2005年08月31日

何だか・・・w汗

 このブログも創価学会色が強くなってきたなw ってどっちかって言えばアンチ色のほうなんだろうけど、それでも別にいいんだけど、宗教的なジャンルで言えば、こことリンクしたくないから分かりようがないんだろうけど、学会以外の宗教団体系のwebサイトや掲示板etcをやっていて、わめ的には創価学会=NOではなくて、宗教=NOなのです^^
 宗教がビジネス化してしまっていることがNOと言えばいいのか、だからボランティア的に無報酬で、収入は働いて得ている方々中心の宗教団体とか、出家みたく完璧に世欲から離れた方(宗教団体)などには、抵抗感はありません。
 ともかく、世の中を良くしていくべき政治家や宗教家が政治や宗教を利用して、懐を肥やしていくことには断固NOと言いたい。

 って言ってるうちに8月も終わりか・・・
posted by わめ at 10:18| Comment(1) | TrackBack(0) | essay | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月30日

男子部時代のわめ 03

わめの男子部時代のトラウマ話も、少し更新しましたのでよかったら見て下さい。^^

 02は熱中した趣味の話の前置き部分で終わっちゃったけど、趣味といえば将棋・囲碁に纏わる話もあったな。実はわめにも小学5年生頃に、クラスでお昼休みだったと思うのだけど、クラスメイトAが突然に、「将棋できる?」って聞いてきて、「できるよ」って答えたら、紙将棋(紙で駒や盤を作ったもの)を出してきて、将棋を指した覚えがあります。で、このクラスメイトAが、中学に上がってから最初に家に来た同級生で、家にあがっていい?と言われあげてわめの部屋に入れたら、何やら部屋を見渡し、ベッドと箪笥の隙間に入って、ベッドのカーテンをうまく箪笥の引き出しに挟むようにして隠れ、シンナーを吸いだしたぉぃぉぃw わめにはこのクラスメイトAが、初めての友達となりました。クラスメイトA改め友人Aは、まぁ中一からシンナー・タバコを吸うのだから、不良と言えば不良なんだけど、将棋が強く頭も決して悪く無い奴でした。

 それとお隣の禁じられた遊びのお兄さんのお父さんは、後で知ったのだけど老舗の地元ヤクザの組の元大幹部だったのですが、すごくいいおじさんで、わめんちは当時電話がなく、このお隣さんの家の電話をわめっちの電話みたいにいつも使わせてくれて、当時車を持っている家も少なくて、このおじさんが何かとわめ家族が必要な時に、車を出してくれてました。奥さんも気さくというか面白い方で、わめの家の玄関がお隣の庭側で鯉が泳ぐ池があり、庭を見渡せるような作りの室内テラスというか、応接間的になっていてわめの家の玄関先がよく見えるのですが、、わめが小学校の頃学校から帰って来る時に、その応接間のサッシを開けて、「今日のおばさんの家の夕飯は、わめちゃんの好きなカレーだよ。わめちゃんもうちの子になったら、おいしいものが沢山食べられるのにねぇ〜」などと声を掛けたりしてくれてました。事実手招きされてお邪魔して、本格的なサイホンコーヒーや、おいしいお菓子などもよく頂いたりもしたのですが・・・ まぁこんな感じのお隣さん一家なので、家族のような印象で、大B長夫婦に感じたような、緊張感などはなかったわけです。

 話が脱線気味で、いつになったら男子部話になるのかわめにもさっぱり分かりませんがw笑、このまま続けていきます。^^

 で、お隣の面白くて親切なおばさんの下心?かもしれないことが、分かったのは小学校高学年の時で、このおばさんの旦那さん(老舗の地元ヤクザの組の元大幹部)は、地元が名古屋で中日の大ファンで、中日が負けた日や翌日は、非常にご機嫌が悪くなるらしいのです。で、わめにコーヒーやお菓子で釣って家に呼び寄せ、おじさん(旦那さん)の遊び相手をよくされられたのでした。遊びといっても、おじさんが小学生に合わせて遊ぶわけじゃなく、好きな囲碁をわめに教えて、碁を打つわけなのですw笑 でもわめも囲碁を面白く感じてて、むしろお声が掛かるのが待ち遠しいくらいでした^^

 あ、何でお隣さんの話になったかと言うと、将棋好きな友人Aにわめが囲碁を教え、よく対局をし、友人Aは中学卒業後に定時制高校に入ったのですが、一応高校なので一般高校の囲碁大会にも出られて、そこで県で準優勝までしちゃったのですが、わめはその頃友人Aには、まず囲碁で負けることはなかったので、わめは囲碁が強かったという、自慢話がしたかったというわけです。(こらw

 え〜話を戻しますwコホン ギターが家にやってきた(中学2〜3年生)こともあって、ギターの練習を始めたわけですが、近所(かなり上級生)のギターが弾けるお兄さんから「お前は指が短いからギターは無理だ」って、ショッキングなことを言われたのですが、返って見返してやるぞってな感じで、結構必死に練習をしてたように思います。前にも書きましたが、このギター話というか音楽系の話は、17歳くらいからのわめの人生に大きな影響を与えていきます。

 さていよいよ男子部話に入っていきます。(^^;; 大B長宅での朝の勤行・唱題会を約1週間、そして朝刊配達を始めて、それは一年半ほど続き、車の板金整備工を少し、タップなどの製造加工工場(主に旋盤工)も少しの間やってみたりと、その後仕事は転々としていきます。

 この期間のいつ頃だったか非常に曖昧なので、とりあえず16〜18歳くらいの秋頃とでもしておきましょうw笑 ある日の夕方に近い午後、突然男子部総B長(今の支部男子部長)が、一人でわめっちを訪ねてきました。そして「今から大きな会合があるので、すぐ準備して一緒に行こう」と、細身で身長の少し高い方で30歳前後(実際は27歳くらいだった)、イメージは近藤正臣チックというか、斜に構えてちょっと長めの髪を手でかき上げたりとちょっとシャイ?、でもまぁ何というか威圧感があるというか、Noとは言わせないぞといった気迫が、わめを一瞬硬直させました。もう催眠術に掛かったというか、蛇に睨まれた蛙というか、不良を束ねていたなんて、やっぱりうまい具合に状況が、そうさせていただけと言うのがこれで証明されたというか、わめはもう言いなりですw 何故か既に母の手によって用意されていた、白カッターとネクタイ(色不明)とトレパンに着替え、その男子部総B長の車で、約40分の隣の市にある市の文化会館に行ったのですが、その車中色々その方から聞かれていたように思うのですが、わめは緊張してたのか何ひとつ覚えておりません。

やっと男子部話にたどり着きました。C=(^◇^ ; ホッ! てことで続きは後日にw笑
posted by わめ at 21:24| Comment(2) | TrackBack(0) | 男子部時代のわめ  | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

男子部時代のわめ 02

この頃って、まだ仏法とか御本尊に対して、信じてなかったと思う。母の勤行・唱題する姿は物心ついてからずっと見ていたし、自分も小学生の時からやったりはしていたけど、長い朝晩のご挨拶みたいな感覚しかなかったように思うし、母に頼まれてお水を代えたり、ご飯をお供えしたりもしたけど、これって誰が飲んだり食べたりするんだろうって疑問を持っていたような気がする・・・

 なので前述のように、大B長宅での朝の勤行会(会かよw)をやって自分が変わったというのも、信心の力とか功徳とか、そのようなことは思わなかったと思う。小さい頃からやったりしてたのだし、特別なことといえば、よそ様のお家で複数人でやったということくらいでしょうか。でも母は、信心についての話は別段してこなかったので、大B長から終わった後で聞く信心話で、半信半疑ながら「勤行唱題して真剣に祈っていくと願いは必ず叶うんだよ」って言葉は、へぇ〜そうなんだ・・・と、あまり疑いも持たないでただ漠然と聞いていたような気がする。でもとにかく気持ちよかったのは事実で、大B長から「もう一人で家でもできるかな?」って言われた時に、はいと答えてた。

 ということで、1週間前後の朝の勤行会は終わったわけで、その後はどうなったんだろ・・・、今となっては思い出せないw汗 ただ、夕刊は相変わらず仲間に配ってもらってたけど、新聞販売店から、以前より朝刊も配って貰えたらうれしいようなことを聞いていて、いっちょやってみるかなんて気持ちになって配達するようになった気がする。

 朝刊配達をやり始めたのはいいけど、早朝の4時頃に起きないと配達しきれないのだけど、わめは生活パターンから言えば、朝の勤行会で6時半頃には一応起きれるようにはなってきたのだけど、4時と言うのは自信がなかったようで、生活パターンとしては夜は寝ないで朝刊配達に行き、帰ってきてから眠くなるまで適当に過ごし、午前中から夕方まで寝るような生活をしばらくは続けていたような気がする。なので当然のように、昼間暇な不良仲間たちは、わめんちから遠のいていったのかな・・・ 

 と、ここからはどうしても熱中した趣味の話を出さないと話が進まないw なのである程度書いていこうと思う。

 わめは中学2年の頃、わめんちの玄関から見て前のお隣の家の姉の同級生(男)が、ギターを弾いているのを聞いた。曲は禁じられた遊びで、今考えればド下手だったと思えるけど、そのギターの音色にすごく感動した。また時をほとんど同じくして、GS(グループサウンズ、特にザ・タイガーズファン)狂いの姉とは違い、姉の同級生が吉田拓郎ファンで、そのレコードを家に持ってきて聴いたりしていた。それもまた、ギターってすげ〜とわめに感動を与えた。そしてまたまた近所の姉の友達(姉より一級下)がガットギターを持っていて、弾かないからと姉に貸したのか、わめに貸してくれたのか、ともかくわめの家にギターがきたわけです。^^

 このようなことが、わめの人生に大きな影響を与えていくわけですが、そのお話は次回へ続く
posted by わめ at 09:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 男子部時代のわめ  | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

男子部時代のわめ 01

 えっと、わめの男子部時代のトラウマ話の続編を書こうと思ったのですが、リクエストされている部分が”わめの折伏について”なので、このトラウマ話の以前に遡らないといけないことに今頃気付き、それとは別に「男子部時代のわめ」としてブログで書いていこうと決めました。^^
 でもわめの折伏の仕方の特殊性はありますが、それ以外は特になんてことのない体験ですので、期待に応えられずにこのお話は、すぐに終わっちゃうかもしれません。笑
トラウマ話は、ここをクリックでお願いします。<(_ _)>

 それとこのお話は「わめのトラウマその一」「わめはボス」からの続きになります。(*v.v)。ハズイ。。。。

 中学を1週間遅れで卒業後は、自宅で仲間と麻雀や、夜中は近所の人気の無いところでシンナー吸ったり、原付バイク(小学校で留年しているのでこの時点で16歳になっていたので原付免許を既に取得済み)を乗り回したりで、小遣い稼ぎ(夕刊配達)は仲間に任せ、わめは働かず好き放題な事をしておりました。これと他にひとつだけ、わめが熱中した趣味があったのですが、これがわめを誰か特定されかねないかなり大きな特徴ですので、今のところ秘させて頂きます。<(_ _)>

 そのような時を過ごし、その年の夏、大B長さんは突然やってきました。大B長さんは温厚・口下手な方で、きっと母に頼まれたのでしょうが家に来て、何を話したかはよく覚えてませんが、たどたどしく世間話?などをして、最後に信心の話というか何か決意したように、「わめちゃん、朝の勤行を一緒にやらないか?」と切り出してきました。

 わめは当時やってることは不良そのものだったのですが、人と接する場合(特に目上の方に)は、以外と好印象を受けるくらいにおとなしく、親や仲間以外に対して、反発するようなことは言わなかったように記憶しています。

 で、話は戻して、大B長さんが「わめちゃん、朝の勤行を一緒にやらないか?」と切り出した時、何故かわめは頷いたようで、気が付いた時には明日の朝から、大B長宅で一緒に勤行する約束が出来上がっていました。(;´▽`A``

 人の気持ちが分からなかった幼少期とは違って、逆にその頃はそのトラウマからか、わめが人からどのように思われているかがやけに気になっていたように思います。 いつものように深夜まで遊び家に帰って、その翌朝の勤行の約束が気になり、結局朝まで眠れずに大B長宅に行ったように記憶しています。

 そして1週間ほど大B長宅での朝の勤行を続け、わめは変わっていったのです。どのように変わったかは、何とも説明が難しいのですが、他人の家に行くこと、同年代じゃない方(大B長とその奥さん)と、普通に長い時間お話したりするのが初めてであったように思うし、いつも寝ている時間に人と同じように起きてて、朗々と朝から勤行唱題をするって、一般人の仲間入りをしたような感覚があったわけです。まぁ勤行唱題は一般的じゃないですけど、学会二世ですからわめ的には一般的であったのでしょう^^

 この一般的と言うのが、今まで人と同じことをやってこなかったわめにとっては、トンでもない経験なわけで、どっかで世間を斜めに見ていたというか、自分は世間から隔離された存在と言うのか、そのように思っていたわけです。

 今夜はここまでw しかしわめの体験話って、読んでもらって楽しんでもらえるのだろうか心配ですw もっと面白おかしく書いたほうがいいとか、何か意見がありましたら、コメント欄にお願いしたいと思います<(_ _)>
posted by わめ at 00:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 男子部時代のわめ  | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月29日

来週はなにオフにするかなw汗

今日の超ミニオフ、大いに飲んで喰って寝て(昼寝w笑)楽しかった^^
んで、なんだかんだで来週もミニオフになってしまった・・・*o_ _)oバタッ
2週連続で焼肉も何だし、今度は何にするか考えないといけないなw汗
出不精なわめなので、ミニオフは大抵わめの地元になります(今日と来週も)。
でもそれなりの人数が集まる時のオフ会だとやっぱ大阪かな。
そういや随分遠くから来てくれる方もいて、遠いところからでは九州諫早や、東京・神奈川・埼玉・横浜etcから来てくれます。
チャットや掲示板でお話しするのも楽しいけど、会って話をするのもそれらとは違った楽しさがあるな。(^。^)

でも内気で気の小さいわめなのに、暴君呼ばわりされるのは心外だなw涙
posted by わめ at 00:38| Comment(1) | TrackBack(0) | 日々雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月28日

焼肉オフだぜ!

明日(今日かw)は午前中から焼肉超ミニオフです^^

まぁそのうちまたオフらしい企画もやらないととは思ってるのだけど、毎日朝から晩までチャットで話してる奴ら(約200名余り)と、それも数年だしw爆、メンバーの中でなんかびっくりするようなことでも起こらないと、オフ企画やろうとの気力が湧いてこないなw
気の置けないやな奴らだけど、わめには欠かせない奴らでもある。^^
ってことで焼肉オフに備えてそろそろ寝ます。笑
posted by わめ at 03:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月25日

「仏教の源流から」スレ

 「仏教の源流から」スレを、また読み返してみました。^^
 このスレ進行時から既に約3年が経っているわけですが、今読み返してみても師匠たちの域に、わめはまだまだ達していないことに改めて気付かされてしまいます。(^^;;
 でも負けん気の強いわめですから、いつか必ず肩を並べられる日がくると楽観しております。ヽ(・∀・;)ノ アヒャッ!
posted by わめ at 14:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

No1になりたがる心

 お題のような気持ちを持った方はおりませんか?

 「世界にひとつだけの花」って槇原敬之さんの歌の歌詞に「ナンバーワンになれなくてもいい もともと特別なオンリーワン」ってのがありますが、なんかもう心が震えるというか、素敵だなって感じます。

 ・・・でもこれって考えてみるとなぐさめや負け惜しみの歌詞に思えてくるのは私だけ?
 「ナンバーワンになれなくてもいい」は、頑張ってもNo1になれない、だから「もともと特別なオンリーワン」と、もともと私はNo1(特別)なんだって言い聞かせる・・・

 んでわめのこの歌詞をきいて「なんかもう心が震えるというか・・・」は、自分はとにかくNo1なんだって、心を満たしてくれるからなんです^^
 そうです、わめはお題の通り「No1になりたがる心」を、無茶苦茶強く持ってる人なんです。

 「No1になりたがる心」を無茶苦茶強く持ってるから、現在の自分に固執せず、自分の欠点を探しそれを克服していきたい。

 「No1になりたがる心」を無茶苦茶強く持ってるから、学ぶべきことが多いと思える人を見つけると、師匠と呼び、その人を自分のひとつのハードルとして、越えていこうと頑張る。

 「No1になりたがる心」を無茶苦茶強く持ってるから、ライバルじゃない人には非常に優しくなれる。

 むむっ(ーー;)、ちょっと正直に書き過ぎたかw
 ここらで自分にフォローを入れちゃおう(^^;;

 「No1になりたがる心」を無茶苦茶強く持ってるから、真理・真実により近づこう、執着はこれ一本(No1を目指す)に絞ろうと思えるのかもしれないし、いつまでも満たされることはないからうぬぼれることもない。笑 (フォローになって無いかもw汗
posted by わめ at 11:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月24日

仏教の死生観について

最近シナプスさんっちの掲示板「仏教の死生観について」スレで、久しぶりにちょっぴりではありますが議論ができて、ちょっとうれしいわめです^^
議論し合って、自らの誤謬を見つけられたり、互いを高めあっていくことは、大切なことのように思います。
ここを見てくれている皆さんも、よかったら是非ご参加くださいね。^^

投稿する場合の注意点
シナプスさんサイトでは、まずRULEを読んでルールに従った投稿をお願いします。またSESSION(会議室)掲示板ではまず「自己紹介スレッド」に、自己紹介をお願いいたします。
posted by わめ at 00:28| Comment(1) | TrackBack(0) | 宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月22日

わめの母に対する複雑な思い

てなことを、軒ちゃんさんのブログでコメントしました^^
なんだか軒ちゃんさんのブログの「姉の思い出」に釣られちゃった感じです(^^;;

あ、そんなことはどうでもいいんだけど、コメント欄に訂正が効かないので、こっちで訂正しようと思ったんだったw汗

> 聖教配達も30年以上も続けておりました。

これはよく覚えていないのですw 役職を降りたのは母が50歳以前なのは確かだけど、聖教新聞の配達は続けていたのかどうかは記憶が曖昧です。
ってことで、長く聖教新聞の配達していて、メダルや盾を学会から貰っていたと言うことに訂正です。<(_ _)>
posted by わめ at 00:41| Comment(1) | TrackBack(0) | 人生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月21日

毒矢の喩より

 皆さんよくご存知のブッダの毒矢の喩(たとえ)ですが、これが以外と現実に生きていく上では活かされていないように感じます。
 この喩は簡単に言うと、毒矢が体に刺さってしまった人が、ああでもないこうでもないと言ってるうちに、毒矢の毒が体中に回って死んじゃいます。肝心なことは、速やかなに毒矢を抜くことだとの喩え話です。

 人が悩んだり苦しんだりすること(以下苦痛)には原因(毒矢みたいな)があるわけで、それを慰めてあげたり同苦してあげて、少しでもその苦しみを和らげてあげようとすることは、その原因(毒矢刺さった)から生じる結果(死)から救うことにはなりません。
 何故ならその苦痛の現れは、肉体的苦痛と同じく、危機(毒矢が刺さったこと)を知らせる人間の円滑な生存維持のための危険信号で、その危険を知らせる苦痛に対し、あれこれ対処(苦痛を和らげる麻酔的なこと)してみても根本的解決にはならないことは明らかです。
 答えは簡単ですね。苦痛の原因(毒矢)を取り除いてしまうことです。^^

 毒矢の刺さった方には、刺さった毒矢の危険性、それを速やかなに抜くことの重要性、そのための苦痛に絶える覚悟を与えることが重要です。
 その上で、抜いた後に残る苦痛を和らげてあげることも大切ですけれど。

・・・ただ一番問題なのは、自分に毒矢が刺さっていることにさえ気付いてない、否、気付きたくもないという方々が多くいるということです。(^^;;
これはもしや毒気深入し、正気を失うという「良医の喩」ですかなw
posted by わめ at 00:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月20日

Libra師匠との語らい

 わめの目を覚まさせるきっかけとなった人がLibra師匠です。
 それはWeb上に残されたLibra師匠のテキストからでした。言わば過去のLibra師匠のテキストとの出会いからだったわけです。
 それが最近さかなこさんとのご縁で、更にさかなこさんのブログのコメント欄(しかも記事からは大きく脱線w)で、Libra師匠と語らうことが出来たことは、わめにとって至上の喜びでした。

 そのコメントの一々にリンクができないため、他の方のコメントも載ったままリンクさせていただくこと、さかなこさん、コメントされた方、ご容赦ください。m(_ _"m)ペコリ

さかなこさんっちでLibra師匠との語らいリンク
posted by わめ at 14:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月17日

信仰とその周辺スレから「筏の喩え」について

何だか読んでて面白かったので下記リンクより抜粋^^

信仰とその周辺No13〜22
仏典の「筏(いかだ)の喩えの法門を知る人は,法さえも捨てなければならない.法でないものはなおさらである.」
『たとえば街道を歩いてゆく人があって,大水流を見たとしよう.そしてこちらの岸は危険で恐ろしく,彼方の岸は安泰で恐ろしくないとしよう.しかもこちらの岸からかなたの岸に行くのに渡船もなく,また橋もないとしよう.そのときその人は,草,木,枝,葉を集めて,筏を組み,その筏によって手足で努めて安全なかなたの岸に渡ったとしよう.

宗教の教えというものは,悩める人間を導く手段であり方便である.目的を達し,その役目を果たしたならば,その筏は捨てられなくてはならない.そしてさらに先へ進む・・・といったようなこの教えは,宗教というものを固定化してはいけないことを説いていますが,「宗教」を「価値観」と読み替えてもいいかもしれませんね.

仏教を見回すと『摩訶止観』には「破法遍」とありますし、臨済禅師等はショック療法的に「仏に逢うては仏を殺せ。祖に逢うては祖を殺せ。」「...始めて解脱を得ん。」(〜とはこうであるとか〜とはこうでなければならないという固定観念にとらわれるなということ)といっていますね。
時には筏を陸で担いで訓練と称することがあるのかもしれませんが、激流を渡ること(悩める人間が導かれる)が目的とすると、筏を陸で担ぐことをやったとしてもそれはあくまでも訓練に過ぎないと思いました...

−−−−−ここから
「筏を捨てない人には、いかなる困難にも負けない強さがある。 しかし、筏を失えば、人生は闇だ。」
「筏を担いで、前へ、また前へと進んでください。後ろを振り向かないで。 すべては「筏担ぎ」です。いつも「筏担ぎ」なのです。」
「立場等ではない。”筏担ぎに生きる”人が、”本物の筏担ぎ”なのである。 また、一流の筏担ぎは一流の筏担ぎを見抜くものだ。」
「人生は、「筏担ぎは無理だ」とあきらめる自分「筏担ぎはこれくらいでいいだろう」 と妥協しそうになる自分との戦いである。「断じて筏を下ろさない」「断じて筏を担ぐ」と 筏担ぎに勝ちゆくことだ。」
「筏は、逃げれば逃げるほど追いかけてくる。犬のようなものだ。 だから、筏を担ぐしかない。」
...筏先生の指導より。
−−−−−ここまでは、何やらLeoさんの○○学会に対する皮肉ですな?笑
わめ的には、「筏は己心にある、だから逃れようがない!」とまで引っ張って欲しかった....ボソ

cocoしゃんの
「宗教の教えというものは,悩める人間を導く手段であり方便である.目的を達し,その役目を果たしたならば,その筏は捨てられなくてはならない.そしてさらに先へ進む・・・といったようなこの教えは,宗教というものを固定化してはいけないことを説いていますが,「宗教」を「価値観」と読み替えてもいいかもしれませんね. 」
と、宗教を捉えられるとしたら、わめの宗教嫌いも治るかもしれません^^ でも人間ってそう簡単に深く信じたものを捨てられない....。 いえ、cocoしゃんのこのようにおっしゃることが、宗教の捉え方の常識となるならそんな心配も要らないのかもしれませんね。 でも常識となってない現状では、今んとこわめは、信じることは「思考停止」、「一元論は認知不能と、当分は言い続けていかないとだめみたいだなw
posted by わめ at 00:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月16日

最近観た映画の感想

映画の内容を詳しく書いちゃネタバレになるし、感想って結構難しいw
感想らしからぬ感想になりそうなので、お聞きになりたいことがあれば、コメント欄に書いてください。わめのできる範囲ではお返事したいと思います。

ゲス・フー Guess.Who
1967年に公開されたシドニー・ポワチエ主演の“招かれざる客”のリメイク映画だそうですが、”招かれざる客”は観てないので比較することはできません。 恋愛と結婚、家族愛、人種問題等がテーマで、そうでありながら軽快なテンポ・ユーモアたっぷりで観るものを飽きさせない、いい映画でした。

アイランド
これは掲示板で書いちゃったので下記リンク参照。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/sports/20126/1121475662/i49



ヒトラー 〜最後の12日間〜
主にヒトラー総統の女性秘書だったトラウドゥル・ユンゲから見たヒトラー像です。 いつも身近にいた女性秘書の目線なので、ほんとのところは分かりませんが、よく描けていると感じました。ネタバレしちゃまずいと思いますので、観て損はない映画と言うことにしておきましょう^^

レイ -Ray-
皆さんご存知の2004年に亡くなったレイ・チャールズの半生を描いた作品です。レイ・チャールズ扮するジェイミー・フォックスの名演が素晴らしかったです。自伝を元にしているだけあって、赤裸々に明かされるレイ・チャールズ像が、人間味を帯びているようでよかったのと、随所に彼本人のオリジナルが流され、それをあたかもレイ・チャールズ本人と見間違うほどジェイミー・フォックスが見事に演じております。長編映画ですが、最後まで飽きさせない映画でした。

ドア・イン・ザ・フロア
ジョン・アーヴィングの小説「未亡人の一年」の前半3分の1だけを映画化したものです。これは見る人が観ればいい映画なんだろうけど、わめには眠気をもよおすだけの映画でしたw(^^;; そう言えばトム・クルーズの宇宙戦争も途中で寝ちゃったか・・・w

チャーリーとチョコレート工場
これはもうなんて言うか、観たい人は観てくださいというしかない映画だったw

ステルス
わめ的にはかなり楽しめた映画でした^^ キャッチコピーの『トップガン』の興奮と『アルマゲドン』の感動が融合したの『トップガン』の興奮は嘘偽りなしって感じです。感動もそこそこありますしね。わめはこの手の映画は大好きです♪

ザ・インタープリター
ニコール・キッドマンとショーン・ペンの共演で、期待して観たんですけど内容はまずまずでした。(^^;; いや悪くは無いんですけどね。ただスピード感が足りないというか、スリルを味わえないというか・・・。 まぁ観て損は無いかもしれませんが。
posted by わめ at 16:10| Comment(1) | TrackBack(0) | 動画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月14日

映画 マダガスカル

「シュレック」のDreamWorks社製作の「マダガスカル」を観てみた。
うーん、シュレックのようには楽しめぬ.....
シマウマのマーティの声はモロ柳沢慎吾丸出しって感じだけど、これはこのキャラクターに合っててよかった。

わめの感想は、「シュレック」は大人も子供も楽しめたけど、「マダガスカル」は子供と母親が一緒に楽しむ映画かなって感じです。

友情の大切さが伝わってくる映画です。^^
posted by わめ at 15:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 動画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

選挙活動は、活動の根本の根本?

お題通りなんですが、衆院選挙のため予定されていた8月度の座談会が中止になりました。
「座談会は創価学会の活動の根本です。」と創価公式Webサイトには載っているが、活動の根本である座談会を中止してまで行なう選挙活動は、根本の根本なのでしょうか?
posted by わめ at 10:12| Comment(1) | TrackBack(0) | 宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月12日

痛いジョーク

今朝の朝食は久々のサンドイッチと牛乳たっぷりのカフェオレ。
んで食べながらブログ巡回しててさかなこさんっち「今日の2ちゃんねる面白レス」8/11を読んでたら、思わず口に含んだカフェオレを噴出しそうになった。ワロタw

面白い!、けど日本人には痛いジョークだw
面白いだけじゃ済まされない、日本人の特徴の悪い面が顕著に表現されている。

昨年読んだ佐倉哲氏の「妥協を排し、WTOで解決せよ」というエッセイが頭をよぎる。
posted by わめ at 10:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月11日

保身の輩

けっして今に満足しているわけではなくとも、現状の地位、名誉、信頼、金・・・etcなど、更に求めたくはあっても、出来れば失いたくは無いものでしょう。

現状を鑑みて、まだまだいけると思えるなら、また、破綻時には泥を被らない保身の策があるなら、それが政治家だろうと、事業家だろうと、宗教屋だろうと、続けていくことは無理からぬことかもしれない。

そんな輩には、飴とムチの両方で引きずり降ろすしかないのかもしれないな。

しかしムチはともかく、飴をどう与えたらいいんだ・・・
反逆者呼ばわりされている方の、その後が明るければいいんだが。
posted by わめ at 04:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月10日

記録は破るためにある

例え記録保持者であっても、自己ベストを塗り替えようと努力するものである。

自己主張や信念も然り、自己主張や信念は破られるためにある。
もちろん自らも、自らの主張や信念を破ろうとすべきである。
破られない自己主張や信念などは化石に過ぎない。

追加
Libra師匠の資料集から直リン(師匠ご勘弁<(_ _)>)
『ブッダは歩む ブッダは語る』(友岡雅弥)
友岡雅弥氏に惚れちゃいそうだわw☆チュ(^・^*)

更に追加 上記リンク先から一部抜粋

〇「宗教」が、自らの欲望を全面的に肯定し、その達成を目指す「祭祀」「祭り」「イベント」「行事」「スペクタクル」に堕落し、自らを磨き上げて行く「精神の労作業」になってゆかないこの国の未来を、世界はけっして羨(うらや)まないでしょう。[p.86]

〇ブッダは、「何か」と言う言葉で表される実体的、固定的なもの“を”知ったのではなく、その固定的なもの“から”離れたのです。「何か」という固定的、実体的なものは「悟るべき対象」ではなく、そこから「離れるべき呪縛(じゅばく)」「目覚めるべき夢」なのです。[p.165]

〇ブッダはその自分の考えすらも常に越えよう、突破しようとしたのです。「永遠の越境者」「永遠の突破者」が「目覚めた者」です。「今の自分に固執して生きること」という儚(はかな)き夢から「常に目覚める者」がブッダなのです。[pp.166-167]

〇何度も言うことですが、ブッダの思想の特徴は、「立場」を永遠に突破することにあります。一つの立場に固執することから、常に飛躍するところにあります。[p.174]

〇永遠の脱出者ブッダは、心地よき悟りから脱出しようとするのです。「心地よさ」はくせ者です。「心地よさ」は立場を構築(こうちく)してしまったことの表れです。安らかな繭(まゆ)の中で、快適な惰眠(だみん)を貪るのです。[p.175]

〇固定化、実体化した「悟(さと)り」こそ、ブッダが批判し、否定したものです。[p.179]
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謙虚な人

日本人の多くは自己主張が苦手なように思う。
それは自らの可謬性を認めているからかもしれない。
それは一見謙虚な人のように映るし、可謬性を認める態度にも好感は持てる。
メディアやネットの情報や日常の会話などから、自己主張などせずとも自らの誤謬を発見し、自己反省もできるのかもしれない。

しかし、少し自分を見つめ考えてもらいたい。
あなたは、社会や周囲の方が認める以上に、自分を高く評価していないか?
自分を貶めて評価してみることもできるかもしれない。
でもそれもそれができる人間だと、心のどこかで自分自身を高く評価している表れではないでしょうか。
本当に自分と向き合える人は、自分で自分の評価などできないことに気が付くと思う。
そして自他の評価など、どうでもいいことにやがて行き着くようにも思う。
もっとも大切なのは、真実・真理に一歩でも近づこうとする姿勢ではないだろうか。

そのためには、自己主張は欠かせない手段となり、その反響は何よりも自らの宝となりえる。
その反響を真摯に受け止めることができる人を、謙虚な人と言えるのではないでしょうか。
posted by わめ at 12:02| Comment(1) | TrackBack(0) | essay | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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