、子を巣立たせることもできないのではないでしょうか。

 幸いなことに、昔の隣組の助け合いの精神は、このネット社会に息づいています。

 日本人も、海外諸国の人達と肩を並べ、自立した人間として堂々と渡り合ってもらいたいものです。

 次回(やっぱりこのシリーズも続くのかw汗)は、仏教面から自立の重要性を述べてみたいと思います。
posted by わめ at 14:31| Comment(2) | TrackBack(0) | 自立  | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月10日

信じることをやめた時

※追記・訂正・削除 2005/10/10(元記事2005/08/08で削除済み)

脱力感、溜息、無気力、モノクローム、遠い目、眠れぬ夜..........

一年と少し前、とんでもなく色々感じ、つらかった。

今、信じないことが自然になり、何事が起きても覚悟が出来てる自分がいる。

信じないからこそ、素朴な思いを感じたりもでき、また理に適わぬことへの期待もしなくていい自分もあり、何かよく分からないけど充足感に満ちている。

そして身の回りのことがよく見えてくる。

信じたい、信じられたいとの思いから、どれだけ自分を飾ろうとしていたか、今になってよく分かる。
信じたい、信じられたいとの思いは、目を曇らせてしまうんだね。

いや、目を閉ざしちゃっているのかもしれない。

わめの好きな日蓮さんの「法門をもて邪正をたゞすべし」との教えにも頷ける。

自分の信仰心を元にした経験や体験、実感などは、自らの偏った精神から見た現象の捉え方に過ぎない。

だから「利根と通力とにはよるべからず」です。

今は、あるがままの自分って、捨てたもんじゃないなとうぬぼれてみたりしてw(^^;;

 ※追記

 この記事は8/8に書いたものですが、そこで日蓮の教えが誤りであるとわめは断定し、この記事に書いておりましたが、その後、Libra師匠やLeoさん達と議論ができて、法華経や日蓮の教えの中心思想が「縁起・空」だとするならば、日蓮の教えのすべてが誤りであるとは言いきれないので、該当箇所を削除しました。

 その経緯はEnjoyLife掲示板の『「客観的事実」とは?』及び、『法華経について』をお読みください。
posted by わめ at 00:00| Comment(5) | TrackBack(0) | 信じることをやめた時 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月09日

2005 F1 第18戦 日本GP

 観てますか? 今やってますよ。^^

 今年はまったく奮わない佐藤琢磨ですが、この日本GPでは3列目(5番グリッド)スタートで表彰台も夢じゃない!

 2005F1は、セナ亡き後、ずっと応援しているM.シューマッハも、唯一の日本人ドライバー佐藤琢磨も悲しくなるほど悲惨な状況。

 佐藤琢磨なんて来年のチームも決まっていない?状況でのこの日本GPですが、何とかこの日本GPで良い結果残し、来年に繋げてもらいたいものです。

 終わってみれば、琢磨は13位、M.シューマッハは7位でした。(´・ω・`)ショボーン

 ちなみに3位までの順位を載せておきます。

1 K.ライコネン
2 G.フィジケーラ
3 F.アロンソ

posted by わめ at 13:50| Comment(1) | TrackBack(0) | 動画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月08日

海外ドラマが面白い! 02

 この話題もシリーズ化するのか?w笑

 前回の海外ドラマが面白い!で、わめが海外ドラマにハマったことを書きましたが、その見事1位に輝いた、宮廷女官 チャングムの誓い 〜大長今〜が、NHK総合(地上波)で今夜(10/8)夜11時10分より始まります。

(*^◇^)/゜・:*【祝】*:・゜\(^◇^*)

 この機会を逃すことなく是非観て頂きたいドラマです。

 でも週一とすると、全54話なので、観終わるのに1年以上掛かりそうですがw(^^;;

 あと最近は、LOST(第57回エミー賞で最優秀ドラマ獲得!)や、スターゲイトアトランティス&SG1などにハマっています。^^

 この記事、また追加するかもだけど、まずはチャングムの誓いの放映のお知らせをしたかったので、記事アップします。
posted by わめ at 03:21| Comment(1) | TrackBack(0) | 海外ドラマが面白い!  | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月07日

日本人探訪 03

 日本人ってわめも含め受動的な人が多いのかなって感じます。

 人を見ることより、見られることを意識しあっていると言うか、見られているからが大前提にあって、それを受けての自分の言動になる。

 でも世界各国の幼児も日本の幼児も、そんなに変わらないけれども、成長するにつれ大きく変わってきてしまう。

 これは周囲の大人たちが、確固たる自己を持っているかいないかの差が、子供達に影響を与えているように思います。

 確固たる自己を持たない日本人に、信仰・思想が入り込みやすく、信仰・思想自体が今まで無かった確固たる自己にもなってしまう。

 国民を腑抜けにしてしまうご都合主義の国家・政治、そしてそこからの教育制度にも問題があるように思いますが、それに甘んじて疑問にも思わない日本人って、何だか考えさせられてしまいます。

 いつまで経っても自立できない子供、いつまで経っても子離れできない親、そりゃそうかもしれません。多くの日本人は、国や地域と渡り合って、その関係性の中で1個の人間として認められ、保護から対等、更には擁護する側にと成りえないのですから。

 敗戦でアメリカの庇護化にあった日本は、国家さえ庇護のもとで育ってきたわけで、それが外交政策の対諸外国への弱腰さにも如実に現れているようにも思います。

 日本人もそろそろ、精神面だけでも自立していくべきじゃないだろうか。
posted by わめ at 14:36| Comment(1) | TrackBack(0) | 日本人探訪  | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月06日

日本人探訪 02

 海外に出るとよく分かることですが、東・東南アジアも国の中には「人を見たら泥棒と思え」どころか「警察を見たら泥棒と思え」くらい油断も隙もあったもんじゃないそうです。

 これは、前回登場のご近所の年配の方からの話です。わめは残念ながら海外どころか、本州さえ出たことがありません。涙

 日本では金の亡者と言うと、お金持ちでケチで欲深い人とのイメージがありそうですが、「警察を見たら泥棒と思え」の教訓が必要な国では、「日本人を見たら金と思え」くらいにすごいそうです。

 でも話をよく聞くと、警官でさえアルバイトをしているのが当たり前で、それだけ所得が少なく、生活が安定していないことがその原因のようでした。

 日本もまだスウェーデンほど、社会保障制度は進んでいませんが、これらの国の比ではないほど手厚いと言えるのでしょう。これらの国では失業・健康・労災保険が無い国なども多く、法定最低賃金が低かったり、それさえ守られないなどもあり、その上インフレ率が高いなど生活不安が一杯なわけで、生きていくためにはより多くのお金が必要で、文字通り金の亡者にならないと生きていけない方が大勢いるわけです。
 でも一部ではありますが、ホリエモンさんなど及びもつかない大金持ちも大勢いるそうです。

 平等じゃないお国柄なのですかね・・・

 じゃ日本人はと言うと、もちろんそれらの国より生活の安定はあると思いますが、お金の問題ばかりじゃなく、佐倉 哲さんのエッセイにある”和の思想と個人主義”が、元々日本の土壌にあったのではないかと思うし、これからも利己主義ではない個人主義が、日本のお国柄であって欲しいものです。^^

 ちなみにネットで仲よしのしずくちゃんが、縁起に興味を示してくれていることもあり、おまけと言っては氏に失礼なのですが、もうひとつ佐倉 哲さんのエッセイ、”和の思想と空の思想”にリンクしておきます。

 今回は堅くなってしまった感があるなw汗
 またご近所の年配さんとお話して、情報を仕入れてこなければ・・・

※追加※

 三九郎さんのブログを見に行ったら、今日の記事の”対話”で、イスラム教の文字を発見。^^

 ご近所の年配さんとのお話で、イスラム教国に行った時のお話しを思い出しました。

 商談相手と、明日の打ち合わせの時間と場所を指定し確認したところ、「神の思し召しのままに」との返事が返ってきたそうな・・・ 何度か聞きなおしても「神の思し召しのままに・・・」しかお返事が貰えず、通訳さんに妨げられホテルに帰ってからその通訳さんから聞いた話によると、神様がお決めになることだとの意味で、時間を守られることはまずあり得ないそうです。

 起床の時間も、その後の行動も、何やら神様が決めているらしいとのこと・・・w
posted by わめ at 21:05| Comment(1) | TrackBack(0) | 日本人探訪  | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月05日

自立 01

 自立ってなんだろうね。

 日本では40代や50代になっても、親から自立できない方が多くいらっしゃるように思います。

 これは「日本人探訪」シリーズでまた書こう。^^

 今回は軒ちゃんの「心理療法と宗教−再び、自立の問題−」の記事から、宗教と自立についてまた考えてみたくなったからです。

 意見をコメントして頂くのは大いに結構ですが、このようなことで実際に悩まれている方、また家族・身近な方にそのような方がいて悩まれている方は、心理学の専門家であられる、軒ちゃんさんのブログのコメント欄で直接相談されるのがよいと思います。

 あっ、みれいしゃんの「宗教に疑問を持ったとき」の記事も、自立を促す内容なのかもしれませんね。
posted by わめ at 02:52| Comment(1) | TrackBack(0) | 自立  | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月03日

あぁじれったい

 ここ数日キーを叩くのも苦痛を伴うほど体調不調なこともありますが、それでも仕事を休むことは考えられないので、寝転びながらでもやれるように枕元周辺を近代化しています。^^ 結果として仕事もネットも問題なくこなしてます。笑

 こんな身体的に不快な状況であることも原因とは思いますが、たまには感情をむき出しにしてのコメントもいいかなんて思ったり・・・

 リアルでもネットでも少なからず、病的なまでに苦悩している人をお見かけします。

 また、病的なまでに苦悩している人達を、他人事ではなく今すぐにでも助けてあげたいと必死にもがく人たちがいます。
 また、病的なまでに苦悩している人達が、いることを知っていても涼しい顔して我関知せずみたいな方もいます。
 また、病的なまでに苦悩している人達を、自分の判断基準に当てはめて、自業自得と冷笑する方だっているかもしれません。
 また、病的なまでに苦悩している人達を、横目で見ながらマイペースな方もいるでしょう。
 また、病的なまでに苦悩している人達を、知りながらただ黙っている方もいるでしょう。

 人それぞれ考え方、思い方、感じ方はバラバラがいいと言うのが、わめ的な信条なわけですが、どうにもこうにもやるせなくなる感情を、押し殺すことが苦痛で仕方ない時があります。

 どなた様も、病的なまでに苦悩してみてくださいよ。
 って意図的にはできないでしょうから、自分が病的なまでに苦悩状態であると考えてみてくださいよ。

 その上で、どうぞ他人事ではないと必死にもがいてくださいよ。
 その上で、どうぞ好きなだけ涼しい顔してくださいよ。
 その上で、どうぞ自分自身を自業自得と冷笑してくださいよ。
 その上で、どうぞマイペースでいてくださいよ。
 その上で、どうぞただ黙っててくださいよ。

 その上でどうぞ、人それぞれ考え方、思い方、感じ方はバラバラであってください。

 わめの周囲の方達は、皆さんこのようであると信じたい。

 これが縁起を知るものの、仮の姿であって欲しいと願います。
posted by わめ at 02:39| Comment(1) | TrackBack(0) | essay | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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