2007年05月07日

信念

 学会で教えられた日蓮仏法や自らの信仰体験で培ったものが、十代から二十代前半は周囲の同年代前後の人達と自分とは大きく違うと感じさせた。
 自分が周囲の同年代前後の人達と大きく違うとの感覚は、生きていく目的というか何のために生きるのかということを私は心に決めていたということなんだろうと思う。
 それは広宣流布という大目的は遠大に感じ実感は無かったが、日蓮仏法を広めていくことが私の生きる目的・使命であると心に決めていた時代であった。
 
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2007年05月02日

批判対象には自らも含む

 よくも分かっていないのに批判的合理主義マンセーな私。汗

 でも表明していることとは裏腹に、心の隅っこでは批判を受けたくないなんて考えているのかもしれない。
 それは自らの可謬性を自信をもって認めているが故か、批判を受けるとその批判内容に関わらずよく検討・検証もしないで自らの誤謬を指摘されたとの思考が自動発動し、誤謬でないことまで誤謬ととりあえず認識してしまいがちで、誤謬ではなかったと再認識するまでに大変労力が必要なことと、再認識に至るまでの自らの言動がブレたり的外れである場合が多くなってしまうからなのかなって思ったりしています。

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2007年04月30日

Re: 相対尺度

 アロエさんのブログの記事『ニセ宗教』にコメントをし、アロエさんと意見交換をさせて頂きましたが、アロエさんはそのことからの記事を『相対尺度』として書いてくださいました。

 そこで随分日が経ってしまいましたが(汗)、アロエさんの『相対尺度』の記事を受けて私も記事として意見を書いてみたいと思います。

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2007年04月17日

尼寺の住職

 昨年10月末頃に仕事の依頼を受け知り合った尼寺の住職(尼僧)。
 この方、パソコンやインターネットはズブの素人ながらお寺のホームページ(業者に委託)も持っていて、ネットでお買い物は日常事で、ネットビジネスにもどこの誰かも分からないネットで知り合った方に勧められやっちゃったり(カモられてました)と、何と言うか私も負けそうなくらいのわけわかめな方です。汗
 まぁ東大出の直弟子もおられるくらいなので、本職(住職)は何とかやっておられるようですが。

 宗教はやっぱり好きになれないと自認している私ではありますが、仕事上上客でもあるこの尼僧の方とはウマが合うというか正逆であるが故か、電話でも直に会って話している時にも「アホか!?」とか「バカ!!」ってしょっちゅう言っちゃっています。

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2007年04月03日

マナーについて

 今年の始め頃より親しくなった女友達がいるのですが、この方非常に電話で話すのが好きで2日に一度くらいは電話が掛かってくるのですが、どちらかに話を中断せざるを得ない事情がない場合は大抵1〜3時間、長い時は8時間も通話したりしています。汗

 記事タイトルが「マナーについて」なのでこの長電話のことかと思われた方もいるかもしれませんが長電話は余談です。

 この女友達ですが、お酒好きでかなりいける口です。(^^;
 私もお酒は弱くはないのですが、泥酔するほどのアルコール量は体が受け付けてくれません。涙
 しかしながらこの女友達は、酔っていた時の記憶を無くすほど飲むことができる方です。
 共通点はお互い毎日お酒を飲んでいるといったところでしょうか。

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2007年02月20日

言動の自由と責任

 「南無妙法蓮華経」であろうが「あいうえお」であろうが、唱えて気持ちよいのであれば、あるいはその功徳を感じるのは個人の主観でありそれはそれでいいのではないでしょうか。

 それが仏教の創始者である釈尊が否定した仏舎利信仰や経典信仰(題目を唱えることも広い意味では含まれる)であろうと、釈尊や日蓮と言えど私達と同じ人間であり間違いも犯せば屁もこく。笑
 個人や偶像崇拝など馬鹿げていると思うのも個人の勝手だし、その言明に従うかどうかも個人の自由であり、また「それでは幸せになれない」とか、「地獄に堕ちる」と思うのも、これまた個人の自由であると思う。

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2007年02月16日

学会員も様々

 私が男子部時代、親しくお付き合いをさせてもらっていた某県青年部長や、壮年部になってからも懇意にして頂いた副会長、この副会長ですが眼が合うとニコって笑顔というよりニタ〜って感じ(私的印象では漫画家の赤塚不二夫さんが笑っている時)の眼で見られ、こっちまで我慢できずニヤけてしまうようなそんな親しみを持てるような表情をいつも投げかけてくれる方、青年部長は事業を営んでいて、かなり年下で役職も格下の私にも、信心のことやビジネスのことで悩みを打ち明けてくれて私のアドバイスを真剣に聞き、また実践してくれる方でした。

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2007年02月04日

共存 2

 今回は創価学会や学会員のことをモデルケースとして採り上げておりますが、これは共存多元論関係性についての記事です。

 創価学会、学会員は幸せを得ることに貪欲です。

 その幸せについても、心の持ち様で幸せと感じられるといった宗教的、個人の内面的な感覚ならいいとは思うのですが、創価学会や学会員の求める幸せの多くは、物心両面で満たされることを指す場合が多く、例えば収入が増えるように、お金持ちになれるように、職場で認められるように、社会的地位の向上、地域で信頼を得るといった個人の内面的とはいえない幸せを求めることが多く、学会員の思考や言動は宗教的と言うよりむしろ成功哲学やマルチ商法の実践者に近いように感じます。

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2007年02月01日

回想

 私は創価学会の両親の下に福子として生まれ、十代後半より日蓮仏法こそ最高の教えと信じ、日蓮の教えのままに生きていくことが最高の生き方と決め、30年近く折伏弘教に励んできました。
 そんなことも創価学会組織から離脱し、日蓮仏法と離別した今となってはもう遠い過去のように感じますが、そんな過去を忘れない内に当時を振り返りながら、また現在の心境・思考とを比較しながら新たに「回想」カテゴリとして書いていこうと思います。

 日蓮仏法と創価学会、それは私にとって物心つく以前から身近にあったもの、家にある書籍は漫画も含め学会関係の出版物で埋め尽くされていました。親父の好きな演歌やビートルズのレコードを除くとレコードも学会歌集や池田大作講演などばかりでした。

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2007年01月23日

共存

 共存をサブジェクトで、また、カテゴリーを多元論とするには、私自身の中でまだまだ充分な考察ができていないと感じていたのですが、考えてみれば私のようなものが生涯掛かっても充分な考察など出来るはずも無いんじゃないかと思い、このように記事として提出してより多くの方から批判的見解を頂くことにより、一人で考え込んでいるよりも、より深くまた多くの方の継続的なテーマと成り得る可能性があるのではないかと考え、断片的で論理性に欠けた記事になってしまうのは覚悟の上でその見解を述べさせていただきます。

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2007年01月20日

浦島太郎状態

 竜宮城で遊び呆けていたわけじゃないけど、リアルでちょっと活躍している間にこの界隈に異変が起こっているようだ。汗

 どうも創価学会問題に関わる異変のようではあるけどメメさんブログは閉鎖のようだし、gizmoさんっち記事では、アンチがまるでバリ活まがいのような行為をやっているように書いてるし一体どうなっちゃってるの??

 三ちゃんは三ちゃんで(いい意味で)変だし・・・
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2007年01月19日

言論

 ネットで創価学会思想に洗脳された学会信者さんの言論を見ると、その偏った思考・言動に正直嫌悪感があり気持ち悪くもなるのですが、でも創価学会をよく知らない方がそのような言論を見て参考になることはあると思います。

 私はネットショッピングをよくしますが、新しく購入を考えている商品については検索エンジンを使いしっかり調べてから購入します。
 ショッピングサイトやメーカーの商品ページにいくら魅力的なことが書いてあってもあまり参考にはしません。
 参考にするのは既購入者の感想です。使ってみた方の感想は実際の個人体験だから、誰か一人だけの感想のみを参考にするのは危険ですので、私は多くの方の感想をみて購入するかどうか決めます。

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2007年01月18日

自分の所有者

 日本に所有者の無い土地ってあるのだろうか?
 落し物はともかく所有者の無いお金はどうだろう?
 争議中で所有者が確定していないってのはあるかもしれない。
 一般的に価値があるものは誰もが所有したいものなのかもしれません。

 ところで自分の体の所有者は誰なのでしょうか?
 人によっては神様だとか言う方もおられそうですが、一般的には自分の体は自分の所有と考える方が多いのではないでしょうか。

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2007年01月07日

欲求を満たすための道具

 現在の私にとって、パソコンやインターネット(ネットワーク)は、生活していく上で必要不可欠に感じる道具といえそうです。
 パソコンやインターネットは誰しも必要不可欠とは言えませんが、衣食住は人間である私達には欠かすことは出来ないものでしょう。そしてそれらを手に入れるために必要なお金も重要に思います。
 パソコンやインターネットや衣食住やお金、それに道徳観や理論や思想なども必要に感じるもの(道具)かもしれません。

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2006年12月04日

元気です

 最近Enjoy界隈に顔を出さなくて、もしかしたら心配くださっている方もおられるかもということで、近況報告的な記事をちょっと書いてみようと思います。

 今年は年初のカラオケを歌いに行くことから始まって、数年治まっていた夜の街クセが復活し、今に至るまでも継続中です。汗
 まぁ以前のように毎月百万を超えるような散財は財がないのでできませんし(涙)、身の程も少しは弁えられるようになったようで今年もどうにか年は越せそうです。(^^;

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2006年10月09日

自分を知る

 やりたいと思うことはやりたい。やりたくないことはやりたくない。
 苦痛は嫌い。楽しいのが好き。
 人の為、人の笑顔を欲しがるのも自分の存在価値を認めたい、認めて欲しいから。
 人の幸せを願うのも、それが自分の幸せにも感じるからで、結局私は自己中心主義です。
 注目されたいけど構って欲しくなかったり、まだまだ自分自身にはよく分からないところもありますが、自己中であることは間違いなさそう。
 歳を喰い、表に出る部分では狡猾になったかもしれませんが、意識・無意識の本質部分では私は昔からまったく変わっていないのかもしれません。

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2006年10月07日

思考停止のキッカケ

 すべての見解はある一面からの見方に過ぎない。

 冒頭から思い切ったことを書いてしまいましたが、例外はあるのかも知れませんが、そのように思っておいたほうが無難でしょう。
 というのも、自分が知らなかったことを知ることにより、それが下手すりゃ思考停止のキッカケとなりかねないからです。
 何事も突き詰めていけば、その結論は分からないに至る場合がほとんどなのですが、人間は分からないことは不安ですし、分からないことを知りたいとの願望もあるように思います。
 人は、分からないことを、ある見解を見聞きすることにより分かったと思ってしまったなら、そこで思考停止してしまったり、その見解の基づく思想に傾注してしまいやすくなります。

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2006年10月02日

幸福観

 【創価学会を語ろう】のコメントで、Leoさんが長寿と死相、物質的幸福と唯心論的幸福について書いてくださいました。 そして『「空・無願・無相」って反射率100%の理想的な「鏡」じゃないかと』とも。

 このコメントへのお返事をしようと思って書き始めたのですが、考えがまとまらずお返事ができませんでした。
 それはある疑問からなのですが、「人は何を求め、何を避けようとしているのか。」、このことについて考えてみましたが、考えがまとまらなかったのです。

 人の求めるもの、Leoさんの言われる物質的幸福と唯心論的幸福とは、お金が沢山あり、いい車や豪邸に住み、毎日おいしいものを食べ、好きな時に好きなことができて、それでいて健康で、周囲からは尊敬や信頼され、満ち足りた毎日を送れること。嫌なことや苦痛や悲しいは避けたいとの気持ちもあるのでしょう。
 一般的にはこんなのがそうなのかなと思ったりします。

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2006年09月14日

自分だけは違う

 よく「人の振りみて我が振り直せ」などと言われたりしますが、以外とこれが難しい。
 他者に対しては客観的に見れたりもするわけですが、こと自分のこととなると以外と見えないものです。
 自分の内面的なことなどで悩んでいる時などはこの逆の場合もありますが、自分と他者を同じように見るということは難しいようです。
 こうした原因はどこにあるのか、突き詰めれば「自分だけは違う」からなのでしょう。
 確かに違いますよね。他者は普通に見れますが、自分は鏡に映すなりにしないと見えませんし、声だって自分の声は耳で聞いてないですし、自分に触れる場合も触れる側(指先)などの感覚が触れられる側の感覚を邪魔しますし、自分の匂いにも慣れてて感じにくいですし、痛みも神経が通うのは当然自分の体に対してだけで、他者の痛みは経験からくる精神的な痛みしか感じられません。

 こうして考えてみると、他者と自分とは明らかに違います。

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2006年09月11日

分からないこと

 分からないことをどう思うか、また信じるか否かは、最終的にはそれぞれ個人個人の主観に任せられることで、他者がいくら否定や肯定をしても、あるいは分からないことと言ったにしろどうにもならないことかもしれません。
 この分からないことって何なのでしょう。
 世の中、分からないことが沢山あります。
 現在のところ、自分がいつ死ぬか、死んだ後どうなるか、いつどんな病気になるか等々、誰がどう言おうが分かるわけはありません。また、分かったつもりのことでも、実は分かったつもりになっているだけなのかもしれません。
 分からないからか、色んな人が色んな見解を主張をしたりもできますし、色んな思想が生まれたりもし、その見解の主張や思想を支持したり信じたりする人もでてきて、うまくすればおいしい商売等、主張・思想側は諸々のメリットも生まれるのかもしれません。
 またその見解の主張や思想を支持したり信じたりする人も、その当人にとっては何かしら(精神面での安定、安らぎ等)の価値があるのかもしれません。
 ・・・まぁそれはそれでいいのでしょうけれど、でもホントにそれでいいの?と、私には気分的に何かすっきりしないわだかまりがあります。

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posted by わめ at 01:16| Comment(11) | TrackBack(0) | essay | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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